これまでに頂いたご感想や、お世話になった先生方、そして一緒に演奏して頂いた皆様から頂いたメッセージを掲載致します。(敬称略とさせて頂くことを何卒お許しください)
メッセージをお寄せ頂ける方はContactよりお気軽にご連絡頂けましたら幸いです。
小林 康夫(哲学者/東京大学名誉教授)
4月の末にポルトガルのエシュポセンデで行われた国際指揮コンクール(The BMW International Conducting Masterclass and Competition)で、日本人初で、優勝したのが、木許裕介さん。駒場の大学院でのわたしの最後の授業に出てくれていた比較文学比較文化の学生でした。
Bravo!すばらしい。世界の舞台で優勝するなんて!しかも、かれは、修士論文を書いたところで、博士課程に進むのではなく、指揮者の道を行くという果敢な選択。それがこのように花開こうとしている。嬉しいですねえ。しかも、かれは、メールで、「先生がフィリップ・ジャコテを読みながらおっしゃった、最も強烈な呼びかけこそが「詩」であり「祈り」あるという言葉を、最近指揮するたびによく思い出します。」と言ってくれるのです。優勝を決めたあとのメールでも。
「作品の核心を端的な言葉で射抜く、という先生から教わった手つきは、リハーサルをするときにも活きています。」ーーーーわたし、ほんと泣きますね。そう、わたしが駒場で教えた(かった)こととは、それに尽きると思いますから。それを、指揮というまったくわたしから離れたフィールドで活かしてくれるなんて。
メールには、「『その人のまだ知らない何かを刺激したいだけ』という先生のクレドに僕は救われ、道を自分から切り開く勇気を頂きました。先生のその思いはきっと、これからも次の世代に響いていくことを信じて疑いませんし、私もいつか、そういうふうな存在になりたいと思う夜でした。」と書いてくださっていて、嬉しいです。
でも、このためには、「刺激」に対して、感受性が高いというか、貪欲であることが必要です。自分自身の世界を信じることができる強さというかな。自分というまさに「謎」を、簡単に解いてしまって安心するのではなく、「謎」として生きるという覚悟というか。わたしはときどき教室で、(これまるでデュラス的発言ですが)「ぼくは自分が知らないことを教えたいんだよ」と言い放つことがありますが、自分が教えたことすらわからないような仕方でこそ、「教える」が起るということですね。もはや「教える」ではないのですが。
木許さんは、追伸メールで、わたしの講義について書いたご自分のブログのアドレスを送ってくれました。そうすると、わたしが教室でジャコテのテクストを読んだのが、2014年の10月だったということがわかります。そのことは、わたしのほうは、ほとんど忘れているわけですが。なるほど、わたし自身、去年の秋に、桑田光平さんとともに、ジャコテさんのお宅にうかがって、92歳の詩人と会ってお話しをするようになったのは、こういう時間の積み重ねの果てなのだなあ、とあらためて思います。縫い糸が布の表と裏を縫って続いていくように。
どうぞ、みなさまも木許さんのブログをお読みください。わたしとしては、かれが、やはり音楽の人、「声」に感動してくれているのに、感動しましたね。そう、「声」なんですよね。わたしがジャコテさんの詩を読み、それはわたしの「声」であり、まさにシャーマン的に、ジャコテさんの「声」であり、また同時に、誰でもないものの「声」であり、pourquoi pas、木許さん自身の「声」であったりするのです。文学も音楽も「声」の出来事。だからこそ、その人に会う、その人と「向かい合い』vis-à-visになることが大事なんです。「向かい合い」の眼差しはもちろん同時に、敵対的な関係にもなるのですが、不思議なことに「声」は「重ね合わせ」が効くのですね。
指揮というのは、きっと複数の「声」の「重ね合わせ」をアレンジすることですよね。まるで生け花のように。「声」は「花」なので。(わたし自身は、幼年時代よりいつも「声」に問題を抱えていて、いつまでたっても自分の「声」が花開かないのですが。わたしの「声」はなかなか届かない、と思います。濁っているし。掠れるし。木許さんだから、それでもその「誰でもないもの」の「声」を聞き届けてくれたのかしら?と思ったりします)。
声は襞であり、襞のように空間に沁みとおっていきます。そうして、どこかちがう場所へとわれわれを連れて行ってくれる。デリダの哲学の出発点は『声と現象』でしたが、その「声」は、自分が自分を聞くという「声」でした。でも、それだけじゃない。「声」は、もはや自分の「声」ではなく、誰でもないもの「声」、その意味で、天使的な「声」にもなるのです、と思わず湧いてきた言葉、ままよ、書きつけておこうかな。
