財布を忘れて

コンクール審査員のため神戸へ。途中、財布を自宅に置き忘れたことに気付くが、引き返す時間もなくそのまま搭乗。機内からこんな写真を撮りつつ無一文。これぞまさにキャッシュレス生活、流行の最先端を爆進しています。(白目)

と書いたところ、友人たちから「それはキャッシュレスというよりマネーレスでは」という手厳しいツッコミを受けました。いやいや、久しぶりにこんなシチュエーションになりました。といっても、Apple watchである程度のことが出来るので案外困らなかったりします。iPhoneやApple watchが無かった数年前ならただただ絶望していたよなあと考えて、ふと、旅の思い出が蘇ってきました。

それは、はじめてヨーロッパを訪れたときのことでした。今から9年前ぐらいのことで、大学三年時の旅だったと思います。European Fall Academyというところが主催している国際セミナーの受講生として選んで頂き、奨学金を頂戴してヨーロッパに渡ったのです。実は、ちょうどその前に「〈身体論〉南京大学特別講義」の派遣学生としても選んで頂き、中国の南京でしばらく勉強させて頂く機会がありました。(初海外はこの南京でした。)

中国での身体論セミナーは人文科学系のプログラムで、今回のドイツでの国際セミナーは社会科学系。人文・社会の両方で海外派遣学生に選んで頂けたことが当時の自分にとっては本当に嬉しくて、学問の世界に触れられることが楽しくて仕方ありませんでした。折しもちょうどドイツ語とフランス語をやっていたので、ようやく試す機会が来た、と息巻いていました。

お金を節約すべく、ベトナム航空を利用して8時間ぐらいベトナムでトランジットをして、最初に向かったのはフランス。初のフランス滞在がどれだけ自分にとって刺激的なものであったか、当時のブログを読むと今でもありありと思い出されます。フランス語を使うには全く実力不足で全然伝わらなかったわけですが、これが進路を決めるうえで決定的な体験となったのかもしれません。

フランスからは、ドイツのオッツェンハウゼンという街にある研究施設で“The European Union under the Lisbon Treaty: Past Experiences and Future Challenges” をテーマに多国籍の人たちと集中セミナー。これは本当に面白く、夕方までずっと英語でディスカッション、夜はドイツビールを飲みながらケーゲルシュタット(ボウリングの原型のような遊び)という日々でした。EUの複雑極まりない意思決定システム、しかもそれを英語で学ぶことに悶絶し、オフの日にはルクセンブルクにある欧州司法裁判所でセミナーを受けて「8ヶ国語は日常的に実用できる」と普通そうに話す職員さんに心底圧倒され、ルクセンブルクの雨に濡れた石畳の美しさに感動し、ムール貝を食べまくりました。

充実したセミナー期間を終えて再びパリに戻り、日本の友人たちにお土産を買って、またベトナム航空に搭乗。(今考えてみればクレイジーですが)ベトナムではトランジット時間が23時間ぐらいあったので、近隣ホテルで仮眠しようと思った矢先のこと。財布の中身の後先を考えずに使ったからでしょう、カードは使用金額の上限を迎え、財布の中身は1ユーロしかありませんでした。

これではホテルまでタクシーに乗ることもできない!しかも23時間何も食べられないではないか!それに気づいたときの絶望はなかなかのものがありましたが、無謀なことを楽しんでしまうという性格ゆえ、「とりあえずホテルまで走るか」という謎の思考に。半袖一枚になってスーツケースを引きずり、メコン川の横をダッシュで走ってホテルへ。かろうじてチェックインしたあと部屋で仮眠。でも、さすがにお腹がすいてきます。

財布の中には1ユーロ。フォーすら食べられません。何か食べられるものは無いのか。ホテルの狭い部屋を見渡した時、インテリアのようにしてフルーツが飾ってあるのを見つけ、「これは食べてよいものなのか…?」と躊躇しながらも空腹に負けてパクリと。ついで、パリで買ってきたお土産のなかにチョコレートがあるのを思い出してムシャムシャと。(配るはずだった日本の友人たちには本当に申し訳ないことをしました)

蒸し暑い、独特の香りが漂うベトナムのホテルでたった一人。残金1ユーロ。お土産のはずのチョコレートを非常食にかじる。これ以上何かで追加の費用が発生したら日本に帰れないかもしれない。そんな状況に自分が今あることを考えると、不安を通り越してなんだか笑いが込み上げてきました。しかも、チェックアウトの際にはホテルの方の手違いで「宿泊料をまだ頂いていません」と言われたり。「これは本当に帰れないかもしれない…」と流石に冷や汗をかきましたが、結局なんとか無事にチェックアウトして空港までたどり着くことができました。もちろん、またスーツケースを引いて朝3時にメコン川沿いを爆走したわけです。

ついに空港についたときの達成感といったら!!「やったぞ!」と叫びたくなるぐらいで、これほどまでに日本に帰りたいと思ったことはありませんでした。明るくなりはじめた空を見ながら、いまビールを飲んだら美味しいだろうなあと妄想しつつ。

それから色んな旅を重ねました。フィリピンで指揮した後にカンボジアでの皇太子様御前コンサート指揮へ向かう際には、マニラ空港前の渋滞にはまってタクシーを飛び降り、空港前の長い坂を走って駆け上がりました。モロッコで指揮したあとには、カサブランカ空港の暴動に巻き込まれて予定の飛行機に乗れそうもなくなり、空港内を職員さんと全力ダッシュしたこともあります。こうして搭乗前に走る羽目になったとき、いつもこのベトナム1ユーロ事件を思い出すのです。あの頃はこんなふうに指揮棒と燕尾服を携えて世界を旅することになるなんて考えもしなかった、と懐かしくなりながら。そして、財布を忘れた今もまた、このときの記憶が蘇ってきました。今日は走らずにすんでいるのが救いかな。

……と、ついつい長くなってしまいました。財布を忘れると出来ることが少なくて、コーヒー1杯で凌ぎながらこんな文章を書いてみた次第。さて、毎年楽しみにしている合唱コンクールまでもうちょっと。全神経を集中させて審査したいと思います。

(余談:ベトナム1ユーロ事件当時、指揮を教わりはじめて1年ぐらい。このころコンサートを控えて勉強していたのがプロコフィエフの「古典交響曲」で、ベトナム航空のなかでもずっとこの楽譜を開いていました。全くの偶然なのですが、11月末に九州で「古典交響曲」の初リハーサルを控えていて、今このブログを書いているテーブルには古典交響曲の楽譜が積まれています。巡り合わせは不思議ですね。)

Paris sans fin.
Paris sans fin.

 

 

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