わたしたちの海へ

数冊の楽譜だけを持って最愛の宿に向かう。35歳になる前に必ずここに帰ってこようと思っていた。先程までのリハーサルは「あめつちのうた」。「うみへ!」と歌うあの美しい音楽に導かれるように、わたしは9月に発行される書籍に「海へ」と題した変奏曲を寄せた。そして、この宿には星空と海だけがある。わたしが愛した、わたしたちの海がある。

大学生のころ、すこしでも交通費を節約したくて、普通電車を乗り継いでそこへ向かったことを思い出す。免許を取り立ての友人の運転する車で向かおうとしたら、カーナビが教えてくれた場所は日本のまったく正反対の方角で、しばらく気づかずに東西を真逆に走ってしまって「やっぱり逆だよ!」とみんなで大笑いした。エンジンブレーキが効かずに坂道を加速して落ちそうになったこともあった。

オーケストラやデザインチームの友人たちともよくここを訪れた。ロビーのピアノで、当時とても好きだったセヴラックの「休暇の日々」の中の「ロマンティックなワルツ」を弾いた。サーフィンに、ビーチバレーに、ありとあらゆる遊びをして酔い潰れた。あの頃の仲間とは今も時間を共にする。しばらく会っていない人たちからも、それぞれの分野で活躍している様子が聞こえてくる。

乗り換えの駅ですら、そのたびに思い出が溢れてくる。集合の日にちを間違えて一日早くこの駅に着いてしまって途方に暮れていた人がいたなあ、とか、電車に間に合うかギリギリで走ったなあ、とか。

つまり、わたしの夏はこの宿と共にあった。というよりこの宿を訪れて波に遊んでもらうことがわたしの夏だった。しかし30代に入ってから、夏に日本を離れて指揮することが増えてきて、この宿を訪れることができなくなっていた。

最後に訪れたのはいつだっただろうか?道中に埋め込まれた夏の思い出をひとつずつ手繰り寄せながら宿へと向かう。過ぎた時間を慈しむ。それはどこか少し寂しくもあり、けれどもきっと、幸せという言葉以外では表しえないものだと思う。

さあ、もうすぐだ。そろそろあの海が見えてくる。

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