新しき幻想:フェローオーケストラ第7回定期演奏会プログラムに寄せて

(※団員さん向けに書いたメッセージの一部を編集して掲載しています)今回も攻めたプログラムの演奏会を開催できることを嬉しく思います。ところで、未就学児も参加できるようなインクルーシヴな演奏会で、どうしてこんな曲目をやるのでしょうか?フェローオケの皆さんと作り上げたこのプログラムの意味を読み解きつつ、私なりの考えをまとめておきたいと思います。

<なぜこのプログラム?>

「死の舞踏」そして「幻想交響曲」という強烈なインパクトとシナリオを持った曲ゆえに、子どもにこのようなグロテスクで薬物中毒殺人といった要素が入る曲を聞かせるのはどうなのか?という意見が生まれるのは至極もっともでしょう。考えてみれば、「コッペリア」ですら、原作はホフマンの『砂男』というグロテスクな小説ですし、バレエ版もマッドサイエンティストの少女愛の物語として読むこともできるかもしれません。なんと不道徳なプログラム!

しかし、私は今回のプログラムは、子どもに開かれたこうしたコンサートにピッタリだと考えています。特にこの「幻想交響曲」は子どもの「かっこいい!」を否応なく掻き立てる仕掛けに満ちたもので、これほど豪華絢爛でオーケストラというものの良さが伝わる曲もなかなか無いと確信します。大人の視点で天井を作って子どもの可能性を押し込めない、ということを大切にしてこれまでやってきましたが、今回もそのポリシーに添った演奏会を出来そうでワクワクしています。

後述するように、幻想交響曲は良く知られたあのシナリオと過剰に結びつけて考える必要は必ずしもない楽曲で、私はむしろ、ベートーヴェンを超えた「新しさの追求」ということがこの曲の魂にあるように考えています。そして今回の演奏会プログラムはいずれも、「ファンタスティーク(幻想的)」なるものや「ファンタジー」という要素で貫かれている。

子どもが幻想的なものやファンタジーに惹かれるのは、ディズニーを想起すれば明らかです。子どもにとって、あるいは倫理的に、ディズニーの「ファンタジア」や「ホーンテッドマンション」と、ガイコツが踊り出す「死の舞踏」や人形が生命を得て動き出す「コッペリア」、そして「幻想交響曲」に何の違いがあるだろうか?私はこのプログラムをもって、それを問うてみたいと思います。

<幻想交響曲とシナリオ>

さて、今回のプログラムを読み解いて行きましょう。たしかに「幻想交響曲」はあまりにシナリオが鮮烈であるゆえに、どうしても薬物や殺人などのイメージを背負ってしまいます。しかし実は、ベルリオーズにとってそういうシナリオは二の次だった可能性が高いのです。

「交響曲だけを切り離してコンサート形式で演奏する場合には、この指示(※ストーリーの乗ったプログラムを聴衆に配布せよ)の限りではない。プログラムの配布は必要ではない。聴衆は5つの楽章の標題さえ覚えていれば十分である。この交響曲は、一切の演劇的な関心を抜きにしても、それだけで音楽としての魅力を十分にそなえているのだから」

1855年版以降のスコアに記されたベルリオーズのテキストより

このように、初演から最初のうちは、この曲を演奏する上ではストーリーをパンフレットに載せるように求めていたそうですが、最終的にはシナリオを配らなくても良い、想像を膨らませて聴いてほしい、というようなことをベルリオーズ自身が言うようになります。

近年のベルリオーズ研究で、鮮烈なシナリオが当初に添えられたのは、劇的なもの・衝撃的なものに飢える当時の聴衆を惹きつけ自分の名前を轟かせようとする、ベルリオーズならではの「戦略」の一環でもあったことが指摘されています。(ベルリオーズは相当に上昇志向や権力欲が強かったそうです)

では、彼がこの交響曲でやりたかったことは何か?Symphonie Fantastiqueという、これまで誰もなしたことのないタイトル、とくにfantastiqueというのは何のことなのか?それを考えないわけにはいかないでしょう。

<fantastiqueとは何か>

fantastiqueとは何であるのか、これは文学史上の重要なテーマです。長野順子氏の素晴らしい論文『「幻想小説」から「幻想オペラ」へ ―〈ファンタスティック〉をめぐって― 』(大阪芸術大学紀要論文、2017)によれば、フランス語のfantastique(幻想/幻想的)ということばの語源は、ギリシア語の「パンタスティコス phantastikos」=「何らかの現れを生み出す」にあるようです。

