長い旅を終えて久しぶりの東京。昨晩は代官山未来音楽塾の第一回講義で、浦久俊彦さんとご一緒する。2018年以来の塾の再開。その意味でも長い旅から帰ってきた気分だった。音楽の未来を考えるのであれば、未来の担い手たる若い世代の現状に触れないわけにはいかない、と思う。
コロナの数年で学生たちの音楽活動がどのような苦しみにあったのか、そして今になって時差的に現れている問題は何か。限られた事例かもしれないが、自らの経験から見出したことを提示してみる。
長い数年だった。九州大学芸工オケとあらゆるテクノロジーを用いてコロナ禍での演奏会再開を模索し、土地柄もあって危機的状況に追い込まれた福井大学フィルを何とか維持し、当初絶望的な状況にあった東洋大学管弦楽団と「第九」演奏会を実現するまでに至った。相馬や駒ヶ根の子どもたちの音楽祭もいずれも開催することができた。他にも書ききれないほどのプロジェクトに関わった。
自分は指揮者としてはまだまだ駆け出しだが、この数年間、音楽と地域の未来に全力で関わり、唯一無二の仕事をしたと胸を張って言える。もちろん、いずれも自分の力だけでは決してなく、共に奮闘した人々あってのこと。つくづく良い仲間に恵まれた。大変だったが、一緒にいたい人たちとやりたいことをやり続ける日々は幸せなものだった。
あわせて拙著『ヴィラ=ロボス』の「ブラジルの大地に歌わせるために」という副題に込めた想いを、今期の塾テーマの「うた」と絡めてお話しした。大地、ゲニウス・ロキを見つめてそこに宿るものを自由に歌わせる。このサブタイトルはどの一文字も変更できない。ヴィラ=ロボスを描くうえで、少なくとも自分にはこのサブタイトル以外ありえなかった。これからも私は、大地ということをずっと考え続けていくのだと思う。