世界へと羽撃いてほしい。いまこそ、世界へと向わなければならない。日本という小さな世界にますます自閉しつつあるようにみえるこの国の文化のことを思うと、激しく、そう思います。
鈴木 寛(東京大学教授兼慶應義塾大学教授/文部科学大臣補佐官、元文部科学副大臣)
「ついにめぐり逢えた。」母校の同窓会で、25歳も後輩の木許裕介君に、初めて出逢ったとき、久しぶりに小躍りする自分がいた。実は、木許君のような人を、僕は、ずっと探し続けていた。
比較文化論および比較芸術を専攻し、学術修士号を東大で取得後、プロ指揮者になった木許君。まずは、一流の指揮者として、アジアいや世界のクラシック界で大活躍してほしい。音楽の素晴らしさを、多くの国の次世代に伝えてほしい。そのタクトで、人々を魅了し、木許音楽に共感、共鳴した人たちの間に、幸せの絆が、どんどん生まれ広がるよう、頑張ってほしい。
そして、僕と一緒にやってほしいことがある。ソーシャルコンダクターを育てること。その育て方を究め、広めることだ。リーダーの育成が声高に叫ばれるも、それが前世紀のリーダー像で語られていることに、違和感を感じていた僕が、悩んだ挙句、行き着いたのが、ソーシャルコンダクター、ソーシャルオーケストレーションというコンセプトだった。音を自分で鳴らさない音楽家、指揮者。それぞれのプレイヤーの力を最大限に引き出し、様々な音色を「交響」させ、ハーモニーを作り出し、音の力で空間を一変させ、人々の心に「楽」をもたらしていくマジック。このマジックを、僕は木許君と一緒に、世の中のいろんなところに広めたい。音楽の世界には、その才能をもった人材を見つけ出し、マジックを修得させる指導法と育成のコミュニテイがある。村方千之先生は、日本での先駆だ。村方先生の一の弟子として指揮法のマジックの真髄を深く修得し、しかも、多文化の共生とクロスカルチュラルな協働について深い教養と洞察を持っている木許君と、グローバルリーダーの養成の分野で、協演できるのは本当に嬉しい。これからもよろしく。
寺田 寅彦(東京大学大学院総合文化研究科教授)
「光に向かって ― 時代の感性をとらえる木許裕介氏」
世の中には最短距離しか求めないタイプの人がいる。電車では一番混む車両に乗り、車に乗れば交通量の多い幹線道路を走り、歩いては直線の道を歩く。時間の無駄を省いているようで、結局は駅構内の混雑に巻き込まれ、車道の渋滞に引っかかり、歩道のそばを猛スピードで走る車に煽られるはめになる。木許裕介氏はその最短距離をあえて遠ざける。車窓からの眺めを味わい、一歩脇道に入って秘められた美を見出し、なだらかな丘の道の起伏を楽しむ。余裕をもって時を過ごす術を知っているのだ。
それは木許氏の思考形式にも表れている。「≪disposition(配置)≫、≪exposition(展示)≫、そして≪composition(構成)≫という三つの連続する位相」、これが木許氏が論文「月の光と妖精―世紀末パリにおける人工光技術の展開と感性の変容―」でとった論の展開だった。十九世紀のパリにおける人工光技術を入り口に、当時の光に対する感性を論じるために、このような論理展開は決して最短コースではない。しかし、あえてこの三つの≪-position≫を合理的に順序立てて論の拠り所としたところに、木許氏の独自性がある。この時代の人工光を論じた論文は数多くあるが、木許氏の論は直線的ではなくとも段階的な展開を経ることで、他の論者が見落としてきた当時の感性の細部を丁寧に掬い上げた。電気という極めて科学的な現象を描く表現に、妖精という実に神秘的で美しい言説が登場することを説得力をもって論じることができたのは、最短距離を求めないがゆえの木許氏の幅広い視野ゆえであった。
木許氏のサイトは氏の感性との出合いの場である。デジタル化の時代、サイトは光という支持体によって成立している。この光に向かってぜひ多くの人が集ってほしいと願う。
Giovanni Bovisse (Violinist / International School Manila Strings Director, Director of Tondo Chamber Orchestra)
It was an amazing opportunity to have Mr. Yusuke Kimoto as a guest conductor for the underprivileged children of the Tondo Chamber Orchestra (TCO) of Manila, Philippines.