また、スタインメッツの『幻想文学』によれば、形容詞としてのfantastiqueは、中世フランス語においては「憑かれた (possédé)」の意味を指し、「悪魔的(démoniacle)」とも近い語であったことが指摘されています。

fantastiqueは論理に対立する。そういう意味では、また理性との対比を考えるとfantastiqueは空想、イリュージョン、さらに狂気の側に数えられると言えよう。(中略)fantastiqueにおいては、何ものかが現われるのだ。亡霊にしてもファンタスムにしても等しく現実の侵犯を伴っており、現実とはすべて狂った想像力、混乱した精神から生じたものにすぎないかもしれないという思想を公然と主張している。

(ジャン・リュック・スタインメッツ 『幻想文学』(文庫クセジュ) 中島さおり訳、白水社、1993、p.11)※長野氏論文にも引用されています。

一方で音楽史的な観点からすると、fantastiqueという言葉の中には、ドイツ語のFantasiaからの影響として、既存の形式には収まらない自由さや形式からの逸脱ということも含まれています。

きちんとしたソナタ形式で書かなかった作品に対して「ソナタ・ファンタジア」などの名前を与えた作曲家は多く見られますね。たとえばヴィラ=ロボスもそうで、彼の三曲あるヴァイオリンソナタのうち第一番・第二番は「ソナタ・ファンタジア」と付されています。(第一番の副題は「絶望」!)形式における「ファンタジア」は、あくまで厳格な形式からの逸脱を表明するものに過ぎず、幻想的な「ストーリー」とは関係が無いことには注意しておきましょう。

ファンタジアには、いっさいの既成や伝統に対する異議申し立て、自由な創意の謳歌といったニュアンスが込められている。(中略)つまり、拍子や形式のカテゴリーに縛られないこと、それどころか、ある程度までは作曲という概念自体からも自由であることこそ、ファンタジアのファンタジアたる所以であるというのである。(中略)ファンタジアのもうひとつの特徴は、即興性にある。たとえば今日でもオルガニストが即興で演奏することを「ファンタジーレン」と呼ぶが、これも意味するところは同じである。

ヴォルフガング・デームリング『ベルリオーズとその時代』池上純一訳、西村書店、1993、p.68)

このように、fantastiqueという言葉には、「悪魔的なもの」「何かの現れ」「狂気」「自由」「逸脱」「否定」といったエレメントが刻印されているのです。したがって、本質的に自由である「幻想」と、もっとも構築的な形態である「交響曲」を結びつけるのは矛盾に近い。ベルリオーズが「幻想交響曲」と付した作品を持って楽壇に立つということは、当時のヨーロッパの文化的バックグラウンドに挑戦状を叩きつけたようなものでもありました。

 

<ベートーヴェンの亡霊を超えて>


ベートーヴェンの第九が初演されたのがー年。ベートーヴェンが亡くなったのが1827年。そして1830年12月に幻想交響曲が初演されます。この頃のベルリオーズの日記や手紙を見ると、彼はベートーヴェンの楽曲がいかに衝撃的であったかを再三綴っています。引用してみましょう。

私は、シェイクスピア、ウェーバーの登場を立て続けに経験したばかりだった。そして私は、いままた、水平線の別の地点に、ベートーヴェンの巨大な姿が立ち上がるのを見たのである。その衝撃の激しさは、シェイクスピアのそれに匹敵するものであった。ベートーヴェンは、私の行く手に、音楽の新しい世界を開いて見せた。ちょうどシェイクスピアが、詩の新しい世界を示したのと同じように。(1828年の手紙より。交響曲第三番と第五番をはじめて聞いた後に。)

ああ!こんなに苦しまないでいられたら!・・・僕の頭の中では、いくつもの音楽上のアイデアが沸き立っている!・・・因習の鎖を断ち切ったいま、目の前に広大な平原が広がっているのがみえる。これまで、アカデミックな規則で立ち入りを禁じられていた領域だ。あの畏れを呼ぶ巨人、ベートーヴェンを聴いたいま、僕は、音楽という芸術の、到達点を知った。それに追いつき、さらに前に進めなければならない。・・・いや、さらに前に進めるのではない、そんなことは不可能だ。彼は芸術の極限に到達している。そうではなく、別の経路で、同じく極限まで進むのだ。(中略)僕には時間がある。僕はまだ生きている。そして、生命と時間があるなら、偉業は、成し遂げ得るはずだ。(1929年1月11日の手紙より)

