再びイタリアに向かっています。また劇場でアシスタントをさせて頂きます。今回は、ひたすらロッシーニを学ぶ日々になりそうです。
いつも私は、ドバイ経由でイタリアに向かうことが多いのですが、何度見てもドバイ着陸前の朝日の光景には感動してしまいます。空と大地の境界が光に貫かれ、乾いた世界が鮮やかに染め抜かれる。ちょうど機内で眠りから目覚めて、小さな窓のスクリーンを上げたあとに飛び込んでくるその景色にいつも心震えるのです。でも、これではまだ全然、あの様子を表現するには及びません。言葉が追いつかない無力さに悔しくなりながら、今日もまたドバイ空港に降り立つのでした。
ドバイ空港に降り立つと、独特の香りがやってきます。ちょと苦手な気もしつつ癖になる、あの独特の香りです。聞こえてくる言語、擦れ違う人々の様子、じんわりと肌に触れる熱気……当然ながら日本と異なりることばかりですが、この香りこそが、自分にとっては最も、「ああ、また異国に来たのだな」と強烈に思わせてくれるものなのです。五感のなかでも嗅覚は記憶を想起する力がとりわけ強いと聞いたことがありますが、まさにという心地がしています。
ドバイ空港でのトランジットは、1時間ぐらいの短いものから、9時間ぐらいの長いもの、飛行機遅延によって接続便に乗れなくなったための1日トランジットなど、結構沢山の種類を経験しました。巨大なこの空港では、トランジットに3時間ぐらいあってようやくゆっくり出来る、という感覚です。9時間も過ごし方によってはあっという間なのであまり苦にはなりません。(さすがに1日トランジットは辛いですが、その際にはエミレーツ航空がトランジットホテルを用意してくれて助かりました)
ここはまさにヨーロッパへの中継点。何ともいえない異国な感じ。ヨーロッパへ直接降り立つのではなく、ここを経由することで、頭がじわじわと切り替わっていくのを感じます。目にうつるアラビア語。ハスキンズの『十二世紀ルネサンス』を思い出します。ギリシア語文献のアラビア語訳、そのラテン語翻訳という文明上の大ムーブメント。アラブ・イスラム圏からヨーロッパへ、ヨーロッパの文化が「逆輸入」されていく。それが今から訪れるヨーロッパの「ルネサンス」を準備したのだととすれば、ヨーロッパに行くためにアラビア語圏を経由するのはいいな、と思うのです。
そんなことを考えながら、以前にキャッシュカードを食われたATMの横を通りながら苦笑いし、イタリアへのゲート付近でいつも入るカフェに入って楽譜を広げて一休み。どこでも勉強が出来るのは指揮者の幸せの一つであるかもしれません。