弔辞、あるいは出発のクレド

ご遺族の方々のご承諾を頂きまして、我が師・村方千之を「偲ぶ会」(2015年4月29日、於:京王プラザホテル)にて読ませて頂いた「弔辞」をここに掲載させて頂きます。

村方先生がレッスンしていらっしゃった50年間の歴史を考えれば、全くの若輩者に過ぎない私が弔辞を読ませて頂いて良いのかどうか、最後まで悩みましたが、そこで生身の人間が声にして読むという、私の最後の「演奏」を先生に聞いて頂きたいという思いでこの文章を執筆させて頂きました。先生の足跡を少しでも多くの方に知って頂けたら幸いです。

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弔辞

自分の人生の中で最初に読む弔辞が、先生へのものとなったことに、呆然とするばかりです。今日ここに、先生の最後の時期に教えを頂いた門下生を代表して、我々の師であり、父のような存在であった、村方先生への惜別の意を述べさせて頂きます。

村方先生。僕がベートーヴェンの第九を教わったとき、スコアの最後のページに「君が第九を指揮する日を待ち望んでいる」と書いて下さったのを覚えていらっしゃいますか。先生のご訃報に接したあの冬の朝、僕はあまりの悲しみに、涙も出なかったのです。けれども、少し時間が経ってから第九のスコアを取り出して、そこに書かれた先生のあの力強い筆跡を見た途端、「<待ち望んでいる>という言葉はいいねえ」と、にこやかに微笑んでいらっしゃったあの姿が眼前に蘇り、何かが決壊したように涙が溢れてきました。間に合わなかった。未熟でも先生に第九を聞いて頂きたかったし、何よりも、もっと先生に教えて頂きたかった!!いま振り返ってみれば、入門させて頂いてからずっと、僕はいつこの日が来るのかと怯え続けていたのだと思います。週に二度レッスンを頂くたびに、その都度心の底から震えるような感動を味わい、それと同時に、この満たされた毎日が終わってしまう日のことを考えて焦るばかりでした。教えて頂ける時間が一年でも伸びることならば、自分の寿命すら躊躇無く差し出したいと、先生の88歳を共にお祝いさせて頂いたあの日に心の底から思ったのを鮮烈に覚えています。

今、僕は駆け出しながらも指揮者として生きて行く道を選びました。しかし実のところ、僕はその最初、指揮に興味があったのではなかったのかもしれません。指揮というよりはむしろ、ただひたすらに先生に魅了され、先生のことを知りたかったのだと思います。僕などには計り知ることもできないような長い人生を経験していらっしゃった先生の辿り着いた哲学を、生き方を、人生を知りたいと思い、先生がその一生を賭けて求めていらっしゃったものを僕も知りたいと思ったことが、指揮を学ぼうと思った全てのきっかけでありました。指揮があって先生があったのではなく、僕にとっては、先生があってはじめて指揮があったのです。村方先生の存在は、僕にとってそれほどまでに大きかったのです。

最後のレッスンはロッシーニのウィリアム・テル序曲でした。冒頭のチェロ五重奏のところで、先生に「まだまだ色気が足りないねえ」と、おそらくはこれまでに何十回となく言われ続けた言葉を頂いて、それが先生から頂いた最後のレッスンになりました。きっと今も天国で、「その通り、色気が無いんだよ」とこの弔辞を耳にしながら笑っていらっしゃることでしょう。先生は一度も、「色気」や「自然」といった言葉を定義されたことがありませんでした。それは確かに、定義した瞬間からその命を失ってしまう概念であるかもしれません。しかし一方で、先生が見本を振って下さるときに流れ出る音楽は、論理を超えて「色気」という言葉でしか表現できえないような、それこそが色気であると定義無しに納得させられてしまうような、いつも自然で、命の宿った音楽でした。まさに先生が愛された表現の通り、 理屈を超えて「心から心へ」と届いてくる音楽でした。それまで言葉や論理の世界に生きて来た僕は、その魔法のような瞬間にいつも圧倒され続けました。

もはや先生に教えを頂くことが叶わない悲しみは筆舌に尽くし難く、あれから世界が一つ色を失ってしまったようにすら思います。
ですが先生は最後に、永遠の課題を残して下さいました。

「君に伝えたい事がある。でもそれは僕がレッスンに戻ってから直接伝えるから、それまで自分で研究しておけ。」

と、そんな言葉を先生は病院で下さいましたね。しかし先生は、その答えを告げることなく、大きな問いを残したまま去ってしまわれました。それが何であったのか、僕はこれから一生をかけて探して行かなければなりません。いつか僕もこの世を旅立つ日が来る事でしょう。そうして先生に再びお会いすることが出来たときにこそ、レッスンの続きを、あのときの言葉の続きを聞かせてください。その日まで僕は、自らの一生を通じて、先生が残して下さった問いが意味するものを探し続けます。

村方先生。音楽の楽しさと厳しさを、そして指揮という芸術の底知れぬ深みを教えて下さってありがとうございました。
先生のおかげで、僕は沢山の感情に、掛け替えの無い仲間に、そして生涯を通して追求したいものに出会う事ができました。
まだ先生にお別れを告げる気にはなれません。別れではなく出発として、どうかこれからも不肖の弟子を見守っていて下さい。

2015年4月29日 木許裕介

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