音に音を重ねることは

指揮して六年目になるはずだった福井大学フィルハーモニー管弦楽団。今年はコロナの影響で、残念ながら定期演奏会を開催することが叶わず、春から今までリハーサルも一緒することがないまま冬を迎えてしまった。日本海の魚の身が締まってくるように、寒くなってくると福井大学フィルの音も締まってくる。そんな笑い話を毎年のようにするぐらい、僕の冬は福井大学フィルと共にあった。

この期間、活動再開のために何か少しでもできることはないだろうかと考えた。いろんな方とミーティングを重ねたり、たくさんの専門家にも相談したり、ありとあらゆる可能性を考えてみた。いろいろ試行した結果として、いま自分は表立って何もすべきではないという結論に達し、福井について言及することすら意図的に避けていた。それはとても辛い日々だった。

なぜか。それは福井大学フィルの学生たちを守るためだ。僕が何か動くということは、対外的には、東京からやってくるという認識にどうしてもならざるを得ない。もちろん2週間福井で待機することだって出来ないわけではない。でも、怖いのはそういう「事実」ではなくて「イメージ」の一人歩きなのだ。とくに福井という土地柄や、コロナが広がりはじめた当初のころの反応を振り返れば、そこには慎重すぎてもすぎることはないほどの行動が望ましいはずだ。オーケストラというものが数えるほどしかない街だからこそ、それは密なものとして懸念材料になりえる。つまり、自分が積極的に発信したり関わることによって、逆に彼・彼女たちの活動再開の可能性を潰してしまうことがありえると思った。それだけは絶対に避けねばならぬ。

少なくとも、少し落ち着くまでは自分は関わるべきではないだろう。そう思って昨年3月から12月までオンラインでの関わりのみにとどめ、ひたすらに待ち続けた。もちろん、その期間に数えきれないほどの電話会議をしたり、合計20時間ぐらいに及ぶオンラインアナリーゼ講義をやったりもしたのだけれど。

そして12月。悲しいことに、このまま定期演奏会を行うことなく代替わりするとの連絡を受けて、執行代を務めたみんなと数分だけでも話したくて久しぶりに福井へ飛んだ。間接的なサポートでしかないが、今せめて安全に出来ることとして、着なくなった服(クリーニング済)を学生さんたちに20着ほどお譲りするためでもあった。フィルに関わって二年目の頃の定期演奏会のメインだったドヴォルザークの8番のゲネプロをこのジャケットで指揮していたなあ、と思い返しながら。捨てるぐらいなら使ってもらったほうがいいだろうし、気に入らなかったら好きに売ってもらったりすればいい。

そうして到着した福井。みんなと会うのはほとんど一年ぶりになった。ちょうど昨年のそのころが定期演奏会の本番で、終わった後の打ち上げで「次は君たちの代だね」と話したことをよく覚えている。そのときの、やる気に燃えた君たちの眼差しも決して忘れてはいない。二年生のころから、君たちが三年生になったときに全力を発揮できるようにと思って指揮を教えたり、他のオーケストラに紹介したり、海外での演奏に連れ出したメンバーもいたから、僕としても君たちの代には途方もない思い入れがあった。

練習会場の扉を開ける。「直前練習」のはずが「初見大会」になってしまった今日で君たちの代は代替わりするという。目の前で、学生指揮者さんとみんなが奏でるドヴォルザーク6番の上行音階を聴きながら、音に音を重ねるのはなんと奇跡的な行為なのだろうと涙した。このメンバーとこの曲をやりたかったな。そういう想いが音のひとつひとつから溢れ出す。久しぶりに会ったみなさんの挨拶の言葉の端々から無念が滲み出る。定期演奏会をすることが叶わなかったとはいえ、君たちの代は確かにあった。僕は強くそう言いたい。いつかきっと、この悔しさをエネルギーとして、一緒に音楽しよう。心の底からそう思った。

2021年を迎えて、この団に関わって7年目になる。このオーケストラが良くなるなら何だってやるぞと思ってやってきたが、そのことを改めて胸に刻む。大変な状態が続くけれども、火を絶やすわけにはいかない。あと少し耐えて、必ずまた一緒に音楽しようね。(※この記事を書いている現在で、福井と往復してから既にほぼ一ヶ月が経った。自分も含め周囲に感染事例は報告されていないことを付言しておく。)

 

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