「稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一」。偉大なる千利休の教え。久しぶりにベートーヴェンの「運命」交響曲を勉強し直したり、自分を指揮の道に導いてくれた教室の門下発表会を一聴衆として聞いたりして、この週末はそのことを強く思った。
同じメソッドで教わった仲間ゆえ、いま目のまえでその指揮者が何をしているのかを「読む」ことができる。その一振りにどんなインフォメーションがあって、何が伝わり・何が問題になっているかが、ある程度はわかる。後輩(と書くのは何とも烏滸がましいが)の皆さんのほうが今の自分よりも遥かに「綺麗に」振るなあと我が身を反省したことも度々だった。
一方で、情報がない瞬間だったり、情報が過剰だったりするとオーケストラはたちまちそれに反応を見せる。その反応の多くは、「無視する=自分たちだけで作る」ということ。熟達した奏者から成るアンサンブルはほとんどの曲において指揮者など無くても演奏できるのだから、音楽をつくるうえで不要な干渉を排するのは当然だ。残酷な言い回しになるが、プロの技術のひとつは「見限る」ことでもある。いま鳴った音が、自分がポジティブに影響したゆえのものかどうか、我々は冷徹に見極め反省しなければならない。そうでなければ裸の王様になる。
かつての自分はそんなことも分からなかったどころか、「こう振ればいい」ということに頭が占められていたように思う。当たり前ながら、指揮とはそんな単純なものでは決してない。技術のための技術は何ら意味をなさない。技術はあくまで想像力を実現するためになければならない。まず最初に内なるdesireやimaginationがあって、それを伝えるために技術を用いるのであり、断じてその逆ではない。かつ、それらを実現するための技術は結果と一対一対応するものではない。技術を効かせるためにはその前後や文脈あってこそであり、ゆえに、その一瞬はどこまでも過去に遡求することが可能になる。つまり、すべてが有機的に連関して影響しあう複雑さを持ったものであって、それはどこか武術に似ている。
そんなふうに、この週末には自らのライフワークである「指揮の哲学」を随分と書き進めることになった。千利休の言葉にあるように、いまの自分が「十」を知ることができたなどとは到底思わないが、それでも、すこしの経験を積んだいま「一」にかえるとすれば、そのときに立ち現れてくる不可避な問題があることも痛感した。それは、響きをenjoyできているかどうかということ。
ポルトガルでワーグナーのマスタークラスを受けた時、ある特別な和音が来るところでマエストロ・クレメンテはこう言った。「Enjoy precious moment!!」
そうなのだ。指揮とは本質的に予兆の芸術であり、音楽の「先」を作る営みであるが、ときにその足を止め、仲間たちと共にprecious momentを味わうこともまた必要なのだ。音の到達点や神聖な響きをすり抜けてしまっては勿体ない。しかし、いつまでも味わい続けていてもいけない。それは必ず次の響きにつながっていくものだから。ゆえに指揮者はその瞬間をenjoyしながら、そこにいち早く別れを告げ、次へとその身を移していかねばならない。
このバランス感覚、あるいは勇気!乱暴な接続に見えるかもしれないが、これは「指揮は教えられるが指揮者であることは教えられない」という言葉の意味するところにも関わるだろう。これまで自分が書いてきた「指揮とは何か」ということに、まだ平明に書くことが出来ない塊の状態ながらも新たな軸を導入したい。自らがNostalgia(郷愁-過去)-Conviviality(共愉-現在) -Creation(創造-未来)のいかなる次元に在るかということ。いわば、存在の冒険とでも言い得るなにものか。そう、指揮とは存在の冒険。
さらに跳躍することを試みるならば、それは、無限が広がるように悠々とあることと、有限を見据えて切迫してあること、その両方の感覚の矛盾なき統合だと言いってしまいたい。指揮するときだけの身振りではなく、表現者として生きるうえでの佇まいとして…いや、これについてはまた別に書くことにしよう。
Nautical Dawn(航海薄明)。海と空との境が見分けられるぐらいに曙光が射す夜明けの時の名を冠したボトルを眺めながら、そんなことを考えていた。指揮を教わり、はじめてプロのオーケストラを指揮したのが23歳、つまりちょうど10年前。怖いもの知らずだったあの頃の自分に苦笑すると同時に憧れもする。この10年で自分は何を学び、どこまで遠くへ行けただろう?そして、これから10年でどこまで行けるだろう?今が自分にとってのNautical Dawnであるとすれば、今こそ「一」にかえりつつ、より遠くまで、有限の生のなかで無限に遥かへ行きたいと思う。