ラ・フォル・ジュルネ2024でオールブラジルプログラム

ラ・フォル・ジュルネへの出演、大盛況で終わりました。オール・ブラジルプログラムで、ネポムセノの交響曲の新版が日本にはじめて響きました。ネポムセノのバトゥーキも会心の演奏に。20代からオープンステージや野外での演奏をたくさん重ねてきた身としては、久しぶりのこういう環境にワクワクしました。

ステージで練習できたのは僅か10分。お客さんがいる中での公開リハはモロッコの音楽祭以来だったかな。音響の時差修正は任せとけ!という感じで腕が鳴りましたね。ついには客席にジャケットを投げ込むパフォーマンスをしてみたり、好き放題させて頂きました。なにより、一緒に演奏してくれたフェローオケとMSFのみなさんが本当に素晴らしかったです。

ネポムセノについて少しだけ書いておきます。ネポムセノ、そしてこの交響曲は、ブラジルのクラシック音楽史にとって極めて重要な作品です。ネポムセノは1890年にベルリンに渡り、ブラームスの友人のヘルツォーゲンベルグに師事しました。1891年にウィーンへ旅しブラームスの作品に触れ、1893年にグリーグから進むべき道についてのアドバイスを受けたのち、1894年にはベルリンフィルを指揮しています。その後、フランスに渡ってからブラジルに戻り、ブラジルを代表する音楽家・教育者として時代を築いていくことになります。ヴィラ=ロボスにフランス近代音楽の扉を開いたのも彼でした。

ところでネポムセノの交響曲。並べてみれば、ブラームスの交響曲第3番(1883)との近しさは一目瞭然です。4分の6拍子、主題の性格や構成。この近似は決して偶然ではありません。実はネポムセノは、1893年3月13日にハンス・フォン・ビューロー指揮のベルリンフィルで、ブラームスの3番を聞いているのです。その時の演目はベートーヴェン4番、ハイドン96番、そしてブラームス3番。この演奏会がビューローのほぼラスト・コンサート(最後は4月10日)にあたるり、ビューローは1894年に他界しました。一方ネポムセノは1894年に自身の交響曲-ブラジル初の交響曲-を着想し、何度も何度も改稿を重ねて練り上げ、1897年8月1日にリオデジャネイロで初演するに至るのでした…。

今回のフェスティヴァルのテーマはOrigine。となればブラジル・クラシック音楽のOrigineであるアウベルト・ネポムセノの作品を演奏しないわけにはいかないでしょう!ということで、ネポムセノの交響曲を取り上げた次第です。ブラジルの交響曲ということで想像されるものを大きく裏切るような、ブラームスっぽくて、ドヴォルザークっぽくもあり、メンデルスゾーンっぽさもあれば、モーツァルトの交響曲40番を思い起こさせるところもある超名曲で、多くの方々にこの作品の魅力が届いたことを嬉しく思います。これからもネポムセノの交響曲を演奏する機会を作りますので、またぜひお聞き頂ければ幸いです。

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