私は指揮者であり、彼女はバレリーナである。しかし彼女が作り出す時間は、私にとって、最も充実した音楽のレッスンの一つである。なぜならば彼女のレッスンはいつも、バレエという芸術のみならず、音楽の考え方に対しても多くの示唆を与えてくれるからだ。
彼女のレッスンの特徴を挙げてみよう。彼女のレッスンは、はじまる前からはじまっている。生徒たちの中に混じって彼女がウォーミングアップをはじめた瞬間から生徒たちは彼女に魅了されてしまう。「華がある」とはこのことだろうか、あたかもそこにスポットライトが当たるような錯覚を覚えずにはいられない。そしてレッスンがはじまると心地よい緊張感を継続させながら、まるで踊りのバリエーションを繰り出すかのごとく、次から次へと淀みなく進んで行く。そのスピード感に食らいついてくる生徒と、戸惑ってしまう生徒がもちろん出てくるわけだが、そこで彼女は生徒一人一人に目を届かせることを決して忘れない。小学生には小学生に相応しい言葉で、中学生には中学生に適した言葉で彼女はアドバイスを行う。
特筆すべきは、イメージに訴えかける彼女の言葉の力だ。難しいところに差し掛かったとき、彼女はいつも絶妙のタイミングで絶妙な比喩を用いる。生徒の動きは一変し、レッスンの観客である母親たちも思わず笑顔になってしまう。それは、指揮者として日々イメージを用いるリハーサルを重ねている私にとって、最も感動的で、刺激的な瞬間の一つである。
もちろん、彼女が実際に踊ってみせるときの美しさは言うまでもないだろう。彼女が踊り始めると空間が造形されていくのが分かる。柔らかさと緊張の積み重ねから、鮮やかな動きが必然的に導きだされるような感覚を受ける。言葉にはならない「何か」が確実に伝わってくる。
このように彼女の踊りはメッセージに富むものであるが、それはただ自由に羽ばたくものではなく、厳格な基礎と音楽に伴う確かな拍感に立脚している。と同時に、たとえばキャラクターダンスにおいては、「なぜその動きになるのか」ということを民族性や文化的背景に基づいて明快に説明できる、知性と論理性をも兼ね備えている。だからこそ、生徒たちは単なる見よう見まねでなく、理解し・納得しながら学ぶことができるのだ。
脱力の重要性、静と動のコントラスト…数え上げればキリがない。音楽と踊りが不可分の関係であることを彼女はいつも教えてくれる。そして何より、表現することの楽しみを!指揮者として、砂原伽音というテルプシコラに出会えたことを幸せに思う。
…
ロシアと日本で活躍するバレリーナで友人の砂原さんのレッスンを見学させて頂いたあとに書いた文章です。彼女のレッスンを見学するのはこれが初めてではなく、機会があるたびに見学させて頂いているのですが、見るたびに圧倒され、言葉にしようと試みては言葉にしきれないものの多さに魅了されるのです。
モスクワへ発つ前に会えてよかった。このように同世代で尊敬出来る友人を得たことを幸せに思います。