私なりのニュー・イヤー・コンサート!with commodo

久しぶりに東京での公演でした。同団体とは五年ぶりの共演。トークでも少しお伝えしましたが、まだ震災の爪痕深く残る石巻に訪問して演奏した際の経験がなければ、今の私はないと思います。

たとえ聞いてくださる人が一人であっても、壁や天井がなくとも、そのときの精一杯を尽くさなければならない。顔の見えない「たくさん」を求める前に、まずはたった一人の心に響くところからはじめなければ。そういうことを肌で感じたあの経験は、20代の自分の活動の礎となりました。

あの頃から少しは成長をお見せできたでしょうか。一方で、あの頃から変わらない哲学のようなものをお届けできたでしょうか。曲目は、この時代や状況に対する「応答」として、私なりの「ニューイヤー・コンサート」のような組み立てにしてみました。一年前に「音楽を取り戻すために/劇場を序曲と舞曲でいっぱいに!」と題してこんなアイデアを出したのですが、その実現でもありましたた。https://y-kimoto.com/futu-th/

「軽騎兵」にはじまり、「パズマン」のチャルダッシュに終わる。もちろん日本人作曲家の作品も取り上げないわけにはいきません。

それぞれの曲目に込めた思いやプログラミングの意図についても、短いプログラムノートとして書き下ろしましたので、どうぞお読み頂けましたら幸いです。ずいぶんと好き放題やらせて頂き、チャルダッシュに至ってはもはや楽曲解説というよりはエッセイか?!という感じですが、これがプログラムを組み立てた時の私の頭の中そのものです。

プログラムノートより

緊急事態宣言延長のため限られてしまったリハーサル時間をギリギリまで活用し(いつも3時間で10曲前後リハーサルしたわけで、毎回のタイム・マネジメントが勝負でした)いま出来るすべてを出し切りました。それぞれにお仕事がありながら全力で取り組んで下さった奏者の皆さん、そして、運営の皆さんに深く御礼申し上げます。

「憂い」と「前進」を隠れテーマとしたコンサートとして、アンコールには、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ「憂いもなく」、さらにステンハンマルのカンタータ「歌」より間奏曲を演奏しました。

音楽に何が出来るのか、音楽はいかなる力を持っているのか、歌はどうやって生まれてくるのか…。ステンハンマルのカンタータはそういうことを語るものです。3.11から10年。音楽に何が出来るのかを問い続けるcommodoと、今こそこの曲を演奏したかった。心から、追悼の想いを込めて。そしてこの曲の音階のごとく、過去を振り返りながらも立ち上がり、未来へ確かに歩んでゆけることを願って。最後の音が終わったあとに続いた静寂は、この場を共にした人々の「祈り」であったと思います。

そして、コモドが大切にしてきた曲である「ふるさと」のオーケストラ版(中川真文編曲)でお別れとさせて頂きました。全13曲、めいっぱい音楽させて頂くことができて幸せでしたね。

また再会するときまで、さようなら。東京への帰還ステージがこのコンサートで良かったです。ありがとうございました。

「憂いもなく!」 ホールがワルツとポルカでいっぱいになりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です