春は別れの季節です。東京大学・慶應義塾大学・福井大学・九州大学と、言葉と音楽で多くの学生さんたちと関わってきて、いずれも5年以上の月日が経ちました。
大学一年生だった子が四年生や修士二年生となり、見違えるほど立派になって巣立っていく。この数日は各地でそれぞれの門出を祝い、見送る日々でした。
九州大学の芸工オケでは2017年,2021年と指揮したので、2017年当時1年生だった子が2021年になると4年生や修士に。「2017年の47回定期アンコールで演奏したチャイコフスキーの<雪娘-道化師の踊り>を見てこのオケに入ったんです」と言ってくれた学生さんがいて、心底嬉しかったです。
福井大学フィルには、関わってもう8年目になります。つまり、修士までふくめてほとんどの学生さんを一年生の頃から知っていることになり、入学当初から卒業や修了まで成長していく様子を目の当たりにさせて頂きました。とくに今年卒業していく四年生たちへの想いは強く、コロナ禍で自分たちの定期演奏会ができなかった無念と次の代がなんとかそれを実現したことへの安堵を話す姿に、私も涙を隠すこともできないぐらい泣きました。
慶應義塾大学では、7年にわたって指揮のワークショップや卒論指導など多方面で関わらせて頂いてきました。今年はあまり深く関わったわけではありませんが、それでも、苦労を重ねた学生さんが晴れやかな顔で送られていく様子は、オンラインであっても心打たれるものがありました。
東京大学の学藝饗宴ゼミには、2017年の創設から今に至るまでずっと芸術監督として指導に関わっていて、次が11期目になります。第1期目の学生さんたちが送別会にきてくれたのも嬉しかったし、中高の後輩として中学2年生から知っている学生さんが今や大学4年生になって卒業するということには、時の流れる早さを思わずにはいられませんでした。卒業してこれから官僚になろうとする学生さんが、「思い返せば、アートやパフォーマンスへの<扉>を開いてもらったような時間でした」と言いに来てくれて、途方もなく幸せな気持ちを味わいました。
自分にできたことはほんの僅かであったかもしれないけど、何か一つでも、或いはたった一瞬でも、記憶に残るものがあればいいなと願います。そして、自分が関わったものが次の世代の希望になるような、そんな仕事をいつまでもし続けたいと思います。
今年だけで全国各地で50人近くの学生たちを送ることになります。ひとりひとりとゆっくり話すことは叶いませんでしたが、私が伝えたいことはすべて、この詩にあります。巣立ちの激励に、自分にとって一番大切な詩のひとつである宮沢賢治「告別」を送ります。
宮沢賢治『春と修羅』より「告別」(384) … けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで おまへの素質と力をもってゐるものは 町と村との一万人のなかになら おそらく五人はあるだらう それらのひとのどの人もまたどのひとも 五年のあひだにそれを大抵無くすのだ 生活のためにけづられたり 自分でそれをなくすのだ すべての才や力や材といふものは ひとにとゞまるものでない ひとさへひとにとゞまらぬ … (全文はこのページ最下段から。)
世に羽ばたく若人たちの未来が輝かしきものでありますように。