常の岬

岬に立って、打ち寄せる波を見る。白波がぶつかる陸の先端はいつしか海になるだろう。その絶壁を自分の肌に重ねることを夢想する。吹き寄せる潮風。宙に舞って霧消するしぶき。絶壁は常に戦いの中にある。

岬に向かう道すがら、たくさんのトンネルを通った。数キロあるトンネルのいくつかには車道の脇に歩道が付いている。その歩道を、初老の男性がゆっくりと歩んでいく姿に出会った。もしかしたら毎日のようにこのトンネルを歩いている人かもしれない。しかし、彼は歩いてゆく!この男性はいまから数キロ、車が駆け抜けていくそばで、薄暗いなかを歩み続けるのだ。いったいどんな気持ちで?ついにトンネルの奥に光が差し込んできた時、彼はどんな声を上げるのだろう。そんなことを妄想した。

ゆえに、だろうか?岬に立って、自分はどうやって歩んでいこうかということを考えずにはいられなかった。途方もなく長く暗いトンネルに、その先にどんな風景が広がっているかもわからないのに、自らの足だけを信じて歩み入ることができるのか?

岬を歩く。「Photo Spot」と書かれた台に遭遇し、「ここにスマホやカメラを置いて撮影してください」という説明書きを見つける。おそらくは色んな画角を研究した末に最適とされたアングル。でも、自分はここに何の疑いもなくカメラを置く気分にはなれなかった。ここが最適、ほんとうに?人が決めたアングルにいきなりカメラを置くよりは、自分で色々試した末にその台に置いてみて「なるほど」と言いたい。飛躍してしまえば、人生をそういうふうに生きたいと思うのだ。

ふたたび岬の先端に戻ってくる。絶壁が波にさらされる様子を見つめる。岬の先端のようにあることと、先ほどの長いトンネルを歩いていくこととは、よく似ているのかもしれない。おそらく年々それは難しくなる。

岬はいつも陸と海の戦いにある。岬の先端は固定と変化、有限と無限の闘争だ。五年の修行期間を経て東京のステージに戻り、ひとつの成果を得た今、またそれを崩したいと思う。ここに安住するわけにはいかない。得たものを捨てるのではなく、得たものをより大きなものに溶かしながら新たに再結晶する瞬間を待つ。そういう感覚だ。

常に岬にいたい。前を歩くひとたちが、岬の先端で美味しそうにビールを煽り、これからの夢を語るのをみながら、ああ、カッコいい大人だなと思った。

Last Modified on 2021年4月22日
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