「仏陀」交響曲の時代 -コンサートプレトークより

貴志康一生誕110年記念演奏会のプレトークの内容を加筆修正のうえ公開させて頂きます。開演前にはこんなことをお話ししました。


みなさま、本日は三連休の初日に足をお運び頂きましてありがとうございます。今日は貴志康一生誕110年記念演奏会ということで、こんなにもたくさんの方々と共に、芦屋から世界に羽ばたいたこの芸術家の魅力を楽しめることを嬉しく思っています。前半では「仏陀」交響曲の演奏に、後半には貴志康一の人と音楽をめぐる講演、そしてホール別館では「貴志康一とその時代」と題した展覧会と、今日は芦屋が貴志康一でいっぱいの一日になります。これらを通じて、音楽だけでなく、貴志康一という人物を、そしてこの偉大なる芸術家の生きた時代や歴史をたっぷり味わって頂けるのではないかと思います。

さて、早速ですがこのプレトークでは、指揮者としての私なりに思う、「仏陀」交響曲の面白さをお話しさせて頂きます。でも、音楽の具体的な中身のことは、聴いていただいた皆様がそれぞれに感想を持っていただけたらとおもいますので、敢えてあまりお話しません。代わりに、仏陀交響曲の面白さを味わっていただくには、まずこの時代がどういう時代であったかに思いを馳せていただくのが一番いいのではと思うのです。

.「仏陀」が作曲されたのは1934年。1934年、昭和9年。このころはどういう時代だったのでしょうか?もしかしたら後半の講演会でも詳しくお話し頂けるかもしれませんが、私もいくつか調べてみましたので、1934年の出来事をほんの少しだけあげてみます。

・忠犬ハチ公の銅像が渋谷に設置される。
・東郷平八郎元帥が他界。
・藤原歌劇団創設。
・ヒットラーとムッソリーニが出会う。
・東海林太郎の「赤城の子守唄」が大ヒット。東京音頭も大流行。
・ベーブ・ルース来日、日本初のプロ野球チームである大日本東京野球クラブが創設。(これはのちの読売巨人軍ですね。大阪野球クラブ、つまり今の阪神タイガースは1935年になります。)
・大橋巨泉さんや田原総一郎さん、女優の中村メイコさんが生まれた年

もう少し広く時代を見れば、1929年の世界恐慌を経て、1933には日本は国際連盟を脱退。同じ年には、梅田-心斎橋間に大阪発となる地下鉄、御堂筋線が引かれています。街のあり方も経済状況も大きく変貌し、一方ではファシズムの波が高まり、次第に第二次世界大戦の足音が聞こえてくる。貴志康一の「仏陀」交響曲は、そんな時代に書かれたのです。

 

音楽のことでいえば、この1930年代というのは、ものすごい時代です。アメリカではスウィングジャズ全盛期で、ベニー・グッドマンやデューク・エリントンが大活躍していました。もちろんジョージ・ガーシュウィンもです。ヨーロッパではラヴェルがまだ生きていて、ストラヴィンスキーやリヒャルト・シュトラウスがまだばりばり作曲して指揮している時代です。ヒンデミットが、オネゲルが、プロコフィエフが活躍していて、貴志康一はそんな時期にベルリンに滞在し、この「仏陀」交響曲を書き上げ、ベルリンフィルを指揮して演奏しました。

その凄さは言葉になりません。カラヤンですらまだベルリンフィルを振っていないこの時期に、25歳にしてベルリンフィルの指揮台に立ってしまうということ。しかも、自作の曲を演奏してしまうということ。この「仏陀」交響曲には、彼が出会った、彼が感銘を受けた同時代の作曲家や過去の作曲家たちの書法がたくさん出てきます。ドビュッシーを思わせる部分やプッチーニの「トゥーランドット」みたいなところ(1926初演)、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」みたいなところもあるし、ブラームスの交響曲第1番みたいなところや、ドヴォルザークの第9番みたいなところも出てきます。はては、映画のストップ・モーションのように急に時間が切断されるところも…。初演に立ち会ったベルリン・フィルのメンバーはどんなふうに思ったんでしょうね。

 

彼はその短すぎる生涯のなかで、いろんなことに興味を抱いた人ですが、彼が興味を持ってきた沢山のものが、ここに凝縮されているように感じます。本当に魅力にあふれた作品です。私は自信を持ってお約束したいのですが、ドヴォルザークやチャイコフスキーを演奏するコンサートを聴いたあと、ついついその旋律を口ずさみながら帰ってしまうように、貴志康一のこの「仏陀」交響曲を聴いて頂いたあともまた、その印象的な旋律の数々が皆様の頭から離れなくなってしまうと思います。憂いをたたえた旋律がぱあっと明るく広がるときの幸せ。1楽章の冒頭と4楽章の最後がまるで輪廻するように穏やかにつながっていて、まるで混乱や不穏が浄化されていくような感覚。混沌とした現代の中にあってより輝きを放つような、なにかとても前向きで、純粋で、希望にみちた音楽であるように感じています。

日本の誇る芸術家、貴志康一。彼がその短き生涯に残した交響曲は、この「仏陀」交響曲たった一曲のみでありましたが、この一曲があるだけでも、彼の存在は不滅のものとなることでしょう。これからも日本で、世界でこの交響曲を演奏していきたい。今日はその最初となります。そしてその最初を、貴志が育った芦屋の地で芦屋交響楽団さんと、しかも満席(!)のお客様の前で演奏できることを幸せに思っています。

精一杯演奏しますので、みなさまの心に届くものがありましたらうれしいです。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください。

 「貴志康一生誕110年記念演奏会」プレトークにて
2019.9.14 芦屋ルナホール
木許裕介

プレトークにて
プレトークにて

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