遊び人は何者になったか

30歳になった。歳を重ねるごとに文章を綴って来たけれど、この歳を迎えるにあたっては、自分の文章を引用せずに始めることは出来ない。25歳。大学院生のときに記した文章であり、もう二度と書くことはできないだろうと思える文章がある。

 

「遊び人」という職業がドラクエにあったのは凄いことだなあ、と今この年になって思う。

ドラゴンクエスト3の場合、遊び人はレベル20になると特別なアイテムなしに「賢者」になることができる。

 

これは非常に意味深い。なるほどという感じだ。

つまり、遊び人が賢者になるのは、これまでの行いを悔いたからではなく、行いの蓄積の結果として英知を有したからである。
遊び人は対人関係から自然と悟りへ至る故に、他職から賢者になるには必要なアイテム(=境界を飛び越えるもの)「悟りの書」を必要としない。
すなわち、遊び人と賢人は逆の方向にあるものではなく、まさに遊び人と賢人こそが、唯一近しい位置にあることが示されている。

レベル1を10歳とすれば、レベル20はおよそ30歳。
30歳までずっと遊び人でいることは難しいことだ。
定職についてレベルを上げていく仲間を横目に、遊び人は役に立てない申し訳なさや先行きの見えない恐れを乗り越えなければいけないだろう。
しかし、道化のように笑いながらも自らの意志を譲らず、ひたすらに遊びの道に徹し、ぎりぎりまで弓を引き絞ったとき、他の人には真似のできない豊かな世界が展開するのだと思う。

 

30歳まであと5年。そのとき僕は、何者かになれるだろうか。

NUIT BLANCHE 「遊び人礼賛」(2012)

さて、僕は30歳になった。少なくとも、30歳まで自分が5年前に書いたような意味での「遊び人」でありつづけたと思う。
そうして生きていくのは簡単ではなかったが、沢山の人々に巡り会い、支えられ、日々を生きていくことが出来るようになった。

しかし僕は「何者か」になれただろうか?いや、それにはまだ到底はるかに遠い。しかし、自分が「何者を」目指したいかは徐々に見えてきた。30歳を迎えるにあたって僕は、人生における「夢」と、そのために自分自身に決定的に足りていないものを同時に見つけたのだ。

30歳は、終わりなき冒険のほんの入り口。「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だななどとだれにも言わせまい。」と書いたポール・ニザンに倣って、あるいは「本当の仕事は今日はじまる」と常に新しい日々を生きたジャコメッティを見上げて。

出口のない不可能の領域の中を、会うたびにさらに遠くまで突き進む。  

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