Mr. Kimoto was able to challenge the young musicians to give their best demonstrating great communicative skills despite the language barriers and his performances have been praised by the public and critic. Not only Mr. Kimoto succeeded in preparing wonderfully a variety of repertoire but he left quite a good impression in Manila and inspiring young musicians to further dig into music and, hopefully, to take up conducting.
TCO is looking forward to cooperate again with this talented conductor and is honored to have him among its friends and supporters.
フィリピン-マニラのトンドチェンバーオーケストラ(TCO)という、恵まれない子どもたちのためのオーケストラのゲストコンダクターに木許裕介氏を迎えたことは、真に素晴らしい機会でした。言語という壁があるにも関わらず、木許氏は素晴らしいコミュニケーションスキルを発揮し、さらには多くの人々や批評家によって賞賛を得ている彼の能力を発揮して、若い音楽家たちが自身のベストに至る刺激を与える才能を有していました。
木許氏は驚異的に幅広いレパートリーを重ねることに成功しているのみならず、彼はマニラにおいて極めて良い印象を残しています。そして、若い音楽家たちが音楽にさらに精を出すよう、そして願わくは指揮をはじめるように感化しているのです。TCOは再びこの才能ある指揮者と協同することを心待ちにしていますし、その友人たちや支持者たちのなかで、木許裕介氏と共に時間を過ごせたことを光栄に思っています。
杉山 正(トランペット/ブラスエデュケーター)
木許さんに会ったのは、2015年のクリスマスイブ。私がライフワークとして取り組んでいるStan Kenton楽団のクリスマスキャロルを中心としたコンサートでした。ジャズ愛好家なら誰もが知っているメイナード・ファーガソン(tp)、コンテ・カンドリ(tp)、フランク・ロソリーノ(tb)、カール・フォンタナ(tb)など、たくさんのスタープレーヤーを輩出し,20世紀最高峰のビッグバンドと称賛されたスタン・ケントン楽団。当時、楽団がリリースした数々のアルバムの中で、木管楽器を使用せず、金管楽器とティンパニー、チャイムなどを含むリズムセクションだけでクリスマスキャロルを演奏する「Stan Kenton Christmas」は斬新なものでした。そのレコーディングに使われた楽譜と同じものを随分前から所有していたので、ケントン楽団と同じゴージャスな金管の響きをなんとか表現したいと常に思っていました。
私が演奏家として取り組んでいるビッグバンドという形態は、日本においてコンダクターが存在しないのが普通なのですが、この日再現しようと思っていた金管楽器+パーカッションとリズムセクションの形態ではどうしてもコンダクターが必要となります。普段ジャズプレーヤーのみで構成されているビッグバンドのサックスセクションが抜けて、その代わりにクラシック奏者によるホルン、さらにティンパニーやマリンバ、チャイムなどが加わる形態は経験した事もなかった私ですので、誰をコンダクターに迎えたらよいのか随分悩みました。というのも、このクリスマスキャロルは日本国内ではほとんど演奏されていないこと、ジャズに対して偏見がないことが要求されるからでした。
