喪の先にある雫 -『死の都』のパラフレーズ-

恒例の東京大学「学藝饗宴」ゼミの初回講義。前回の『ラ・ボエーム』に続いて初回講義でお話しするのも9回目。今回は、ローデンバック『死都ブリュージュ』とコルンゴルト『死の都』を、<オクシモロン>と<雫>という切り口から読み解きました。

オクシモロン(矛盾語法)とは、言葉と言葉の緊張関係の中で、言葉によって分断されてしまった<あいだ>の領域に漂うものを凝縮して創出する手法といえる。私なりに記せば、それは、上向きの雫とでも言い得るものです。(もちろん、この表現自体がオクシモロンなわけですね)

『死都ブリュージュ』のテーマは、水=鏡であり、類似=相違であり、つまるところ「2」をめぐる運動性にある。ゆえに最後に、「Morte…morte…Bruge la morte…」を二回繰り返す。一度目は亡き妻の死に、二度目は亡き妻の幻影の死に。つまり喪失の喪失が反響する鐘の音のなかで語られる。

一方でコルンゴルトによるオペラ版『死の都』は、ローデンバックの原作を夢オチにしただけでは決してありません。むしろこの「2」という構造が活きるように翻案されていて、喪失からの喪失をどう捉えるかということがより強い形で問われているのです。

一幕で歌われるマリエッタの歌:Glück, das mir verblieb「私に残された幸せ」。「死が我々を分かつことはない。あなたはきっと蘇る」と歌うわけですが、このあまりにも美しい旋律は終幕に至って、「人はいつまで死んだ者を悲しんだら良いのか」という痛切な喪のモノローグを伴って、「生と死は異なるもの。この世に蘇ることはない」という歌に変わっていくのです。この瞬間の感動的なこと!!!

喪失からの喪失を示すだけでなく、コルンゴルトのオペラはどこかで、人間はどれだけ過去に縛られるべきなのかという問いを我々にぶつけています。たとえば二幕のピエロの歌:Mein Sehnen, mein Wähnen 「私の憧れ、私の夢」はひたすらに過去や故郷へのノスタルジーを歌う。ここで言う憧れや夢は、未来へのプロジェクションではなく後ろ向きの、すなわち過去への執着であり憧憬だといえます。

そして、「あまりに長いこと死者と共にその思い出に浸って生きていると/我らはいつまで悲しんだらいいのだろう/どれだけ死んだ者を悲しむべきなのか」というモノローグは、このオペラ全てを貫くコアであり、あらゆる人に向けられた過去-現在-未来をめぐる問いかけであります。

喪失の対象は、オペラで歌われるように愛した人の死に留まるものではありません。たとえば肉親との別離であったり、大切な物が壊れたときのことであったり…そういうことも含んだ「死」であると私は読みたい。つまりこの作品は、人間はいかにして、過去というものから雫のように分離して進んでいくのか、ということを問いかけるものなのです。

人はどこかで、別れに別れを告げて前に歩いていかねばなりません。雫が、ある固着点からの「分離」と「独立」を成立要件とするならば、人が過去に別れを告げて歩いていくこの瞬間もまた、雫のようであると言えるでしょう。

ところで、コルンゴルトのこの作品について東京大学の初回講義で話さなければならない、とこのタイミングで思ったのは、先日に東京芸術劇場でベートーヴェンの交響曲第五番「運命」を演奏したことと無縁ではありません。運命を否定するのではなく受け入れて歩んでいく。人は過去の奴隷ではないのだから。(この言葉がリハーサルで湧き上がってきた時、我が師の一人であった金森修先生の著書『ベルクソン』のことが頭の中にありました。)ノスタルジーに耽りながらも、それをどこかで大切な箱にしまい込んで前進していかねばならない。

別れに別れを告げて未来へ歩いていく。それは私自身が最近考えていたことそのものでもあります。だからきっと、「死の都」について今こそ話そうと思い至ったのでしょう。つまりこのあいだの「運命」も昨日の講義も、自分自身の「クレド」を演奏や読みという形でPerformしたようなものなのですね。

コルンゴルトが絶妙な管弦楽法で生み出した鐘の響き。ブリュージュの街を鏡のようにして反響するあの音がずっと鳴り続けています。幸せな時間でした。

『死の都』のパラフレーズ。どうしても鏡の前で話したかったのです。

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