矛盾のバランス:モーツァルト考

モーツァルトは難しい。繊細に弾くのだが神経質であってはいけない。豊かに響くフォルテがなければいけないが、押し込んではいけない。軽やかな語尾が無くてはいけないが、つんのめってはいけない。インテンポで弾かねばならないが、メトロノーム通りではない。はじめて楽器を持って音を出したときの子供ように純粋な心でなければいけないが、純粋であろうとしてはいけない。厳しくなくてはいけないが、その根底には音楽の楽しみがなくてはいけない。

ゆっくり走れ、と言うかのごとき、矛盾するもののバランス感覚を求めてくるこの作曲家は、いつも私たちを喜ばせ、そして時に苦しめる。こんなにリハーサルが難しい作曲家が他にあるだろうか?モーツァルトの「正体」というべきものを掌握している人はいるのだろうか?頭のなかで音が鳴っていても、全ての音を空んじることも、めくるめく転調の妙技を事細かに説明することが出来たとしても。こんなに好きなのに、思い通りにならない悲しみ!指揮するたび、自らの無力を痛感して悔しくなる。定期的にモーツァルトに取り組んでは、自分は何一つ分かっていない!とその未熟さに打ち拉がれる。

けれどもモーツァルトのことを嫌いになりはしない。なぜならその音楽は、嫌いになろうと思ってもなれないほど魅力的だからだ。背伸びの通用しない音楽。だからこそ、今には今しか出来ないモーツァルトがある。はじめてオーケストラを指揮したときも、プロオーケストラで指揮したときも、その最初の曲はモーツァルトだった。これからまた何度もモーツァルトに取り組むだろう。やってみては自らの無力と未熟を痛感し、何度も何度もこの苦い経験を繰り返していった先に、少しは納得できる日が訪れると信じて。