教育現場と音楽の危機

「学校での合唱、演奏、調理実習を自粛要請へ コロナ対策で文科相意向」という発信を見て唖然としました。どうしてこんなことになるのでしょう。

もちろん、この記事だけで色々と議論するのではなく、文科省から出た通達をきちんと読んで判断する必要があります。文科省の通達は教科(授業)と部活の扱いを分けて書いていて、それぞれの書き振りも変えることで、部活については一定の裁量余地を残してあるように読めます。

私が愕然としたのは、冒頭の発信に対してです。これがあくまで要点をかいつまんで伝えたものであることも十分にわかっています。でも、やっぱりそれが及ぼす影響を考えれば、あまりにも問題の多い発信だと思わざるを得ません。みながみな上記の文科省通達まで目を通して考えるわけではない。ニュースとして流れた冒頭の発信のほうがはるかに印象が強いわけです。ニュース記事になった際に実際には話していたことが変更割愛されている可能性もあると思って会見動画を探しましたが、現状で該当するものは、ここにある会見動画の5分40秒以降で触れられている程度でしょうか。

以下、音楽に関するところに絞って書きます。少なくとも、最初にリンクを貼ったニュースにおける発信を読む限り、演奏はじめ種々の活動を「特に感染リスクの高い教育活動」と名指しで定義して、「感染レベルに関わらず」つまり期限も示さずに、 「自粛=事実上の禁止」を求めていると読めます。これはさすがに、なんとか継続の方法を探り、子どもたちの機会のために・文化芸術の未来のためにと様々な工夫をしてきた現場に対して、どうなのか?現場にかかわる身として個人的な思いを吐露することが許されるならば、私もまた相当に心を掻き乱されました。

音楽業界はこの二年間、飛沫拡散や感染リスクについて科学的なデータを集め、それに基づいた対策を取ってきました。それは、プロの生活の糧としての演奏・興業を再開させるためだけではなく、プロアマ関係なく、もっと広く、音楽の担い手すべて(舞台を作るひとも、演じるひとも、聞くひとも含めて)にとって「演奏という行為はきちんと対策を取れば十分に実施可能なのだ」ということを立証するためにやってきたことだと思っています。

エアロゾル感染などでそれではオミクロン株には不十分だ、これはあくまで感染拡大期だけの措置だということなら、きちんとそう発信してもらわないと(後述しますが文科省通達ではそのことが書かれています)冒頭の記事だけでは、ただただ「演奏というのは危険な行為なのだ」という見え方をしてしまう。一度そんなふうに定義づけられてしまうと、その印象を覆すことには膨大な時間とエネルギーがかかります。この2年間関係者が立て直しに尽力してきた「演奏」という行為のイメージを少なからず崩されてしまった…。そんな思いがして唖然としたのです。これは教育現場だけでなく、音楽興業の世界にもじわじわと影響を及ぼすものとなるはずです。

文科省の通達についても思うところがたくさんあります。授業に関しては、「オミクロン株はデルタ株に比べ、感染性・伝播性が高いことを踏まえ、現下の全国 的なオミクロン株の感染拡大の時期においては、以下に記載する「感染症対策を講じてもなお感染のリスクが高い学習活動」のうち特にリスクが高いものについては基本的に控える、又は、感染が拡大していない地域では実施を慎重に検討すること。」として、

・音楽における「室内で児童生徒が近距離で行う合唱及びリコーダーや鍵盤ハーモニカ等の管楽器演奏」

が名指しされています。部活動等に関しては、「以下に記載する活動については特にリスクが高いため基本的に控える、又は、感染が拡大していない地域では実施を慎重に検討すること」として、

・密集する活動や近距離で組み合ったり接触したりする運動
・大きな発声や激しい呼気を伴う活動
・学校が独自に行う他校との練習試合や合宿等

が挙げられています。「管楽器全般ではなくリコーダや鍵盤ハーモニカ<等>としか書いていない」とか、「音楽のことは授業だけしか具体的に言及していないのであって、部活については判断の余地を残した」というふうに見て、その余地の部分で工夫をすることはできるかもしれません。しかし、保護者含めさまざまな関係者がかかわる教育現場で<等>をミニマムに取ることはしづらい。「だめなのは、室内かつ近距離の合唱とリコーダーと鍵盤ハーモニカだけ」というふうには持っていくことは極めて難しい。そして、「授業がだめなんだから部活もだめでしょ」という風潮に傾いていくことは自明です。

ましてや文科省からの通達では、教育現場において「基本的に控える」は事実上の「禁止」に等しい。その現場や地域の教育関係者が結託してよほどのエネルギーをかけて望まない限り、責任の所在を考えれば、現場は一律禁止にならざるを得ない。結果としてなんでもかんでも禁止になっていって、「こっちは禁止って言ったわけじゃないけど結果的にみんな<慎重な判断>によって活動をやめましたね」というふうに、責任をうまく回避しながら、地域や現場の力関係を用いてうまく活動停止に持っていきたいという思惑が見え隠れします。

さて、どうするか。冒頭発信には大いに問題があるにせよ、生命と安全を最優先すべきであるという大原則に立てば、ひとまず今の感染急拡大期は、学校教育現場において一時的に歩みを止めるという選択肢も致し方ない部分はあるとは思います。ただし期間を可能な限り絞り、全国一律ではなく地域の現状に即して柔軟に対応してよいことをもっとアピールしてほしいし、なによりも、合唱や器楽という行為自体に問題があるわけではないことをしっかり伝えてほしい。

大切なことは、いつ・どうやって再開するかです。歩みが止まってしまうことにこれ以上文句を言い続けてもどうしようもないので、再開の道筋をふたたび考えるしかありません。

再開の道筋を考えることにリソースを割き続けてもうすぐ3年目に突入するのかと思うと眩暈がします。でも、誰かが悪いわけではありません。批判のエネルギーは生産に回したい。絶対に諦めないぞ。

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