以上、引用は「ベルリオーズ資料館 / Berlioz Archives」の翻訳および「The Hector Berlioz Website – Devoted to Berlioz’s life and works」の原文を参照した。

ベートーヴェンの姿が垣間見えるのは、「幻想交響曲」に限らずベルリオーズの他作品にも言えることなのですが、「幻想交響曲」を作曲中の彼の頭には、ベートーヴェンの存在がオブセッションのようにのしかかっていました。そして、この作品は、自分がいかにしてベートーヴェンを超えるか、という格闘の結晶であると読むことができるのです。(ベルリオーズは後年、ベートーヴェンの交響曲を1番から9番まで取り上げた批判的研究(ÉTUDE CRITIQUE DES SYMPHONIES DE BEETHOVEN)を残しています)

リハーサルで具体例を示してお伝えしたとおり、この曲の途中には「田園」や「第九」からの引用と思しきテーマがたくさん出てきます。しかしそれらは、出てくるとすぐにイデー・フィクスによって否定されてしまいます。たとえば第三楽章が顕著でしょう。ここで出てくる低弦のテーマには「第九」四楽章の低弦によるレチタティーヴォを踏まえた部分があります。

ふと気を抜けば頭のなかに浮かんでくる偉大なる先達の旋律を、イデー・フィクス、すなわち自らの頭を捉えて離さない旋律によって否定する。幻想と幻想のぶつかり合いです。しかし、この「先行する旋律の否定」という技法自体は、ベートーヴェンがすでに「第九」の四楽章でやったことで、目新しいものではありません。

この「方法」だけでは、ベートーヴェンの二番煎じと言われても仕方ない。ではどうするか?そこでベルリオーズが用いたのが、薬物や殺人など、当時は「美」の対極にあったグロテスクなエピソードを付随させるという魅せ方でした。

ベルリオーズはこの交響曲を書くとき薬物を使用していた形跡があります。ハリエット・スミッソンに対するちょっとストーカーっぽい恋愛にインスパイアされた作品であることも間違いありません。しかしこの交響曲の魂は、薬物や恋愛そのものにあるのではない。ときに薬物や恋愛など、理性のリミッターが外れ、幻想の世界に身を置くような経験に依拠してでも、ベートーヴェンを超える新しい作品を書く、ということこそが、彼の真の狙いであったと思うのです。

 

<新しさへの挑戦>

ベートーヴェンを意識しながら、「幻想的」なものを総動員して新しさを追求する。たとえば楽曲構成を見てみましょう。幻想交響曲は、当時の交響曲に一般的であった四楽章形式ではなく五楽章形式を取り、一部の楽章は、既存のソナタ形式や四楽章構成に縛られない幻想曲的(ファンタジア)な構成になっています。つまり「幻想」ということが、ストーリー面だけでなく形式面にもかかっているわけです。

そしてここでは、五楽章形式、かつ楽章に表題がついたベートーヴェンの第6番「田園」交響曲が明らかに参照されています。(「野の風景」と「小川のほとりの風景」など)「田園」交響曲は初演時にはベートーヴェンにとってSinfonia pastorellaと呼称されるものであり、「絵画描写ではなく感情の表出(Mehr Ausdruck der Empfindung als Malerei)」を目的としたものでした。後年に田園交響曲について、「想像は聴き手に委ねられている」とか「田舎の生活を夢想したことがある人ならば、多くの見出しがなくとも作者が何を望んでいるのか自分で想像することができるはず」と語ったベートーヴェンの姿と、ベルリオーズが1855年段階で幻想交響曲のシナリオ配布を必須でないとして考えを変えていった姿はぴったり重なります。

ベートーヴェンを頭に置けば、幻想交響曲第一楽章(これはソナタ形式で捉えられます)の序奏はベートヴェンの交響曲、たとえば第一番や第二番の序奏を思い起こさずにはいられないものです。一方で、ベートーヴェンが交響曲にスケルツォをはじめて取り入れたように、ベルリオーズはこの二楽章で交響曲にワルツをはじめて取り入れ、新しいことをやる自分というものを見せつけようとしました。

ベートーヴェンが「第九」で合唱を入れて長大な第四楽章(第四楽章は、バリトンのソリストが歌い始める前後で、大きく二部に分けられます)を書いたように、ベルリオーズは断頭台とサバトとという二つの楽章を、いわば大きな四楽章Superfinaleのように設計しました。

