東京大学ドリームネットさまからオファーを頂き、駒場キャンパスで講演会と対談をさせて頂くことになりました。対談の御相手は、学生時代にお世話になった特任准教授の岡田晃枝先生です。学生時代の経験や指揮者という職業を志した経緯などを語ってほしい、ということでしたので、立花隆先生の名著で私が愛してやまない一冊である『青春漂流』を講演会タイトルに引用させて頂きました。
ドリームネットさんは東京大学のサークルで、いつも各界で活躍されるOBをお招きして講演会などを企画されています。そのなかの一人に加えて頂けることは、駆け出しに過ぎない私には分不相応に思えて恐縮ではあるのですが、同時にとても嬉しく思っています。2009年、今から7年前、つまり私が大学二年生として駒場キャンパスで学んでいたころ、こんな青い文章を書き残していました。
周りから見ていると分からないかもしれないが、進振りが迫ってきたいま、僕は真剣に進路を悩んでいる。
やりたいことが多すぎる。ずっと前から分かってはいたことだが、おそらく進振りの直前まで悩み続けることになるのだろう。だが、誤解を恐れず言ってしまえば、どこの学部に行くかというのは大した問題ではないと思っている。
「東大なんたら学科卒」という看板を外しても、社会でしっかりと生きれるような人間になりたい。
校内を歩いていると目に入る、ドリームネットというサークルが主催している交流会のポスター、自分-東大=?というキャッチコピー。
もう少し目立つようにデザインすればいいのに、と残念になるぐらい、このコピーは重要な意味を持つものだと思う。
自分から東大という名前を取ったときに何が残るか。今、たとえばここで突然東大が消滅し、自らの所属が無になるような状況が生まれたとき、自分は何を拠り所にして生きるか。
大学という所属を持っていると、所属しているというだけで安心感が生まれる。
そして、次第にそれに依拠してしまいがちである。(五月病なんてのもその一種だと考えられるかもしれない。)
予備校に所属する事もなく、自習室を借りて二浪していた時、とても貴重な経験をした。
どこにも属していなかったから、何かの証明書に記入する時には、高校生でも大学生でも社会人でも学生でもない「その他」に丸をつけることになる。この恐怖といったら!!
宙ぶらりんの恐ろしさ、当り前のように踏んでいた足場を外されたときの言葉にしがたい恐怖。自分は何者でもない。学んでいるわけでも働いているわけでもない単なる「その他」である。
だが、「その他」でしかないのか、と気づいたとき、「最強のその他」になろう、という目標が生まれた。
失うものは何もない。どこかを除籍されることもなければ、呼び出されることもない。誰にも何にも所属しない中でも自信を持って
自己を確立できるように、どこにも属さない貴重な時間を使って出来る限りのことをしなければならない。ひとまず大学に所属するようになった今でも、その気持ちは変わっていない。
どこに進学するにせよ、究極的には東大が突然あした消滅したとしても、社会で逞しく生きていける人間になりたい。
数か月後の進振りで些末な事象に拘泥して道を見失ってしまわないよう、数か月後の自分に向けて書いておいた。(2009.5.21)
自分から東大という名前を取ったときに何が残るか。これまで生きてきた世界とは全く違う世界で自分はどこまで必要とされるのか、挑戦してみたい。この問いと欲望が大学一・二年生のころから頭の中にずっとありました。今こうして振り返ってみれば、大学生として私も将来に悩み、自分が自分である意味を求めて格闘していたのでしょう。そのことに答えが出たとはまだ言えませんが、この問いを立てていた頃の青い自分に軽蔑されないチャレンジングな生き方は出来ているのかもしれないな、と思います。そして何よりも、沢山の友人や師と呼べる存在に巡り会って、心底「面白い」と思えるようなものを見つけたことは確かだと思っています。私にとって浪人や休学を含んだ大学時代は、立花先生の言う「船出」のために必要な時間でした。
自分の人生を自分に賭けられるようになるまでには、それにふさわしい自分を作るためには、自分を鍛えぬくプロセスが必要なのだ。それは必ずしも将来の「船出」を前提としての、意識行為ではない。自分が求めるものをどこまでも求めようとする強い意志が存在すれば、自然に自分で自分を鍛えていくものなのだ。そしてまた、その求めんとする意思が充分に強ければ、やがて「船出」を決意する日がやってくる。その時、その「船出」を無謀な冒険とするか、それとも果敢な冒険とするかは、「謎の空白時代」の蓄積だけが決めることなのだ。青春とは、やがて来るべき「船出」へ向けての準備がととのえられる「謎の空白時代」なのだ。そこにおいて最も大切なことは、何ものかを「求めんとする意志」である。それを欠く者は、「謎の空白時代」を無気力と怠惰のうちにすごし、その当然の帰結として、「船出」の日も訪れてこない。彼を待っているのは,状況に流されていくだけの人生である。
(立花隆『青春漂流』あとがきより)
私なりの「青春漂流」。どんな話になるか分かりませんが、ぜひ沢山の方々に聴いて頂ければ嬉しいです。詳細やお申込みはドリームネットのオフィシャルページから御覧下さい。