福井大学フィル64回定期演奏会(60周年記念演奏会)パンフレットに寄稿した文章を掲載させて頂きます。
大地を言祝ぐ – 福井大学フィル創設60周年記念演奏会によせて –
昨年に引き続き、福井大学フィルハーモニー管弦楽団さまを指揮させて頂くことになりました。福井で演奏させて頂いたのは昨年がはじめてだったのですが、伺うたび、人々の優しさに触れ、感動することばかりでした。
リハーサルのために全部で10回ほど福井を訪れましたが、思い返してみれば、ひとりで夕食をとったのはたった一夜きりだったように思います。団員さん、あるいはお店で出会った人たちが「一緒にどうですか」といつも誘って下さり、リハーサルのあとも大変に幸せな時間を過ごさせて頂きました。心の通う仲間たちと音楽をして、その余韻とともに素晴らしい海鮮と日本酒で夜を楽しむ。これ以上何を求めることがあるでしょうか!本当に幸せで、満ち足りた日々でした。
そんなわけで、昨年以来、福井という地に私はすっかり魅了されてしまったのです。ですから、また今年もこの場所で指揮させて頂けるというお話を頂いて、とても嬉しい思いが致しましたし、さらに今年は福井大学フィル創設60周年にあたるということを伺って、この記念すべき年にステージを共にさせて頂けることを光栄に思っております。
さて、日本中の大学オーケストラ界隈のあいだで密かな話題(?)を巻き起こした昨年の先鋭的なプログラミングとは一転、今年はシベリウスの交響詩『フィンランディア』、グリーグの『ピアノ協奏曲』、ドヴォルザークの『交響曲第八番』という、いわば「定番」の曲をならべたプログラミングとなりました。けれどもこれらは、馴染みのある曲を並べただけというだけではありません。
シベリウスの交響詩『フィンランディア』は、ロシア帝国の圧政にあえぐフィンランドの独立を願った、ある種の革命の歌であり、祈りの歌です。「第二のフィンランド国家」とも呼ばれる美しい旋律が印象的でありますが、こうした美しい旋律のうしろには、凍れる樹々の間を吹き抜ける風のざわめきが描かれていて、寒々とした北欧の情景へと聞くものを誘ってくれます。
グリーグの『ピアノ協奏曲』は、冒頭のピアノの雪崩落ちてゆく和音によってフィヨルドに流れこむ滝の流れを描いたとされていますが、冒頭のみならず、どの箇所を切り取っても雄大でスケールの大きなノルウェーの風景が見えてくるような傑作です。とりわけ第二楽章の、青白い冷たさのなかにそっと一輪の花が差し込まれたような、冬の寒さのなかで大切な人と手を重ねたときのような温かみには心打たれるものがあります。
ドヴォルザークの『交響曲第八番』は、プラハ南西のヴィソカという村に滞在していたときに着想を得て書かれた作品ですが、「神の作りたもうた自然という美を味わっている」とドヴォルザーク自身がこの時期に書き残しているように、 自然讃歌といっても過言ではない、のびやかで美しい交響曲です。当時の交響曲としては新鮮な設計が随所に施されながら、「私は単なる音楽家であるのみならず、詩人なのです」と話していたというドヴォルザークの筆が冴え渡り、印象的な旋律がとめどなく溢れ出しながら、そのひとつひとつに物語と情景が浮かんできます。朝霞のあとの鳥のさえずり。にわかに訪れる嵐。そのあとに差し込む陽光の美しさ、太陽に反射する雨の雫のきらめき……。
もうお気づきのことでしょう。今回の三曲を貫くものは、「自然」への畏敬や感謝といったものなのです。今回こうしたプログラミングを選択したのは、福井大学フィル創設60周年という区切りの年であることと無縁ではありません。ひとつの団体を長きにわたって続けていくということはきわめて難しいことで、60周年という歴史を迎えられたことは、今日この日に至るまでの団員の皆様の不断の努力はもちろん、地域の方々のあたたかいご理解や力強いご支援あってのことだと思います。自然への感謝や喜びが溢れ出すこの三曲の演奏を通して、福井大学フィルの長い歴史に、今日まで福井大学フィルを支えてきてくださったみなさまに、心からの感謝をお届け致します。
福井大学フィルハーモニー管弦楽団客演指揮者
木許裕介