静岡で楽しく打ち合わせをしたあと、福井へ。北陸芸術交歓祭に出る福井大学フィルの学生さんたちの勇姿を応援しに、そして愛弟子の学生指揮者さんの晴れ舞台を祝いにゆく。
静岡からは、米原経由で福井に向かう。最近は東京から福井まで小松空港経由で行くことが多かったから、米原駅経由は久しぶりだった。折しも今日は見事な晴天。冷たい秋風の吹き抜ける米原駅に何ともいえない旅情を感じ、思わず立ち喰い饂飩に飛び込む。東西のつゆの分岐点を越え、ここではもちろん関西風の味を楽しむことができる。優しい味がしみる。自分はこちら側の味で育ったんだなあ、としみじみする。 日本全国・世界各地を転々として旅の多い日々だけれども、それが負担と感じたことはない。日々にたくさんの新鮮な驚きがあって、移動は自分にとって欠かせない時間なのだと改めて思う。
あたたかい饂飩をすすっていて不意に頭の中で詩が蘇る。
「比良の白雪 溶けるとも 風まだ寒き 志賀の浦
オールそろえて さらばぞと しぶきに消えし 若人よ」
旋律なしで言葉だけが降ってきて、それでも涙腺が緩む。あれ、これは何の曲だっけ??気になって調べてみると、それは「琵琶湖哀歌」と呼ばれる追悼歌の一節であることがわかった。よく混同されるものに、「琵琶湖周航の歌」があって、こちらも
「矢の根は深く埋もれて 夏草しげき堀のあと
古城にひとり佇めば 比良も伊吹も夢のごと」
の一節が有名だろう。前者、つまり琵琶湖哀歌は、1941年6月琵琶湖でのボート転覆事故を悼んで書かれたものだったのだ。
それを知ってすぐに連想されるのは「七里ケ浜の哀歌」だ。鎌倉のひとたちが特別に大切にしている曲。1910年のボート転覆事故を悼む曲であり、僕はこの曲を、鎌倉の覚園寺でコンサートのナビゲーターをさせて頂いたときに知った。「真白き富士の根……」と朝比奈惠温和尚が朗しはじめたときのあの衝撃は忘れがたい。それは祈りだった。ああ、言葉には魂がこもるのだと思った。
ついで、貴志康一の仏陀交響曲のことを思い出す。作品に仕えるというあり方。それはつまり「祈る」ことだ。音楽は、言葉は、その発祥がそうであるように「祈り」の身振りそのものなのだと、関われば関わるほどに痛感する。
米原駅での乗り換え時間は、そんなことを考えている間にあっという間に過ぎ去って行った。がらがら、と趣のある扉を引いて、立ち喰い饂飩屋さんからホームに出る。ひゅん、と通り抜けていく新幹線。あとから秋の風がやってくる。