ベートーヴェンの「第九」四楽章が、生きた人間の歓喜・抱擁・友愛や神・天国、人間全体としての普遍的な理想を歌い上げるものであるのに対して、ベルリオーズは幻想交響曲のSuperfinaleたる第四・第五楽章で、死に対する熱狂、死せるものの抱擁、悪魔、地獄、個人的な夢想の強烈さを見せてくれる。幻想の第四楽章・第五楽章はもはや、「第九」の四楽章の反転であると言ってしまいたくなるほどです。まるで白黒を黒白に変えるような感覚…。

フランスの音楽学者ジュール・コンバリュー(1859~1916)はこのように語っています。

確かに彼(=ベルリオーズ)より前に,シンフォニア・サクレやオラトリオであれ器楽曲であれ、音楽はイメージのシステムの助けを借りて明確な理念を具現化し,描写する能力があることを示してきた。しかしそれは、大抵の場合は,宗教的なテクストに適合しようと努めた精神の働き,技法の実践であった。そこにベルリオーズは、情熱と空想による興奮、愛情、信念の激しさ,独立性、一言でいうならば自我を注ぎ込んだのだが、それゆえに彼の作品は特別に興味深いものになっているのである。

 Histoire de la musique des origines à nos jours(1919) p.109、太字は木許による。

そして、管弦楽法としても新しさの限りを尽くします。これはベートーヴェンとは全く異なる、ベルリオーズならではの革新です。二楽章ではハープ2台を使用し、三楽章ではオーボエを舞台裏において時間・空間の隔たりを描き、四楽章・五楽章ではファゴットやEsクラリネットに無茶苦茶なことをやらせ、オフィクレイドや鐘まで導入して、誰もなしえなかった響きを生み出しました。鐘については「十分に低い音の2つの鐘を見つけることが出来なければ、舞台前面に置かれた複数のピアノを用いる方が良い」と書くほどまでに、音響面で相当なこだわりを見せています。

そして鐘は、金管のコラールに対して拍節的に半端なところで侵入してくるように書くことによって時間的なズレを生み出し、「フィデリオ」はじめオペラ界では定番であったように、舞台裏で奏でることを求めて空間的なズレをも生み出す。ベルリオーズはここで、器楽コンサート/コンサートホールにオペラ/劇場の手法を持ち込んだわけです。しかも、第三楽章で既にバンダのオーボエと、コールアングレとでその前哨戦を見せておくという周到さ。

これは私の直感にすぎませんが、ハープを用いるのが二楽章だけというところにもおそらく強い意味がある。生を表すワルツを彩る壮麗なハープが、地獄に落ちた後には恐ろしき鐘にメタモルフォーズしてしまうということを表したかったのではないか。従ってハープと鐘は同じ方向=今回なら上手側に配置したいのです。かつ、舞台袖という異世界、冥界から聞こえてくるように…。(これらは、コンサートホールという空間に皆が集い、時間を共有しなければ味わえないものでしょう。)

ワーグナーのライト・モティーフや循環形式の萌芽となる「イデー・フィクス」というものの発明についてはもはや言うまでもないでしょう。このイデー・フィクスは「情念の迷走」を表す第一楽章で提示され、第二楽章の主を成し、第三楽章で切分され、第四楽章の最後でただ一度だけ登場し、第五楽章にはほとんど姿を表さない。このことだけでも、物語が立ち上がってくるかのようです。第四楽章の最後でのイデー・フィクスは直後に弾頭台で首が切り落とされるシーンと重ねられている。イデー・フィクス=「あれほど愛着を覚えていた旋律」の最後の音が切断されるときに首が切り落とされるのだということが、もはやテクストなど無くても、ありありと想起されるように書かれています。

実は極めて「古典的な」ところも残しながら、ベートーヴェンを大いに参照しつつ、旧習や慣習をぶち破って新しいものを作る。偉大なる先達ベートーヴェンのオブセッションを振り切って自分の世界を作り出す。「fantastique=幻想的」なるものの力と、慣例破りの楽器をめいっぱい使ってオーケストラの新しい魅力を拓く!というのが、彼がこの交響曲で求めたことだと思います。

