旅する日々に

合唱コンクールの審査、それから来年のオペラに関する打ち合わせを終えて、新幹線で神戸から東京に戻っています。考えてみれば今月は山手線よりも新幹線と飛行機に乗っている回数のほうが圧倒的に多いほどです。東京、福井、兵庫、大阪、京都、奈良、カンボジア……こうして日本・世界各地からお声がけ頂けるのはとても嬉しいことで、旅する日々を楽しんでいます。

合唱コンクールは審査員として関わらせて頂いて今年が二年目になります。審査というような大層な事を出来るほどの身分ではないものの、機会を頂いたからにはどの曲もきちんとアナリーゼして、公平かつ厳正に論理立てた講評ができるように、思いっきり読み込んでいきました。当然のことですが、学年の上下や昨年の結果等は一切採点に含めていません。練習の際はもっと良かったというクラスがあったかもしれませんが、本番の佇まいとステージで鳴った音が全てでなければなりません。そういう厳しさこそが演奏者に対するrespectだと信じています。

終わったあとに毎年思うのですが、指揮者と伴奏者の果たしている役割の大きさはやはり非常なものがあります。そこに立った瞬間、さらには立つ前から音楽は始まっているのです。良くも悪くも棒通りに音楽は奏でられるし、伴奏がどれほどぴったりつけ、時に下から持ち上げるように主張するかでテンションや盛り上がりは一気に変わってくるものです。シンコペーションの扱い方、フレーズの語尾の処理、細かい休符からの確実な引っかかり、ユニゾンで歌われる言葉への思い入れ、鼻濁音の回避、全体構成と設計の確かさ、頂点の見せ方、特に弱音方向のダイナミクス・レンジの豊かさ……書き始めればキリがないほど。そして最終的には、言葉のイメージや力をどれだけ感じて、言葉をどれだけ愛しているか。

演奏を聴きながら、大学院時代にご指導を頂いた恩師、小林康夫教授と過ごした時間を思い出しました。それはPhilippe JaccottetのTruinas : le 21 avril 2001を読んでいるときのことで、「雪」と「言葉」をめぐる一節に、ジャコテの言葉の強さに、引用されるヘルダーリンに、それを読み上げるこの先生の言葉の力に呆然としたのです。そして唐突に投げられた、「ぼくは言葉の力を信じている。君はどうだ?」という問いかけに。——— 審査というよりはむしろ、多くを勉強させて頂いたような心地でいます。実り多い時間をありがとうございました。

そんなことを考えながら、実家に立ち寄って自分の本棚を見上げた時、スティーヴン・ミルハウザーの『エドウィン・マルハウス』にふと手が伸びました。読了日付を見ると2007年。ちょうど自分が20歳のころでしょうか。久しぶりに読み始めると止まらなくなり、ここに描かれているようなセンス・オブ・ワンダー(「不思議さ」への感性、あるいは「不思議さ」に対する感動)を大切にしたいと改めて思いました。

旅は、その地の自然に出会うという意味においても、日常からふと視野をずらしてくれる異化作用を与えてくれるという意味でも、センス・オブ・ワンダーと密接に結びついています。旅が日常になるような毎日を過ごしていても、あくまでもそれが非日常であるように、一つ一つの旅を特別な体験として味わって、旅で出会った物や自然や人や出来事に敏感であるようにありたいものです。はじめて新幹線に乗ったときに覚えたあのワクワクを、いつまでも自分の中に絶やすことなく持ち続けていたいですね。

 

センス・オブ・ワンダー(Lumix GH4+Nocticron)
センス・オブ・ワンダー(Lumix GH4+Nocticron、箕面の滝にて)