TEDxUTokyo 2022 “Patchwork” 登壇

素晴らしいスタッフの皆さんとオーディエンスの皆さんの熱気に支えられ、大きな挑戦をすることができました。「Resonance 共振/共震」ということをめぐって、かなりパフォーマティブなトークをしてみました。

そもそもTEDというのはイノベイティブなアイデアを喋る場だと思います。そしてここでいう「アイデア」というのは、一般的には形になってきたことだと思いますから、私もこれまでやってきたこと、今取り組んでいることを話そうかなと最初は考えました。たとえば、音楽監督を務めているエル・システマジャパンの活動が分かりやすいように、音楽と地域創生、音楽と教育がどう切り結ぶかとか、日本と外国諸国の交流に寄与するコンサートを企画したりだとか、私なりに音楽に何ができるのかということを問うてきたので、そのことを話そうかなと思っていました。

でも、やはりこの15分という短い時間のなかでそれらすべてを話すことは到底できない。しかし私にとってはどれも等しく大切で、それぞれが相互につながっていて、どれか一つに絞るということには抵抗がある。単にこれまでの活動紹介やお仕事紹介をすることはしたくないし、そもそもそんなことなら調べればすぐに出てくる。ゆえに、演奏するのと同じく本番の場でしか出来ないものを、しかも、運営の学生さんたちが苦労してリアル開催(長いコロナ禍ゆえ、大学という場において、これほどの規模の対面イベントを自主企画できたのは数年ぶりだったはずです)に漕ぎ着けたことにレスペクトを示せるようなことをやりたい。

じゃあどうすればよいのか?ということを考え続けているとき、私が出演する3rd セッションのセッションテーマが「問う」であることを聞いて閃いたのです。「問う」というテーマに対して、自分のさまざまな活動の根源にある「問い方」そのものを話そうと。そしてそれこそが、私の「アイデア」かもしれない、と。それは共振の哲学、The Philosophy of Resonanceとでも言うべきものです。

安田講堂入口から -The Philosophy of Resonance

指揮者は絶対的に他者を必要とします。リハーサルでは奏者と。本番ではホールという時空を共にするすべての人々と。頭のなかにあるものを伝え、多くの人々とコラボレーションしながら、共振を拡大していくのです。ゆえに指揮者という仕事は、わたしにとっては究極的には共振を起こす仕事だし、良い演奏とは何かという問いに対しても「強烈な共振が起きたかどうか」だと定義したくなる。指揮者ということを離れても、そもそも自分が興味があるのは、共振を起こすことだといえる。

しかし他者に共振を起こすためには、実のところ自分がまず震えやすい状態でなければならない。そのためには絶対的に孤独の時間が必要である。目の前にあるものと誠実に対話し、面白さに心が動く瞬間をつかまえ、「君でなければならないのか」という問いに向き合い続けることが欠かせない。「自分にしかできないことがあるか」という問いではなく、「君でなければならないのか」という問いに応えるためには、「化身」のようなクレイジーな確信が必要となる。その次元まで行ってはじめて、「伝える」という行為が成立する。

つまり、自分の活動を「共振」ということから掘り下げつつ、「共振」を起こすためのコツとして、「君でなければならないのか」という固有性の問いが全てであることを語る。そんな話をしようと決めて原稿を書きました。同時通訳をいただくご負担と、TEDのルール上、ある程度の原稿を渡しておく必要があったからです。運営の学生さんたちが素晴らしいメンタリングをしてくださって、かなり練られた原稿が出来ていたと思います。

しかし、「君でなければならないのか」ということと、「本番とは聴衆との共振によって生まれる一期一会の空間」であることをトークで話す以上、わたしのトークがすでに作った原稿の再現であっては自己矛盾すると思っていました。

原稿は、そもそも自分にしか書けないであろうという内容を書いたものですが、しかし原稿を作った時点で、この原稿を読むことは誰にでもできてしまう。だから原稿完成と同時に、「君でなければならないのか」「本番の一期一会」に応えるためには原稿から離れることが運命づけられている。そういう格闘を真正面から引き受けて舞台に立つというのが私の今回の挑戦でした。

