29歳を迎えることが出来ました。このウェブサイトを開設してからちょうど一年になります。沢山のお祝いメッセージを頂きありがとうございます。20代の終わりの一年間、それはおそらく、最も挑戦を繰り広げなければならない年であると覚悟しています。30歳を迎えたときに「何者か」になっていられるよう、目一杯駆け巡りたいと思います。
振り返ればこの一年もまた、あっという間でした。ひたすらに東南アジアで指揮してまわり、日本各地の大学オーケストラと共演させて頂き、憧れの東京文化会館でコンサートを開催することができました。29歳の一年間も、決して守りに入らず、自らの信じるものに向かって攻め抜きます。
Eh bien, débrouille-toi, intrépide! Intrépide et stupide, avance. Risque d’être jusqu’au bout.
「さあ、巧みに切り抜けるがいい。勇敢なる者よ。勇敢にして愚かなる者よ、前進せよ。最後の最後まで存在することの危うさに賭けるのだ。」(ジャン・コクトー)
そして今日、沢山のメッセージと共に、悲しい訃報を頂きました。東京大学教育学部の金森修先生が逝去されたのことです。私をフランス科に導いてくださった、尊敬してやまない大先生が旅立ってしまいました。フーコー、そしてアガンベンのビオスとゾーエーを語る時の先生のあの熱。本を読みすぎて目から血が出て、と冗談めかして笑う先生。逆立ちしても一生叶わないと思う、憧れの先生でした。あのとき先生に「言語は25歳までにやっておかないと」と言われていなければ、私は何の言語も読めないままであったでしょう。
私は東京大学の前期課程二年のころ、金森先生に教えを頂いていました。夕暮れ時の駒場の1号館、薄暗い教室に西日が差し込むなか、受講者10人ぐらいの講義が開かれていました。内容は、先生が当時中心に取り組んでいらした生政治 Bio-politique論。凄まじい勢いで話し、誰も追いつけないほどのスピードでスライドを飛ばして行く先生に圧倒されながら、二時間(ときに遥かに延長してくださいました)の授業で一切手を止めるスキがないほど刺激的な講義を頂き、「求めていたのはこれだ!」と嬉しく思ったことをありありと覚えています。ミシェル・フーコーの生権力論。ジョルジュ・アガンベンのビオスとゾーエー。ハンナ・アレントのlabor,work,action。生命倫理にアメリカ安楽死運動史に中絶論争。デュルケームにブルデュー。ときにバシュラール、ベルクソン。容赦なくフランス語を中心に原文で引用と解説がなされることに圧倒されつつ、この大学に入学してよかった!と叫びたくなるような、密度の高い授業でした。
自分はまだ何にも知らないのだ。学問は無機質なものではなく、時に人を感動で震えさせることが出来るほど深く、面白いものなのだ。そのことを教えて下さったのは金森先生でした。事実、先生の講義を間近で耳にしながら、その思考の深さに身が震えるような瞬間を何度も経験させて頂いたのです。ある日の授業で、「僕は生きられたとしてもあと数年だけれど、君たちは数十年ぐらいはきっと生きれるでしょう。ならば目一杯勉強しないと。」と話されていたのが印象に残っています。あのとき先生はどんな思いでその言葉を我々に発されたのだろうか、と今になって思うのです。
自分の学部生時代の基礎を作って下さったのは間違いなく金森先生でした。科学と哲学と詩学を矛盾無く横断した先生。先生の思考が、先生の文章が、好きで好きで仕方ありませんでした。
駒場の銀杏並木で金色の葉が散る中、空をぼんやりと見上げていた先生の姿が焼き付いています。凄まじい勉強量と絶えざる思索の深化を自らに課していらっしゃった先生に、いつか胸を張ってお会いできるように過ごさなければ。
「生前にいくつもの書物を与えてくれたあと、死にゆきつつまた一冊の本を与えてくれたきみに。」
ミシェル・ドゥギーのA ce qui n’en finit pas, thrèrneより、この一節を先生に捧げます。金森先生、どうか安らかに。