そしてそれは、1830年2月25日にヴィクトル・ユゴーが掟破りの戯曲「エルナニ」を上演し、文学演劇界に「エルナニ合戦」と呼ばれるほどの大騒動を起こしたこととも響き合い、古典派から脱した新しい美学=ロマン派の流れを加速させていくことになるのです。(幻想交響曲の初演は1830年12月。それゆえにフランス文学史・音楽史では、1830年は革命の年として位置付けられています)

ベルリオーズがこの交響曲で成した衝撃がどれほどであったか。長野氏も注目している『La musique française(フランス音楽 )』(1901)の著者、アルフレッド・ブリュノーの一節を引用しておきましょう。

我々の知的なフランスの一時代がそのままそっくり、このオーケストラから沸き上がってくるのだ。震え、吠え、軋みながら。こう言ってしまって良ければ、狂った、しかし輝き、誠実であるこのオーケストラから。

Alfred Bruneau, La musique française (1901)p.75

なお、幻想交響曲に関しては、オーケストラは対向配置でやります。明らかに対向配置の響きを前提とした、弦楽器のサラウンド効果が織り込まれているためです。また、最終版では削除されたとはいえ、二楽章に含まれているコルネットのオブリガードがあまりにも魅力的なので、オブリガード有りでやります。とっても華やかでアイロニカルになりますよ。

 

<死の舞踏、そしてコッペリア>

ベルリオーズがこの作品で生み出したインパクトは後世、たとえばサン=サーンスの「死の舞踏」にも確実に影を落とします。サン=サーンスもまた、「怒りの日 Dies Irae」をこの曲にパロディ化して導入しました。コルレーニョを用いて不気味さを現出したり、シロフォンを初めて管弦楽作品に用いることで骸骨、すなわち乾いた骨がカタカタと動く様子を描きました。第一主題のプラルトリラーは、幻想交響曲第五楽章においても管楽器にトリルが多発するように、この世ならざるもののケタケタ笑いの表現です。

第二主題がワルツであることも、幻想交響曲の第二楽章との関係を考えたくなります。ヨーロッパの精神史において、ワルツは生の表現でした。人は皆死ぬ。しかしワルツを踊っているときだけは死を忘れ享楽に身を委ねることができる。にも関わらず、この「死の舞踏」では、ヴァイオリン・ソリストを筆頭として、墓場から這い出てきたガイコツ=死者たちがワルツを踊っている!!確かに中世後期以来続く「死の舞踏」という絵画では、骸骨が生きた人間と時に手を取り合いながら踊っている姿が描かれてきましたが、それがワルツであったとすれば、なんという皮肉でしょう!

一方でコッペリアはどうでしょうか。人形に命が吹き込まれて踊り出す、というストーリーは、死者が蘇り踊り出すという「死の舞踏」と不思議な対照を見せます。今回の抜粋には含まれていませんが、バレエ版の第3幕で鐘が奉納され、お祭りとなって鐘にちなんだ踊りが次々に披露されるあたり、「死の舞踏」冒頭で12回鳴らされる鐘(ハープ)や「幻想交響曲」の鐘のことも考えると、今回のプログラムに「鐘」が通底していることにも気付かされます。

ところで、「コッペリア」の原作はドイツの作家E.T.A.ホフマンの『砂男』という小説です。ベルリオーズはほぼ確実にこの小説を読んでいたはずです。というのは、1829年12月にホフマンの小説をまとめたものが、フランス語に翻訳され『Contes fantastiques 幻想小説集』として刊行されるのですが、この中には「砂男」も含まれていました。このContes fantastiquesによって、フランスでは空前のホフマンブームが起き、同時に「fantastique」という美学への関心が高まるのです。

流行に敏感であったベルリオーズが、1830年に「Symphonie Fantastique」を発表するうえで、この本を知らなかったとは考え難く、むしろ、ホフマンのフランス語訳版が作り出した「幻想」ブームに乗る形で、今の我々が知るあのシナリオや「幻想交響曲」というタイトルを着想した可能性もあるでしょう。

 

<響き合うファンタジー>

Fantastiqueという美学の火付け役となったホフマンの原作によるドリーブの「コッペリア」。Fantastiqueを音楽界に劇的に持ち込んだベルリオーズの「幻想交響曲」。Fantastiqueの美学を発展させ、ベルリオーズの書法を継承したサン=サーンスの「死の舞踏」。

この三曲のファンタジーが、子どもたちのファンタジーとどのように響きあうのか。とんでもないことが起こる予感がしています。ぜひ、お運び頂ければ幸いです。

チケットはこちらからお求め頂けます。)

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