雨の本郷、秋の詩

夏学期の東京大学教養学部全学ゼミに続いて、冬学期からは東京大学公共政策大学院で毎週金曜日に鈴木寛教授のもと、指揮者・慶應義塾大学SFC研究所上席所員として、ある講義の助手を務めています。大学・大学院時代のほとんどを駒場で過ごした身としては本郷は久しぶり。

慣れない本郷ということで教室の場所が分からずにあたふたしていると、親しい後輩が後ろから駆け寄って来てくれて案内してくれました。そういえば彼が入学したての大学一年生だったころ、私が彼に駒場キャンパスを案内したことがあったなと思い出して、なんだかとても幸せな気持ちになりました。時間が過ぎるのは早いものです。

折しも初回講義の今日は晩秋を思わせるような冷たい雨。雨にうたれて金木犀の香りがふわりと広がってきます。講義を終えて銀杏並木をふらふら歩いていると、ふと頭の中によぎった一節がありました。

 

 A sweet melancholy pervades the poet’s feelings, but a joyful vintner’s song and the rhythm of a Dionysian dance disturb his reverie. Fauns and bacchantes disperse at the appearance of Pan, who walks alone through the fields under a gentle rain of golden leaves.

 

 

これはレスピーギの「秋の詩」というヴァイオリンとオーケストラのための小品に添えられた詩です。レスピーギはこの曲を「失敗作」と自分で認めていたようですが、私にとっては時々無性に聞きたくなる曲の一つで、季節が変わって秋だなあと思う日が来るたびに聞いているような気がします。ドビュッシーを思わせるような空気感、グラズノフのような躍動感、しかしレスピーギでしかない色彩感。

詩の最終行、私なりに訳せば「黄金の木の葉が優しき雨となって降りゆくなかで、詩人は一人孤独に野を歩みゆく。」という一節が音の渦の中からありありと立上がってきます。音楽に味付けをするのではなく、音楽そのものが詩を自然と語り始めるような、音楽に語らしめるような……。亡き師が教えて下さった「指揮」はそういうものであり、それは今も変わらず私の理想であり続けています。今年も充実した芸術の秋となりますように。