指揮棒よもやま話 Vol.1 -私の相棒たち

オーケストラのプレイヤーたちが何百万、ときには何億もの楽器を奏する横で、指揮者は800円ぐらいの棒を振っているのだから面白いですよね。各地で指揮についてお話しする機会があるたび、そんなことを言ってきました。

私の教わった門下では、ムラマツのK-17という指揮棒を使うのが流儀で、指揮を始めてから10年ぐらいはずっとこの指揮棒を使ってきました。他のじゃだめなんだろうか?と思ったこともありましたが、自分が指揮を教える立場になってみると、少なくとも初級時代のレッスンにおいては、師と弟子が同じ道具を用いるということが有効であるとわかります。

我々指揮者は自分で音を奏でるのではなく、伝えて、弾いてもらう必要があります。つまり、うまくイマジネーションを伝達できているかどうかが勝負になるわけです。そのときに道具が違うと、師匠と生徒で、伝達行為にひとつ変数が増えてしまうことになる。もちろん道具が違っても教えることは出来るのだけれど、道具を同じにし、同じ握り・構えといった「型」を共有することで、同じ土俵で問題に向き合うことができる。棒の持ち方・構え方、手の中での微細な操作方法、そして棒の振り方を入門当初徹底的に叩き込んでもらったのは、共通の言語を形成するために極めて重要なことでした。

といっても、実際に演奏会を指揮する際には、K-17の既製品をそのまま使うのではなく、師が編み出した特別な調整方法(秘伝ゆえここには書けませんが、驚くべき方法です…)でバランスや太さをオリジナルに調整したものを使っていました。この方法は木製のシャフトを持った棒にすべからく有効で、明らかに振り心地が変わります。

自分の型の基本がこのK-17にあることは間違いありません。これ一本あれば何とでもなります。この棒はとにかく安くて、日本で手に入れやすい。指揮棒は消耗品ですから、いざトラブルが起きた時に買い直せるほうが良く、その意味でも都合が良いのです。

ただ、それが自分の「いま」の指揮技術や、表現したい内容にとってベストな棒とは限りません。棒を変えることで新たな表現を広げることが出来るかもしれない。ゆえに、新しい棒も常に試してみることにしています。

上の写真に写っている手前側の棒はドイツのROHEMAのVILLARETというモデル。これと、同メーカーのグリップ違いであるK-Modelというのをカスタムしてしばらく使ってみたりもしました。K-17よりは大きめだが手の中にうまく収まるコルクグリップで、全体的に軽めのバランスがとても使いやすいと思います。

また、アメリカの職人さんに相談して、ハワイの木で出来たグリップの指揮棒を作ってもらったこともありました。驚くほど振りやすくて、2020年〜2021年頃はコンサートでも愛用していたのですが、あるとき譜面台に引っ掛けて木製シャフトが折れてしまったため、実用しづらくなってしまいました。

ハンドメイド製品を販売しているサイト、Etsyで購入したこともあります。指揮棒を専門で作っているわけではなく、木工のハンドメイドを製作されている職人さんでしたが、とても美しい棒の写真がアップロードされていたので取り寄せてみたんですね。タイガーウッドという、南米原産のウルシ科の木をグリップに用いた棒で、これがとっても手にフィットしました。吸い付いて離れない、というような感じでしたね。シャフトが少し短いこともあって、小編成のアンサンブルを指揮するとき、とくに伴奏モノを指揮するときには今もこの棒が重宝しています。

日本のメーカー、Pickboyの棒もおそらくほとんどの種類を試したはずです。基本的に木製シャフトが好きなのですが、Pickboyに限ってはカーボンやグラスファイバーのシャフトがしっくり来ますね。これらは折れづらいために、海外公演のときには予備として一本持って行くようにしています。

埼玉にある個人工房、Atelier Kulandさんの棒も所有しています。全体的に少し重めなのですが、グリップのしなやかさとシャフトの重心のバランスが素晴らしく、いつまでも握っていたくなるような作品です。多くの棒は、シャフトが木の場合は白いラッカーを塗って白くしてありますが(奏者からの視認性を確保するためです)Atelier Kulandさんの棒は木の色のままのものが多く、それがまた絶妙に良い色なのです。たとえば指揮する自分の背中側に真っ白な壁があるときなど、シチュエーション的に白い棒を使わないほうがいいなという時にはこの棒を持っていくことにしています。しなやかに振れるので、個人的にはワルツなど柔らかい舞踏曲に相性が良く、ワルツやポルカなど舞踏曲ばかりを振るコンサートでもこの棒を使ったことがありました。(続)

さまざまな指揮棒。このほかにも20本ぐらいあります。

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