次々に公演が中止となり、いつものように音楽したり移動したりすることが叶わなくなったいま、まるで翼をもがれたような気分がする。日本はおろか、海外でのコンサートもほとんど無くなってしまった。しかし目の前の音楽に全力で向き合うことには変わりない。むしろ今こそ、音楽をどうしていくのか、音楽を携えるひとたちはどう生きていくのか、現状と未来を考えることが求められているように思う。
この期間、自分は何をするのか?この先に演奏することになっている(できることを切に望む)楽曲の勉強を重ねることはいつもと変わらない。ベートーヴェンの交響曲第9番にドヴォルザークの交響曲第6番。ベルリオーズの幻想交響曲。武満徹に吉松隆。代官山未来音楽塾第二期の仕込みに、東京芸術劇場ウインド・オーケストラ・アカデミーゼミの次期の仕込み、東京大学学藝饗宴ゼミナールの新セメスター開講準備。アルゼンチンとポルトガルとフランスの音楽祭で指揮するうえでのやりとり。現状をどうすべきか、友人の音楽家たちや各分野の専門家たちと重ねる意見交換。やることが消えてしまったという感覚は無く、むしろ、やるべきことが明らかになったという感覚が近い。この先、誰と、どういう人と関わっていくべきかもクリアになった。水面下に沈んで見えなかったものは、危機的な状況においてこそ露わになるものだから。
読むことと書くことに捧げられる時間が増えた。世界の様々な「音楽祭」に関わるようになったいま、音楽祭の歴史的変遷や文化史をきちんと辿り直さねばという思いがあって、音楽祭に関連する書籍を読み漁っている。日本のことについては山本美紀『音楽祭の戦後史:結社とサロンをめぐる物語』が大変に参考になった。
それから、甲南学園貴志康一記念室様からのご依頼を受けて、貴志康一「ヴァイオリン協奏曲」の楽譜校訂・解説執筆に注力している。この協奏曲のノーカット版を演奏したのは2018年の12月(with 福井大学フィルハーモニー管弦楽団/Vn.白小路紗季)だったけれど、大学オーケストラならではの1年間かけてこの曲に向き合う中でたくさんの発見があった。慣例的にかなりの確率でカットされてきた1楽章のブリッジ部分(録音もほとんど残っていない)は、驚くべきことにチューバのソロ(!)で大変に魅力的だし、3楽章で貴志が何を成したかったのかということもノーカットに挑戦することではじめて見えてきた。さらに2019年9月の貴志康一生誕110年記念演奏会で「仏陀」交響曲(with 芦屋交響楽団)を指揮したことで、ヴァイオリン協奏曲から連綿と続く貴志の語法、とくに中間休止の扱いとスケルツォ・モチーフの意味合いが理解されたように思う。この二曲の共通要素を比較することで、貴志にとっては、数理的で構築的なものよりも、映像的なものに着想のウエイトが置かれていたことがわかる。
ずっと書きたいと思っていたものにも着手しはじめた。それは「指揮」そのものについてだ。僕は齋藤秀雄先生が体系化した日本の指揮法を、村方千之先生から叩き込まれた。(これについては自信を持って「叩き込まれた」と言える。)村方先生のそばでアシスタントもやらせていただき、門下の初級者・中級者を教えさせて頂く機会もあったから、斎藤指揮法については何度も何度も勉強し直した。村方先生のもとで学んだ記録や、その当時自分が考えていたことはすでに10万字近くのメモになっている。
そのうちに痛感したのは、「斎藤指揮法」は、テキストを正確な意味で読み解くのが難しいうえ、その極意はテキストに書かれなかったところにある、ということだ。簡易で一面的な理解に陥れば、この指揮法は「点」や「叩き」に終始するものと映ってしまうだろうが、実際にはそうではなく、点前-点後に情報を盛り込むための技術書であり、「点」とはそのために必要な加速・減速によって生じる「結果」にすぎない。「叩き」についても、言葉のイメージがどうしても先行してしまうが、むしろPoint-orientedな動き(「平均運動」はLine-Orientedな動き)と言い換えたほうが実際を伝えやすいのではないかというふうに考えている。改訂版の指揮法教程においても言葉遣いのブラッシュアップに労力が割かれていて、大先輩方の苦心はいかほどだっただろうかと推察する。
ともあれ「斎藤指揮法」は指揮の体系化としては素晴らしいテキストで、この一冊をきちんと仕上げれば、指揮をかなり「読める」ようになる。つまり動きと音の間にある連関をある程度見出せるようになる。だが、それだけではもちろん、指揮を「する」ためには十分ではない。指揮の研鑽においては、まずもって、自らが表現したい中身を鍛えていくことが重要であり、それ無くしては技術のための技術、味気ない交通整理になってしまう。
want -すなわち、「実現したいもの」を磨きあげながら、wantの伝達のためにいかなる「技法」を用いるか。そのときに斎藤指揮法というのは、常に立ち返るべき基盤として生きてくる。ただしそのためには、逆説的に、斎藤指揮法の「外」に触れることが必要不可欠であろうとも思う。事実、いまヨーロッパで勉強するうちに、斎藤指揮法において「先入」や「中間予備運動」と名付けられている動きの重要性や凄みがやっとわかってきた。こういうことを発見したときの新鮮な驚きを自分なりに書き留め、言語化しておきたいのだ。それは不完全なものかもしれないし浅い理解であるかもしれないが、一生を通じて次々に書き加え、その守・破・離を自分なりにアップデートしていきたい。それは他ならぬ自分のためにだ。
「自分なりに」ということを恐れていては、何も生み出せはしない。「自粛」という、ある方向への均質化を暗黙の内に要求する圧力に対して、強くそのことを思う。厳しい春。世界の秩序・安全のために協調性を持ちつつも、「自分なりに」があってよいところを磨いていきたい。そのためには孤独を覗き込まなければ。自分という存在の感覚と向き合わなければ。そして、いつまでも音と言葉のあいだを巡り続けるのだ。