四年目の向日葵

8月の16日から18日にかけて、今年も宮城の石巻を回って演奏してきました。アンサンブル・コモド(学生音楽ボランティア団体Commodo)さんが毎年夏に企画されている東北でのボランティア演奏会です。2012年より数えて、今年で4年目を迎えることとなりました。

はじめて石巻を訪れたとき、震災の傷跡が深く残る現地の光景を目の当たりにして、果たして音楽に何が出来るのだろうか、音楽は無力なのではないかと言葉を失った事を鮮明に覚えています。2012年の8月28日、演奏したあとに私はこんな文章を残していました。

2012.8.28

空は青く、雲は既に秋の軽やかさを見せていた。海の音が迫ってくる。

眼前には何もない。一年前までそこにあったであろう物が何もない。

見渡す限り、無。ただ海だけがある。振り返っても背後は山まで一望できてしまう。

悲痛な景色。山から伸びる雲が海と繋がろうとしている。

 

大地はひび割れ、家であっただろう場所、線路であったはずの場所に草が生い繁る。

海から吹き付ける風に黄色が揺れる。向日葵が海に背中を向けて咲いていた。

波の音。どこまでも静かな景色、喪失の静けさ。

草地の中に残された泥まみれの上履きが残酷だった。

 

目と耳に焼き付いて離れぬその光景。あらん限りの祈りを込めて指揮した。

アンコールとして演奏したyou raise me up、そしてsound of musicメドレーの

deep feelingと記された最終変奏に言葉が宿るように。

 

全三公演、演奏した先々で涙を流しながら聞いて下さった方々が沢山いらっしゃったということを後から知る。
音楽に何が出来るのかは今もって分からないけれども、少しでも心に届くものがあったならば。

 

そして2013年。

2013.8.24

石巻での最後のコンサートを指揮する前に、一年前に書いた自分の文章を読み返す。あのときから気持ちは全く変わらない。

復興はいまだ遅々として進まない部分もあり、けれども一年前より少し変わりつつある現地の状況と雰囲気を確かに肌に感じる。

暗い顔をしないように、前へ歩き出せるような明るい気持ちで。そして今年もまた、今の自分に出来る限りの心を込めて。

 

昨年も演奏させて頂いた介護施設で「ふるさと」を演奏したとき、聴いて下さっていた方々が合唱してくださった。
指揮しながら涙が溢れてくるのを抑えることが出来ず、ボードレールの「音楽は天を穿つ」という言葉を思い出す。

 

つたないながらも音楽に関わっていてよかった!

このメンバーと演奏できるのはこれが最後。今日の演奏会ですべてが終わる。

充実した三日間だったと思うと同時に、まだまだ演奏したりない、皆さんともっと音楽したかったという思いが溢れてくる。

晴れやかな顔で高らかに歌い上げ、一つ一つの音を慈しむように吹いて下さっていたあの光景を忘れる事は一生ないだろう。

 

音楽が何の役に立つかは今もって分からない。しかし、誰かに届けるために音楽はあるということを確信する。

師がいつもレッスンで語る「心から心へ」という言葉を思い返し、師にこの経験を話したいと思う。

 

最後に2014年。

2014.8.21

今年でもう三年目。

震災の傷跡が癒えたところ、まだまだ変わらないままでいるところ、三公演させて頂くうちに様々な光景を目にする。

今回自分の印象に強く残ったのは、毎年演奏させて頂いている老人ホームで出会った人たちに流れた「時間」の痕跡だった。

はじめてこの施設で演奏させて頂いたのは三年前。そのとき頂いた言葉をずっと考えていた。

「楽しい音楽をありがとう。来年は楽しい音楽と一緒に、美しい音楽も聴きたいな」

 

