未知の響き – 2018年の終わりに

朝焼けのイタリア。教会の鐘が鳴り響く。また今年も年末年始はヨーロッパで勉強をしていて、ミュンヘンからローマ、ボローニャ、そしてカサブランカへと回ることになる。旅するなかで年が明ける。そんな感覚だ。

今年一年は旅に明け暮れた一年だった。年間に約90泊。日本中をめぐり、海外で仕事があれば飛んでいった。長く指揮している福井に20泊。それからウィーン、リスボン、ポルト、エシュポゼンデ。ドバイ、ボローニャ、ミュンヘン、フランクフルト、パリ、ローマ。そしてハワイ。

何かに追われるようにして旅を続けた。遠くへ、遠くへと向かわなければ、収束してくる何物かに押しつぶされて小さくなってしまいそうな気がしていた。

楽譜と指揮棒と衣装を携えて旅し続ける日々。それは全く苦にならない。その場所ごとに素敵な出会いがあり、新鮮で刺激的な経験に巡り会うからだ。だが何よりも重要なことは、旅を通じて自身を相対化し、自己を発見できるということに尽きる。「自分探しの旅」というような言い回しは半ばアイロニカルに用いられていて使いづらいが、決して見当はずれなものではない。モーツァルトもヴィラ=ロボスも貴志康一も、旅を通じて自らを発見していった。

旅を重ねて東京に戻ったときには、東京大学「学藝饗宴」ゼミナールや代官山未来音楽塾で、一線を走る様々な表現者たちと対談を重ねた。音楽家のみならず哲学者、建築家、画家、小説家…あるときには知性の役割をめぐって、あるときには祈りという身振りをめぐって。旅を通じて見出した肌感覚が、異なる領域の表現者との対談を通じて言語の形を取って結晶する。そうやって、対談のなかで主題となった思想や問題を抱いて、また次の旅へと出かけていくことができた。そしてそれを自分の表現-音楽に宿そうと試み続けた。

リスボンからポルトへ飛んだ際に見た大西洋と雲海。二つの海の光景がずっとフラッシュバックしている。プロペラ機の上から、どこまでが雲でどこまでが海か分からなくなる景色を見た。大航海時代に人々はここを渡ったのか。これだけ何もない景色へと漕ぎ出して行くその勇気はどこから来たのだろう?地位か、権力か?そうではないだろう。命を賭けられるほどの欲動、それは好奇心をおいて他にない。きっと彼らは気になったのだ。自分には何ができるのか。その先に何があるのか。ある種の賭け。そう、彼らは自分たちの好奇心に賭けたのだ。

賭け続けなければいけない。自分には何ができるのだろうということを求めるときには、自分ではないものと触れ続けることが必要なのかもしれない。これまでの自分ではないものになること。自分ではないものと共に在ること。それに賭け続けたとき、いつか逆説的に自分が立ち現れる。

 

未知に向かって
未知に向かって

 

 

 

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