原稿に添うのではなく、舞台で一から考え、格闘しつつ話す。僅か15分しかない中で無謀にもそれをやる。立て板に水のように話すのではなく、あえて詰まりながら、苦しみながら、噛みながら、湧き上がってくるものや降りてくるものを必死に捕まえて話す。ここで自分に何が言えるのか、という一本勝負。刻々と減る時間の中でそれをやるのは、大変なプレッシャーがありました。もしかしたら後から動画で見るとイマイチなのかもしれない。でも、「共振」を語るだけでなく、いま・この場で「共振」を体現するにはその方法しかないと思ったのです。

もう一つ自分に課したルールがありました。それは、音を一切使わない。弾くことも、動画を流すこともしないということでした。音を奏でずに音楽のような何かをその場に立ち上げ、指揮せずにこの空間を指揮することができるか。つまりは言語だけで、指揮するという行為に対してどこまで肉薄できるかに挑戦する。

折しも会場は、大学院の修了式以来に訪れた東京大学安田講堂。言葉から音楽の道へ「脱線」した学生時代から、いまこうして母校に戻ってきて、今度は音を手放し、ふたたび言葉だけで勝負してみようとしたのです。最初に指揮棒を投げ捨てたのは、その宣言でもありました。

指揮棒を捨てて

そしてそれは、モノや肩書きや準備を捨て去った裸の状態でわたしは今から話す、という表明でもありました。種々の楽器と異なり、指揮棒はただの媒介や象徴にすぎません。つまり指揮者という仕事は棒が導いているのではなく、私という身体それだけに立脚するものなのです。

そもそも自分が休学したり、指揮の道に進んでいったのは、「自分は本当に自分で自らの人生を選択できているのか?」という問題意識からでした。この人生はどこまでが自分の意志で選んだものなのだろうか?東京大学に入ったは良いものの、自分から東京大学という名前を引いたら何か際立つことがあるのか?

自分−東京大学=?という素晴らしいキャッチを大学一年生のことに見たことがありますが、まさにそのとおりで、「東大生」ということを外したときに自分は何か社会で通用するものがあるのだろうかということをずっと考え続けていた。だから「東大生」ということがまったく役に立たない、隣の芝生で勝負してみたいと思っていた。「捨てる」ということから今回のトークをはじめたのは、肩書きや出自に寄りかからず、それらを全部引いても残るもので勝負していきたいと燃えていた、大学時代の自分(たとえば学生時代のブログ学生時代のブログ2青春漂流ギャップイヤーのことなど)に対する返信のつもりでもありました。

安田講堂全景

35歳になった自分の言葉がどこまで響くのか、やってみたかった。それがうまくいったかどうかは、聞きに来てくださった皆さんのご感想に委ねるほかありません。ただ、即興的な話ぶりになったとしても、メンタリングをしてくださった学生さんたちから頂いたアドバイスや、ここが面白いと言って下さったものは確実に伝えられたのではと思います。というより、全て忘れてこの場で一から作り直したとしても、学生さんたちから頂いたアドバイスが確実にトークのなかに入り込んでくるだろうという確信がありました。しかも、もとの原稿よりずっと活きた形で!運営の学生さんたちが下さったアドバイスはそれぐらい的確かつ納得するものでした。

即興は、入念な準備があってはじめて生まれます。壇上で降霊術のように話した私の後ろには、途方もない時間をかけて準備やアドバイスをしてくださった学生さんたちがいます。そして、聞きに来てくださった300人の皆さんのエネルギーあってこそなのです。ほんとうに拍手されるべきは、あの場を作り上げてくださった全ての人々であり、わたしが喋ったというより、みなさんが私を喋らせて下さったのだと思います。

TEDxUTokyo 2022 “Patchwork”での15分間は、過去と現在をつなぐ集大成であり、現在から未来へ向かうための別れ/出発の時間となりました。登壇のお声がけをいただいたことに心から感謝申し上げます。

TEDxUTokyo 2022 “Patchwork”(ALL Photo by TEDxUTokyo 2022 Official)

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