美しさとは何だろう?。それは一つだけに決まるものではないはずだ。

その場、その瞬間に最も相応しい美しさがあって、それこそが心を揺らすものとなり得るはずだ。

だとすれば、この場所で最も相応しい美しさを持った音楽とは何だろうか。

そのことを三年間ずっと考え・探し続けて、ようやく今年見出した。それはヴォーン=ウィリアムズの賛美歌

(平和と愛を謳う歌詞が宿っている)を弦楽合奏にアレンジしたもので、Rhosymedreという前奏曲だった。

大らかな二拍子で振るなかに、どれほどの色彩と祈りを込めることができるか。
演奏して振り返ったあと、聞いて下さった方々が涙を流していらっしゃった光景に出会えて、心から良かったと思えた。

 

終演後、「また来年も待っている!」と毎年元気に挨拶して下さっていた施設代表のお爺さん。
何よりも今年、自分の頭から離れないのは、このお爺さんの言葉だった。昨年のように元気に挨拶をされたあと、

「天国への良い土産が出来た。でも、こんなに素敵な演奏を聞いてしまうと、現世はやっぱり良いなあとも思うのです」と…。
その一言に籠められた想いと過ぎた時間を思い、指揮棒を握ったまま立ち尽くしながら、人目も憚らずに泣いた。

 

今年は演奏者の我々にとっても特別だった。

はじめてこの団体に関わったときに二年生だった主要メンバーが四年生となって卒業していく最後の年でもあった。

僕も変わったし、みんなも頼もしくなった。次にこの人たちと一緒に演奏できるのはいつかな。
そんなことを考えながら、三年前に見た海に背中を向けて咲く向日葵のことを思いながら、最後にYou Raise Me Upを指揮した。

 

またここで演奏できることを、そしてまた、あのお爺さんに聞いて頂けることを願って止まない。
この人に聴いてほしいから僕は音楽をする。一年間の目標として常にそのことを忘れないようにしたい。

 

こうして読み返してみれば、私は演奏するということの「意味」を、東北で演奏する経験を通じて教わったのだと思います。亡き師がいつも言い続けた「心から心へ」という言葉の重みをこの経験から肌で知り、音楽と祈りがほとんど同じ次元にある行為だということを考えるに至りました。徹底的に「人」であること。人を愛し、人と作り、人に捧げるということ。たくさんの失敗と経験を経て、いまはそのことが最も本質的であると信じています。

2015年は三日間で四公演。中々にハードなスケジュールでしたが、むしろ演奏会ごとにエネルギーを頂いたような心地がしていて、演奏会すべてを終えてみたいま、東北へ向かうときよりもさらに元気になっている感覚があります。今年は子どもたちを対象にした演奏会も数回ありましたので、Worldship OrchestraやUUU Orchestraで得た経験を活かして、今までよりも即興的に・自由に、演奏会を作って行くことにこだわりました。フィリピンやカンボジアでやってみて大好評だった、子どもたちにオーケストラの中に入ってもらって演奏する試みも行ってみました。指揮する私の前に集まってくる子どもたち、楽器のベルを覗き込むようにしてきらきらした眼差しで聞く子どもたち…忘れ難い経験になっていたらいいな。

四年目となった施設での演奏もまた、今の自分に出来る限りの演奏をしたつもりです。演奏を終えたあと、「なんていい曲…」と呟いて下さったおばあさんがいらっしゃったのが嬉しかった。昨年ご挨拶を頂いたお爺さんには今年会うことができなかったのですが、お元気でいらっしゃるということを伺ってほっとしました。

 

帰りのバスの中で、参加された奏者の皆様が一人一人述べる感想を聴きながら、今年も参加することが出来てよかったなあとしみじみ。自分の目と耳で見ること。心から心へ届くように演奏すること。この二つをいつまでも忘れないようにして臨みたいと思います。今年も指揮にお声がけ頂いたCommodoの運営の方々、ご一緒して下さった奏者の方々、そして聴いて下さったみなさま、本当にありがとうございました。

 

Commodo 2015年夏
Commodo 2015年夏