立花隆、好奇心の炎

大学時代の恩師であり、助手をさせて頂いた立花隆先生が旅立たれました。ゼミ生としてピアニストのエリック・ハイドシェックにインタビューにいったことが私が休学して指揮を学びはじめるきっかけになったのですが、その意味でも、立花先生に出会うことがなければ今の私は決してないと思います。

先生の長い歴史に比すれば私は僅か数年間の関わりに過ぎませんが、大学時代に教えを頂き、助手としても日本を一緒に回らせて頂いたりと、私にとって先生はまさしく「師匠」でした。先生は覚えていらっしゃるか分かりませんが、山口で助手仕事をさせて頂いたあとに、「素晴らしい仕事だった。君の腕なら人生なんとでもなるよ」と言って頂いたことを私はずっと心の支えにしてきました。あの立花隆が言うのだから自分の人生はきっと何とでもなるのだろう。『青春漂流』で先生が書いている通り、「船出」の時期をたのしみに、やりたいことをやっていこう。そんなふうに思い続けて今日まで歩いてきました。

…と、書き始めると想いが溢れてキリがありませんが、先生のサイトの「ゼミ生からのメッセージ」に助手時代の思い出をすこしだけ寄稿させて頂きました。(本記事最後にも自分の寄稿文を掲載しておきます)

自分の文章以上に、ここに寄せられた他の方々の思い出を読んでいると、先生がどれほど人を愛し、人に愛されたのかが伝わってきて心震えるものがあります。ひとりひとりが描く先生の思い出がチャーミングで優しくて厳しいこと…。

先生のことですから、きっともうすでに向こうの世界で取材活動を開始していることでしょう。(よくわからないシステムを使って向こうから電話がかかってきそうで怖いです。時差はどれぐらいなのでしょうか…。)「なるほど、死後の世界はこういうことだったのか!」と興奮して過ごしていらっしゃるような気もします。

立花先生。本当にありがとうございました。先生から教えていただいたことを、私も次の世代に伝えていきたいと思います。

・学生時代(ちょうど10年前!)休学することを決めたときのブログ。

猫ビルで立花先生と。(2017年) 

立花隆、好奇心の炎

自分は何も知らないし、何も読んじゃいない!立花先生とご一緒させていただくたび、そう叫びたくなりました。大学を休学した23歳の私を助手として受け入れて下さり、先生と多くの時間を過ごさせていただいたあの『青春漂流』の時間がなければ、今の私は決してありません。徹底的に調べること。ひとの声を聞き、ひとに伝えること。指揮者を職とするようになった今、先生のもとで修行させて頂いたことはそのまま日々に活きています。

助手時代、先生と過ごす時間は真剣勝負でした。少し仮眠するね、といって机に突っ伏したあと、朝三時に唐突に起きて原稿用紙を埋める先生。はいこれ、と渡された原稿を読んでみると、机に積み上がっていた何十冊もの文献が見事にそこに集約されていて、どうしてこんなことが出来るんだろうと呆気に取られたことをよく覚えています。

一方で、先生は大変な速筆だったこともあり、原稿にときどき解読不能な部分があったのですが、それを「ここがどうしても読めません……」と持っていくと、「知らないから読めないんだよ」と言われてハッとしたことがありました。あるいは、100枚ぐらいスライドを作った講演会で、「次、あの青いやつください」と言われたとき、20枚ぐらいすっ飛ばしてその「青いやつ」を一発で出せるかどうかも重要なことでした。つまり、そのテーマについて立花隆と思考を同化できるぐらいにリサーチしておくのが「助手」というものなのだと言外に教わったように思います。

立花先生の凄まじさは、その博覧強記ぶり以上に、「知る」ということそのものに対する強烈な欲望にありました。知らないことは知りたくなる。知ることは楽しい。知ったことは伝えたくなるし、知ったことが繋がってくるのはもっと楽しい。そんなふうに、立花先生の好奇心の炎は途切れる事がありませんでした。

実は立花先生と誕生日が一日違いなんです。そう話したところ、「じゃあ仕事が終わったらワインでも飲もうか」と言って頂いて、明け方に猫ビル(事務所)でお酒をご一緒することになったことがありました。かつてブルゴーニュに拠点を持っていらっしゃった先生のこと、どんなワインが出てくるのだろうと楽しみにしていたのですが、「じゃ、ちょっとそこのコンビニまで買いに行こう」と笑う先生。ところが980円のコンビニのワインですら、先生と飲むと本当に面白かった!このワインはさ、コンビニってものはさ、この自転車のラベルは今書いていた原稿にも関係するんだけどさ……、と話が無限に広がりながら、最後にはなぜか大江健三郎の話になっていました。

自分の生きている世界は狭いものかもしれないけれど、それでも世界は、いつでも外へと広げる事が出来る可能性をその内に秘めている。立花先生から与えて頂いた、さまざまな領域のプロフェッショナルへの限りない敬意と好奇心の炎を絶やさずに生きてゆきたいと思います。先生、また向こうでお会いした際に、一緒にたくさんお話しさせてくださいね。

木許 裕介
東京大学 第三期立花隆ゼミ

(追記)
・2021/6/30放映「クローズアップ現代」立花隆追悼特集番組に映像資料を提供しました。

・2021/7/1「週刊文春」7月8日号(立花隆追悼特集号)にてインタビューを受けています。

3 thoughts on “立花隆、好奇心の炎

  1. はじめまして。

    九州熊本在住の岸本亨と申します。

    立花隆さんのご逝去にともなう様々な報道の中で、木許さんの存在を知りました。

    私も若年の頃より文学と音楽が大好きで、あの立花隆に身近に師事し、なおかつ東京大学を休学してまで音楽・指揮の道に進まれた木許さんの足跡は、まばゆく輝くような感銘を私にもたらしています。

    このたびのご逝去をきっかけとして、あらためて立花隆という存在の大きさを実感し、今その一つ一つの文章を丁寧に読み返しています。

    そしてその立花隆の薫陶を受けた、木許さんが今音楽の世界で力強く羽ばたいておられることをOfficial WebsiteのProfileで知り、
    目を見張る思いがしています。

    立花さん、向こうの次元で目を細めておられることでしょう。

    木許さんのことは、ご活躍の概要を知ったばかりで、知ったふうなことは言えませんが、おそらくこれから言葉と音楽を新たな切り口で融合させ新世界を切り開いていくようなお仕事をされるのではと直感しています。

    今後の展開を拝見してまいりたいと思います。

    ますますのご活躍をお祈りします。

    • Yusuke Kimoto

      岸本様

      この度はコメントを頂戴しましてありがとうございます。立花先生の存在は本当に大きく、何か具体的なことを教えて頂いたというよりは、側にいるあいだに見た一つ一つの振る舞いに多くを学ばせて頂きました。厳しく、優しく、あたたかい人でした。
      指揮もまた、多くのプロフェッショナルたちとコラボレーションしていく仕事として、立花先生から頂いたものが大いに役立っています。言葉を音楽を往復する日々を過ごすことができているのはまさしく先生のおかげですね。

      頂いたコメントに背筋が伸びる思いです。岸本様のご期待に応えられるよう、これからも自分なりの領域を開拓して参ります。末長くどうぞよろしくお願い申し上げます。

      木許裕介

      • 木許裕介 様

        御多忙な中、ご返信ありがとうございます。

        ご活躍を愉しみに拝見いたします。

        岸本 亨

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