三日間オーディションの審査員。一日オフがあったので海を望みながらブラームス四番の研究に専念。読むたびに圧倒される素晴らしさ。一楽章冒頭だけで何時間でも考えていられる。怖いもの知らずの20代はじめのときに師匠にこの曲をレッスンで見てほしいと突撃したら、「80年早い!」と冗談半分/事実半分で追い返された懐かしい曲。
そのときは「そんな〜」なんて思ったけど、今になってみれば「そりゃそうだな」と苦笑いしつつ大いに納得する。語弊があるかもしれないが、この楽譜を読めば読むほど、達人のマッサージを受けている気分になる。しかも開始0.1秒で胸を打ち抜き、記憶深くに刷り込むという点で、令和のショート動画全盛期にも通用する見事な広報手法だとも思えてくる。
草稿段階で付されていた冒頭のアーメン終止4小節を削除したブラームスの絶妙な判断!よく知られたバッハ・ヘンデル・ハイドンのみならずヴェネツィア楽派にも至る伝統的手法を換骨奪胎して編み出した手技の豊富さ。増6や減7のここぞという利用による緊張と弛緩のミクロ-マクロ設計、知情意備えた無駄のない運び。狙い澄ました鍼のごとく後から効いてくる伏線撒きとその回収、楽章を超えた有機的な結びつき、芯の通ったシンメトリックな構造。統一感と印象の強烈さというものはこのようにして生み出すのだよと教えてくれるようだ。
そんなふうに紙上ですら圧倒される精巧な設計図がここにある。それを、一人一人異なり、機械的な再現性を持たない人間の集団が現実に音-音楽として奏でる事は至難だけれども、この多様さや幅ゆえに実現しうる豊かさがある。
頭の中で鳴る理想にどこまで接近できるか。どうやれば理想という対岸に一緒に渡ることが出来るのだろうか?目の前の楽譜だけに集中して作曲家の思考を追いかける。そのうえで自分にとっての理想を練り上げる。そして理想に至るための方法を考える。ひたすらに考えて考える。
そのことがとても楽しい。でも考え抜いても毎回そこに到達できるわけではないし、同じ結果には二度とならないからこそ、2025年になっても人間は相変わらずこの音楽に挑戦し続けているのだろう。海沿いを歩きそんなことを考える秋の一日。
