貴志康一「仏陀」交響曲を終えて

なんという曲だ。この中毒性、底知れぬ深み、心をかきたてられるパトス。終わってからもう2か月近く経つのに、今も頭の中にはこの曲が渦巻いている。

芦屋交響楽団さんとの、「貴志康一生誕110年記念演奏会」は、ほぼ満席のお客様に恵まれて終演した。たくさんのご感想を頂いたけれども、何よりも嬉しかったのは、貴志康一のご遺族でいらっしゃる相馬様から頂いた感想だ。相馬様のご許可を頂き、ここに紹介させて頂きます。

「木許様の力強い指揮、芦響のメリハリのきいた演奏を聴きながら、お釈迦様の生涯が目に浮かぶとともに、ホテルに閉じこもり仏陀を一生懸命作曲している伯父の姿を思い浮かべ、母同様涙が出ました。貴志康一のすぐ下の妹で私の母山本アヤは、86歳の頃あるタウン誌の対談の中で、『仏陀を聴くと泣けて泣けて、兄の苦労、努力を思い出しまして』と語っています。

 

本当に素晴らしい演奏でした。新進気鋭の指揮者木許様と貴志康一の感性がピタリとヒットした瞬間だったのかと思います。木許様の「仏陀」として今後もどうぞ愛して下さいませ。伯父をはじめ遺族たちは天国できっと大喜びしていることでしょう」(相馬勇子様より)

 

こんなに幸せなことはない。なぜなら僕は、本番の直前にこんなことを書き付けていたから。

作品が自分を突き動かすのか、自分が作品を揺さぶるのか。作品に「仕える」という身振りはその双方をあらわす。今日、貴志康一の「仏陀」交響曲を振っていて、常々目標としている感覚をようやく得た。作品が自分に、自分が作品になったという同一感。作品に徹底的に仕えようと試みた結果、どこかで「融解的に」作品を創造することに至る。まるでその瞬間に作曲するかのように指揮するあの感覚。再現を超えて生成の次元に達したときのあの快楽。(リハーサル後のメモより)

 

作曲するかのように指揮する。偉大なる貴志康一と卑小な自分とが同じ次元に立てたとは到底思えないが、少なくとも自分のなかでは、作曲者と自己とが溶けるような感覚を味わうことができた。だからこそ、「こうであるはずだ」という確信を持って指揮することが出来た。何度もこの「仏陀」交響曲を聴き、僕よりも遥かに貴志作品への思い入れも強いであろう相馬様に上記のような感想を頂けたことを誇りに思う。

中高時代を過ごした兵庫県で「オーケストラ」を振るのは、実はこれがはじめて。普段より応援を頂いている上野社長ご家族に、平井様はじめ灘校のOBや保護者の皆様、さらには和田校長先生はじめたくさんの先生方と現役生が会場に駆けつけて下さって本当に嬉しかった。兵庫での初公演が芦屋ルナ・ホール で貴志康一の「仏陀」交響曲と芦屋交響楽団で本当に良かった。皆様の素晴らしい演奏とサポートのおかげで、やりたかったことを実現することができた。応援して下さった皆様に心から御礼申し上げます。

ああ、それにしても。やっと書けた。ずっと、終演したということを書こうと思っていたのに、しばらく書くつもりになれなかった。確かにあの日は終わったけれども、「終わった」と言いたくない気がしていたのだ。

それは何故か?たぶん、この交響曲が終わりなき構造で織られているからだ。輪廻のごとく、4楽章の最後の音が終わった時から1楽章が流れ始める。4楽章の終わりは、マーラーの9番、ブルックナーの9番、そしてワーグナーのタンホイザーだ。西洋音楽が表現に苦心してきた「神」と「死」それを貴志はここで彼なりに「仏陀」の姿に託して描き出そうとした。当時25歳だった彼は、1930年代にこんな壮大な夢を抱き、ベルリン・フィルに真正面から夢をぶつけたのだ。

だが、西洋の「神」の感覚、西洋の死と生の感覚と同じではない。アジアの死と生はめぐるのだ。静けさの中に4楽章が過ぎ去ったあとには、また1楽章がめぐるのだ。そして、慈愛の2楽章・地獄の3楽章・涅槃の4楽章を経て、再び1楽章に至る…。輪廻転生。つまり我々はこの交響曲から抜け出すことが許されない。激しく向き合えば向き合うほどに、このループの中を際限なく巡る。巨大な建築物を作るような西洋的なアプローチではなく、これは円環的な時間をどこまでも巡り巡るような音楽なのだ。

僕はこの交響曲の世界を一生賭けて巡り続けるだろう。確かに先日の演奏では、人生最初の「仏陀」交響曲では、渾身の演奏をしたという自信がある。でも次はもっと。25歳の貴志康一が成したようにいつかベルリン・フィルの指揮台に立ち、「この曲は100年前に皆さんが初演しています」と言いたい、と妄想することは無謀に過ぎるだろうか。

Koichi Kishi : Symphony "Buddha" 貴志康一生誕110年記念演奏会にて
Koichi Kishi : Symphony “Buddha”
貴志康一生誕110年記念演奏会にて

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