知人に相談したところ、真っ先に名前が上がったのが木許さんでした。面識もないままお願いすることになったため、木許さんには、このコンサートのサウンドやアンサンブルのイメージを共有してもらうために音資料を送り、細部に渡ってのメールのやり取りが始まりました。木許さんには事前にスコアーを渡してありましたが、ジャズの要素がふんだんにちりばめられた楽譜に対して、普段クラシックメインに活動されている彼がどのように音楽を作り上げてくれるのか、少々の不安と多大な期待を持って会場入りした私のもとに、にこやかな顔で向かって来る木許さんを見て「彼なら大丈夫!」と感じました。
今だから明かしますが、実は参加してくれた奏者達は時期的にも多忙だったため、リハーサルは無謀にも本番当日のみという過酷な条件下でした。参加してくれた奏者達も本番当日が初顔合わせが大部分だったので、どこまでコミュニケーションが取れるか不安だったと思います。それを見事にまとめ上げてくれたのが木許さんでした。 さて、本番。木許さんからは、初めて耳にする音楽への探究心、柔軟性、偏見のない情熱とエネルギー、そして私達ジャズプレーヤーが持つ音圧や普段余り耳にすることのないジャズ特有のアンサンブルを楽しんでいる様子が伝わって来て、こちらも楽しんで演奏出来た事を嬉しく思います。その場でこのアンサンブルの常任指揮者になって欲しいと伝え、今日に至ります。
私は演奏の他に、ブラスエデュケーターとしても活動しています。私の師であったClaude Gordonは1960年〜70年代にアメリカで活躍した、バイオリンのヴァーチュオーソに匹敵するようなテクニックを持ったコルネットのヴァーチュオーソ達が実際に行っていた伝統的な練習方法を、現代の金管楽器奏者に伝える真の金管楽器指導者でした。ブラスキャンプと呼ばれる、彼が長年行って来た金管楽器奏者のためのセミナーを私が引き継ぐ形で2009年よりMassashi Sugiyama Brass Campを開催しています。これについて木許さんに伝えたところ、大変興味を持ってくれ、2017年2月に開催したブラスキャンプには忙しい時間の合間を縫って駆けつけてくれました。木許さんとは今後もエキサイティングなコラボレーションをして行けたらと強く思っております。
白小路 紗季(ヴァイオリン/カッセル州立歌劇場)
木許くんとは小学校の低学年を同じクラスで過ごしたのですが、勉強もスポーツも一番なだけでなく、抜群のセンスを持った小学生でした。遊びでも勉強でも、すぐに面白い発想をしてみんなを楽しませる人気者で、そして何と言っても作文の上手さは小学生とは思えないレベルでした。
私は本を読むのがあまり好きではないのですが、木許くんの作文には本当に魅きつけられて、大人になってからも文集でわざわざ読み返していました。 最後の一文でぞくっとしたり、ノスタルジックな気持ちになったり、私はもういい大人なはずなのに、なんで小学生の作文でこんなに魅き込まれるんだろう・・!と、文集を読み返すのが小さな楽しみになっていました。小学校を卒業して15年ほどして、facebookを通じて再会したのですが、私にとってはずっと憧れていた文豪が帰って来た!という夢みたいな感覚でした。そんな子が音楽を始めたと知って、つまりこっちの世界にやってきたという事で、もうそれはものすごい衝撃でした。
木許くんのもう一つの大きな特徴は、小さい頃からどの人に対しても礼儀があって、人を心から丁寧に扱うところです。すぐに人のいいところを見つけ出して楽しそうにしているのは木許くんのまわりの友達がよく見ている姿だと思います。初めて木許くんの指揮を見たとき、その木許くんが昔から持っているいいところを全て見ているような気がして、うまく言葉では言い表せませんが、音楽をやる意味を教わった気がしました。自分が20年以上無意識にやってきたことは何にも間違ってなかったんだとその時気づいて、すごく嬉しい時間でもありました。
去年の夏はフィリピンで3週間ほど一緒に音楽をしたのですが、一瞬たりともオーケストラのみんなへの敬意も音楽への愛情も忘れずに過ごしていて、木許くんは、指揮によって、生まれ持った才能を存分に生かしているんだと気づきました。もう文集の中だけでなく、その木許くんの芸術にこれからずっと触れ合えて行けるのは本当に幸せな事です。
砂原 伽音(ロシア国立オペラ・バレエ劇場ソリスト在籍中)
私の所属する劇場の指揮者は「巧い指揮者の料理は美味い」と言いながら、よく料理を振舞ってくれます。木許さんも同じことを言っていたな、と思い出していたところでした。この場を借りて、彼について紹介させていただけますことを嬉しく思います。
