アリアを聞きながら

アリアを聞きながら、その人が手に収めている時間と空間の広がりを考える。時間の見通し。意識の触手を延ばしうる空間のサイズ。それを「巻き込む力」と言い換えても良いだろう。すっかり親しくなった歌の友人たちの素晴らしい演奏を聴かせて頂きながら、第一声目から人の心を鷲掴みにする「何か」はこの要素に尽きると思った。

福井大学フィル、初リハーサル!

先週末は福井大学フィルハーモニー管弦楽団さんとの初リハーサルのため、福井に出かけてきました。半年間中毒のように勉強し続けたカリンニコフを実際に音にすることが出来る喜びはもちろん、福井を訪れるのは実質はじめてのようなものでしたから、旅が大好きな人間としてはもう移動だけでワクワクしてしまいます。

慶應義塾大学SFC研究所上席所員に採用されました。

本日付けで、慶應義塾大学SFC研究所上席所員(Senior Researcher, Keio Research Institute at SFC)のお名前を頂きました。指揮者として採用されるのは同研究所はじめてかもしれません。これからも様々なところで指揮する経験を積み、音楽以外の分野の方々とも協同しながら、そこで得た知見を自分なりの「言葉」に練り上げて発表するための場を頂いたと思って、さらに邁進したいと思います。researchmapにも登録致しましたので、どうぞご覧下さい。

 

母校の東京同窓会

駒場で助手をしている授業を終えたあと、ご厚意に預かり、母校の東京同窓会に途中から参加させて頂く。突然のことだったので桜色のシャツにストールをひっかけたような格好だったのだけれども、芸術に携わる身としてはこれもアリかなと思い、ラフな服装のまま飛び込む。

「旅のはじまり」、「熱狂」のありかた — WSO2015年度シーズン・プログラムによせて —

正指揮者を務めておりますWorldship Orchestraの2015年度夏秋ツアーのシーズン・プログラムについて寄稿致しました。2015年度春の選曲やシーズンプログラム解説文も担当させて頂きましたが、有り難い事にこれがとても好評だったということで、夏秋ツアーについても執筆のオファーを頂いたものです。

カリンニコフ研究 Part2(交響曲第1番と同時代の彼の楽曲、特に歌曲について)

Part1では、カリンニコフ本人の手紙のリーディングを通じて、交響曲第1番執筆時の彼の状況や思考を立上がらせることを試みた。ロシア語からの翻訳ということで私には十分に訳しきれなかったところが多かったかもしれないが、交響曲第1番に彼の人生が深く刻まれているということは疑いないものになったように思う。Part2では、交響曲第1番を作曲していたころと並行する時期の彼の楽曲を見ておきたい。とりわけ、ピアノ4手による「交響曲第1番の主題によるポロネーズ」(Полонез на темы Симфонии No. 1)、および歌曲(たとえばアレクセイ・プレシチェーエフの詩によるНам звёзды кроткие мерцали)が重要になるだろう。

一人の男が人生を音楽に捧げるとき:ヘルマン・シェルヘンの肖像

カリンニコフの一番を勉強するうちに、巷に出回っているこの曲の録音はおそらく大体聞いたように思う。中でも飛び抜けて素晴らしいと思ったのがヘルマン・シェルヘンの録音だ。シェルヘンは何となく「奇抜な」解釈という印象や先入観を持っていて、カリンニコフ以外の録音についても自分から聞くことはあまり多くない指揮者だった。そして、このカリンニコフの録音を聞いて、そんなふうに思っていた自らの不明を強く恥じた。なんと明瞭で緻密な演奏だろうか!

夕焼け

夕焼けがとても鮮やかで、ただそれだけのことなのだけど、そのことに感動せずにはいられない。そしてまた、この場が、<ただそれだけのこと>に驚きを持って綴れるような場所でありたいと思う。神と共に、幸せもきっと小さきところに宿る。