東京ニューシティ管弦楽団さん、東京ホワイトハンドコーラス、田中彩子さんとの「いま、夜が明ける!」コンサート、規定座席のほぼ満席、ソールド・アウトにて終演しました。ご来場頂いた皆様、ご一緒してくださった皆様、表裏で支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。とくに、東京ニューシティ管弦楽団の皆様には、あたたかく力強いサポートを沢山頂いたおかげで、本番のあの熱狂に至ることが出来ました。深く御礼申し上げます。
今回の演奏会選曲もまた徹底的にこだわったものになりました。その思いは当日のパンフレットに書き下ろしましたが、大切なのは、文章を超えて音だけで、聞いた人に「夜が明けた!」と思ってもらえるかどうか。
この日のためのとっておきだったデュパルクの「星たちへ」は、最弱音からのスタート。空虚五度を埋める第三音のミの音があの密やかさを伴って入ってきたとき、指揮しながらゾクゾクしました。そして夜明けの「ヴィラネル」の清らかさを経て、子どもたちとの上田真樹「あめつちのうた」、ロイド=ウェバーの「ピエイエズ」へ。
東京ホワイトハンドコーラス、田中彩子さんとの上田真樹「あめつちのうた」弦楽伴奏版はこの日が世界初演。コロナ禍で合唱のディスタンスは厳格に守る必要があることと、ホワイトハンドの特性上、目ではなく耳で(つまりブレスで)アンサンブルをしていることから、通常の合唱配置は困難でした。そこで生まれたのが、紀尾井ホールとニューシティ管弦楽団のプロフェッショナルなスタッフの皆様のアイデアによる「張り出し指揮者舞台」。紀尾井ホールの長い歴史の中でも初だったそうです。この特設舞台で指揮しながら、フィリピンやカンボジアのものすごいレイアウトで指揮していた頃の記憶が蘇り、天使のような子どもたちの歌声と重なって、なんだか泣けてくるものがありました。
後半の「ブラジル風バッハ9番」は、日本ヴィラ=ロボス協会会長を務める身として、とりわけ思い入れの深い曲でした。この曲は本来合唱曲ですが、弦楽版を演奏するからには、ヴィラ=ロボスが合唱曲で成そうとしたこと(特に「発音」)と、弦楽版でしかなし得ないことの双方を両立する必要がある。ヴィラ=ロボスの弦楽版自作自演はメトロノーム指定より遥かに遅いテンポであり、楽譜にないリピートも行っていますが、それもこの精密なフーガの設計を読み解けば十分に納得がいきます。カチカチと11拍子を刻むのではなく、misteriosoでgrandiosoな、横も奥行きも広大な音響空間を繰り広げるような演奏を志向しました。私は、それこそがヴィラ=ロボスが9曲の連作で行き着いた「ブラジル風」の極地だと考えています。
演奏会のメインに置いたメンデルスゾーンの「イタリア」の一楽章が終わった時に不意に沢山の拍手を頂いたことは本当に嬉しかったですね。私にはそれが夜明けを祝う声のように聞こえました。ああ、今回の「コンセプト」を確かに聞いて頂けたのだと思えました。そのあとの二楽章から四楽章、とくに四楽章の熱狂は、本番にしか成し得ないものでした。東京ニューシティ管弦楽団の皆様との火花の散るようなスリリングな時間が今も忘れられません。
当日には、コンサートと同名の雑誌『午前四時のブルーIV:いま、夜が明ける!』も先行出版され、多くの方にお買い求め頂いたようです。私は「ヴァリアシオン・シャンタント-海へ!」という変奏曲のような文章を寄稿しております。この「海へ!」というのは、「あめつちのうた」で最後に歌い上げる言葉なんですね。そしてヴァリアシオン・シャンタントというのは、プルーストの友人であったレイナルド・アーンに同名の作品があって、実はその変奏曲の構造を踏まえてこの文章を綴りました。私が生涯を賭けて追い求めたい「指揮の哲学」の序章ともいえるものになっています。指揮する演奏会の日に自分の文章が載った本が出るなんて、最高の幸せ!この機会をくださった小林康夫先生と水声社の井戸様、本当にありがとうございました。
とにかく、ひとつのコンセプトに徹底して向き合い、音と言葉を往復し続けた日々でした。この往復を通じて、わたしという人間にとって、何が大切なものであり、何が自分を自分たらしめるのかということを再確認することができました。やはり、徹底してコンセプトを追求したい。ただ音楽を奏でるのではなく、そこに「その音楽」がある意味まで奏でたい。そう思います。
紀尾井ホールに立ち上がったあの「夜明け」の記憶を大切に抱きながら、私もさらに修行を重ねて参ります。コンサートの感想もお待ちしておりますし、何より、またぜひお聞き頂けましたら幸いです。たくさんのご声援ありがとうございました!(※ホールのお写真はエル・システマジャパンのFBよりお借りしました)