武満徹、海のイメージに基づくセレクションに寄せて

相馬の第10回目の子ども音楽祭です。年少人口3800人のこの街で、10回にわたってコーラス・吹奏楽・オーケストラが登場する音楽祭が続いていることは驚異といっても良いでしょう。しかも、今年のオーケストラは武満徹作品に挑戦。「語り手は10代半ばの少女が望ましい」と指示された「系図」を、語り手はもちろんオーケストラも10代半ばのメンバーが大半で演奏します。

「海」のイメージに基づいてセレクトした武満作品。震災で傷ついた相馬において、あえて「海」というイメージを全面に出して演奏するということに私の思いの全てが詰まっています。いわば、音楽家としての私の覚悟・哲学の表明でもありました。当日、このプログラムのコンセプトを説明したエッセイを皆様にお配りしましたので、その想いの一端が伝わればと願い、こちらにも掲載しておきます。

武満徹、海のイメージに基づくセレクションに寄せて

できれば、鯨のような優雅で頑健な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい。 (武満徹『海へ!』)

執筆:木許裕介

ご来場の皆様に武満徹の世界をより深くお楽しみ頂くための一助になればという思いと、今回は詩の朗読を伴う作品を演奏することから、小さな曲目解説(あるいはエッセイ?)をお配りさせて頂くこととしました。ただし著作権を尊重し、詩の全文掲載は控えております。

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若き日に出会った素敵な詩の一節が人生を導く燈(ともしび)になるように、半年をかけて取り組み演奏する作品は、人生において強い影響を受けるものになるに違いありません。ゆえに私は、いま子どもたちに出会ってほしい曲を取り上げるようにしてきました。その作品がたとえすぐには理解できないものだとしても、半年間を通じて少しずつ「わかっていく」過程を楽しんでほしいと思うのです。そして今回、記念すべき第10回目の相馬の音楽祭の演奏曲として、それは武満徹の作品をおいて他にありませんでした。

武満徹(1930-1997)。《春の祭典》で知られる大作曲家ストラヴィンスキーに「この音楽は実にきびしい、全くきびしい。」と称賛された、日本を代表する作曲家です。世界でもっとも知られている日本人作曲家だといっても過言ではないでしょう。音楽だけではなく、美術・文学・映画など多方面の芸術に通じ、知性と感性の鮮やかな結合を通じて日本のアートシーンをリードしました。

「私は作曲という仕事を、無から有を形作るというよりは、むしろ、既に世界に偏在する歌や声にならない囁き(ささやき)を聴き出す行為なのではないかと考えている。」 


そのように語った武満は、弦楽器の特殊奏法の多用、鍵盤・打楽器の個性的な重ね合わせ等により「タケミツ・トーン」として知られる独特の音色を生み出しました。とくに、無へと吸い込まれていくような静かで力強い終わり方はこの作曲家ならではのものです。

「沈黙と測りあえるほどに強い、一つの音に至りたい」と綴った武満の作品は、必ずしも聴きやすいものばかりでありませんし、楽譜を見ると唖然とするほど、演奏には超高度な技巧を要します。一方で彼はとても美しいメロディを持った映画音楽も沢山書き残していて、それもまた、この作曲家の魅力の一つなのです。そこで今日は、彼の作品の中から、彼が最も大切にした「海」というイメージに基づいて、4つの曲を横断した約15分のセレクションをお届けします。

1.「他人の顔」よりワルツ

安部公房の小説『他人の顔』が映画化された際に武満が寄せたこの弦楽ワルツは、これまでに日本人作曲家が遺したワルツの中でも最も暗く、美しいものでしょう。映画版における、白いワンピースを着た少女が海に身を進めていくラストシーンは衝撃的なものでした。どこまでが自分で、どこまでが他人なのか。昨日の自分と今日の自分はどうして同じ存在だといえるのか。そんな問いを投げかける作品に寄せた「アイデンティティ・クライシス」のワルツです。

2.映画「太平洋ひとりぼっち」よりメインテーマ

小型ヨットに単身で乗り、94日かけて太平洋横断を成し遂げた22歳の青年を描いた映画です。若き日の石原裕次郎が主演し、武満徹と芥川也寸志(2022年の音楽祭で演奏した《トリプティーク》の作曲者)が音楽を共作しました。悠々と広がる太平洋を彷彿とさせる音楽で、なんと鍵盤ハーモニカが用いられます。ちなみに、山本直純《えんそく》でも太平洋に想いを馳せるところがありますね。

3.「波の盆」より終曲

いよいよ武満ならではのサウンドが色濃くなってきます。「波の盆」は太平洋戦争の勃発によって引き裂かれたハワイの日系移民を描いたテレビドラマ。海を前にして、自らにとっての故郷とは、故国とは、を問う物語です。ここに武満が寄せた音楽の静かな美しさといったら!毎小節変わる拍子とテンポ変化によって表現される波の揺れ、そしてハープの美しい響きをお楽しみ下さい。

4.「系図 -若い人たちのための音楽詩」より「とおく」

この曲をどうしても演奏したかった。オーケストラをバックに、谷川俊太郎の詩集『はだか』からの抜粋(「家族」をテーマとした抜粋)を読みあげるという、語りと音楽が融合した作品です。語り手に加えて、アコーディオンをはじめとした、通常オーケストラでは用いない楽器を必要とするため、滅多に演奏できない曲でもあります。武満によれば、語り手は「10代半ばの少女によって成されることが望ましい」とのこと。「むかしむかし」「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おとうさん」「おかあさん」「とおく」と続く全六曲のうち、本日は終曲「とおく」だけを演奏します。

終曲の語りはこう始まります。

わたしはよっちゃんよりもとおくへきたとおもう

ただしくんよりもとおくへきたとおもう

ごろーよりもおかあさんよりもとおくへきたとおもう

もしかするとおとうさんよりもひいおじいちゃんよりも

ごろーはいつかすいようびにいえをでていって

にちようびのよるおそくかえってきた

やせこけてどろだらけで

いつまでもぴちゃぴちゃみずをのんでいた

ごろーがどこへいっていたのかだれにもわからない

詩のなかで何度も繰り返される「とおく」とは、一体何なのでしょうか。それは単に距離的な遠さではありません。時間と空間の奥行きであると同時に、語り手たる少女が成長に従って遭遇していく「未知」であり、家族の絆のなかにありながらもそれを越え出ていこうとする、アイデンティティの確立過程だといえるように思います。

どこからかうみのにおいがしてくる

でもわたしはきっとうみよりももっととおくへいける

「とおく」の最後に宣言される、谷川俊太郎の限りなく力強いこの一節を、そしてどこまでも静かに響き渡る武満徹の音楽を、これからを担う相馬の若者たちに万感の思いを込めて捧げます。

2025.3.22

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