イタリアで年越しをするのも二度目になった。ある程度その国の言語に晒されると、夢をその国の言語で見はじめるようになる。 コップに満ちて行った水が溢れるように、ある程度のリミットを超えるとこの現象が起きる。フランスにいた頃には、滞在一週間ぐらいでその現象が起きた。 はじめてイタリアに来たときには三日目でそうなった。
日本にいて、外国語の文法を勉強しているだけでは、その状態に至るには(少なくとも僕の場合)相当に時間がかかる。日本の卒業論文をフランス語で書いていたときだけが例外で、このときは提出前になって夢がフランス語になった。つまりは、触れる、という状態から、漬かる、という状態に頭が切り替わり、思考のベースがその国の言語になったとき。そうならなければ、夢はその国の言語に切り替わらない。
夢の中で流れている外国語は、堪能なわけではなく、文法的にもきっと怪しいものだろうけど、とにかく高速で何かが流れていて、何かを話している。おそらくは、それまでに浴び続けた言語の「リズム」が耳に残っているのだと思う。イタリア語の場合は、タタータ、タタラータ、というリズムであり、伸ばしの部分には独特の節回し=歌が宿る。
リズムと歌。言葉に宿るこの感覚は、音楽に直結する。ヨーロッパ、とくにラテン系の国に来て感動したのは、裏拍の豊かさだった。先程のタタータ、において印象的なのは、二つ目のタ、ある種の裏拍なのだ。
日本にいると、裏拍というのは、意識の必要性を説かれながらも、表現の対象というより削りの対象となることが多い。少なくとも僕が受けて来た音楽教育はそうだった。だが、ここで耳にする裏拍は全く違う。裏拍にこそ魂がある。裏拍が生きている。それによって、よりいっそう表拍が輝く。結果として表拍と裏拍に関係性が生じ、それらが小節線を跨いで連結されることによって、独特のラインが生まれる。
リハーサルを見学させて頂いたイタリアのオーケストラが、ニコライの『ウィンザーの陽気な女房』序曲を演奏したとき、そのぎこちなさに驚いた。イタリアでも五本の指に入るこのオーケストラ、オペラやイタリア音楽を演奏させたら豊かなラインと歌を形成するこのオーケストラがどうしてしまったんだ!とすら思った。音楽のなかで拍を探り、拍と拍が分離しているような不格好な音楽だった。だがしかし、二度目にやり直した時、そこで生まれた音楽は、全くもってイタリア的な、長大なラインの形成された音楽だった。
何が違うのか。それは明らかだった。彼らは歌っていた。拍と拍の関係性を理解し、マエストロの棒から音楽の行き先を察し、全体のなかでその部分がいかなる意味を持つのかを瞬時に理解していた。音楽の喜びを心から感じつつも、音と音の関係性、もっと大きな言葉でいえば、「構造」を直感していた。理性と感性の両面で全体を俯瞰し、大きなフレーズを形成する。それこそが「歌う」ということなのだろうと思った。
イタリアにはcantabileやespressivoはない、と聞いたことを思い出す。なぜなら、すべてがcantabileやespressivoであり、そうしたものが欠如したものは、もはや音楽ではないからだ、と。
年が明けてから、教会のなかでオルガンや祈りの声をずっと聞いていた。ここには拍はない。響きだけがある。朗唱は必ずしもアタックが揃うものではないが、空中で余韻に回収される。響きに響きを重ねて巨大なものが形成されていく。拍とは西洋が発明した偉大なる表記方法であるが、あくまでそれは、他者への伝達を目的とした記述方法であり、もう一つの本質は、即興的な音楽、拍に回収されず拍を超え出て行くものにある。
「守破離」における守の領域から、ようやく少し脱せるのではないか、という直感がある。「破」に至るまで短くはない時間がかかったけれども、それもまた必要な時間だった。守を経て、破の入り口が見える瞬間。いや、もしかしたら気のせいかもしれない。だけど、それが気のせいであるかなんて、他の誰にも分からないことだ。遠くに教会の鐘を聞き、濡れた石畳を歩きながら、30歳で何者かになりたいと思っていた過去の自分に決別しようと思う。
Je partirai ! Steamer balançant ta mâture, /Lève l’ancre pour une exotique nature !
マラルメの「Brise Marine 海の微風」を呟く。マラルメにとっての出発と決別の歌であり、定型詩から自由詩へ至る宣言でもある一篇。20代とは異なって30代とはおそらく、自ら強く強く求めて行かなければ、自分がラディカルに崩されるような体験に巡り会えなくなる年齢だろう。
30歳で安定を求めるか、冒険を望むか。どちらの生き方を選ぶのかは人それぞれだが、自分はどうやら後者だった。30歳で何者かになれたら、と思っていた昔の自分は大間違いで、30歳で何者かになった気になってしまってはそこで終わりなのだ、ということに気付いた一年だった。
餓えていなければならない。新年を迎えたいま、もっともっと学びたいという気持ちで溢れている。