木許さんは私を愉しませてくれる、美しく愛すべき人々のうちの一人です。出逢いのきっかけは、彼が指揮したヴィラ=ロボスの音源。音を聴いた瞬間、何より先に身体が動いて即興で振付けてしまった。音楽に関しては無知ながら、指揮者がどれだけ重要な役割を果たしているかだけは、分かっているつもりです。
指揮者無しにはバレエの公演は成り立ちません、というのはオーケストラピットは舞台よりもだいぶ低い位置にあり、奏者は譜面と指揮者しか見ていないので、指揮者がダンサーの動きをしっかり捉えて、奏者にキッカケを出さないと音が鳴らない....。先日の「白鳥の湖」の舞台で、3幕の王子のソロで指揮者がキッカケを間違えてしまい、ダンサーが踊れず音だけが会場に響きました。終演後、スコアを読み返しながら独りすすり泣いている指揮者を見たのです。私はそのとき、指揮者が抱えている悩みや、プライドがすこし分かった気がした。指揮者は指揮者である、これに気が付くまで、すこし時間がかかりました。
厳格な基礎を美とし、一瞬の躊躇も感じさせない誠実な古典を愛する者として、木許さんが指揮者であり―執筆者であり―研究者でいることを、友人としてとても誇りに思います。
坂本 紫穂(和菓子作家/紫をん 主宰)
とあるお茶会にて、茶菓子『katharsis』をお出ししたのですが、そちらの感想を直接いただいたのが木許さんとの出会い。
和菓子の銘と意匠の間にある文脈について話がはずみ、初対面なのにたくさんの意見を交換させていただきました。 抽象や具象そして紡ぎ手である我々の ‘在りかた’ や方向について、いつお話ししてもたくさんの共感があり、喜びとともに心強く感じます。
音楽と和菓子。
それぞれ異なる存在のようにも見えますが、木許さんと話しているうちに、双方が内包するエレメントはとても近いように思いました。このような出会いをいただけたことに深く感謝するとともに、これからもたくさんの影響を与え合えるよう、精進して生きたいと願うばかりです。
豊田 麻子(料理家・学芸員/ミスユニバース2007年度ファイナリスト)
木許さんにインタビューするという形で出会ったのが去年のこと。私は19世紀後半のフランス絵画を、木許さんは指揮の勉強と並行して、19世紀末フランスを対象とした比較芸術や感性史の研究をなさっているとのことで、すぐに意気投合しました。
同世代に面白い人がいるな…という印象でしたが、2度目にお仕事でご一緒させていただいた機会に、その印象は尊敬へと変わりました。どんな角度からの質問に対しても、自分の想像を遥かに超えた切り口でストライクを投げてくる。明晰な頭脳はもちろん、柔軟で鋭い五感とその言語能力に衝撃を受けたのです。身の周りのあらゆることから学ぶ謙虚さで、これからも進化を続けていく本物の芸術家なのだと思っています。
坂田 百合子(宝塚市観光大使 リボンの騎士「サファイア」第5期)
木許さんとの出会いは宝塚市で毎年開催されているベガジュニアアンサンブルコンサート。宝塚市観光大使リボンの騎士「サファイア」として活動していた私は、木許さんが常任指揮者を務めるこのコンサートの司会をさせて頂くことになりました。初めてお会いした時から木許さんは、とても気さくに話しかけて下さいました。満開の桜がパッと咲くように人を笑顔にする温かいお人柄が印象的です。
そんな木許さんの作り出す音楽は万華鏡のようです。時に優しく、時に情熱的に、時に繊細に…。ご一緒させて頂く度にキラキラと色を変えて輝く万華鏡のように違った表情を魅せて下さいます。私もそんな木許さんの作り出す音楽に魅了されているうちの一人です。
司会をする上では、客席にいらっしゃるお客様の息づかいを感じながら伝えることを大切にしています。舞台からお客様の嬉しそうなお顔を見ると、より舞台と客席が一つになり、音楽に一体感が生まれるように感じます。一緒に笑い、一緒に喜び、一緒に音楽の感動を共有することができること。司会者としてご一緒させて頂いていることを本当に幸せに思っております。
宝塚市が誇る素晴らしい音響効果のベガホールで開催されているこのコンサート。ベガホールの名前の由来は琴座の「ベガ」にちなんでいます。 夜空に光輝く星の存在である木許さんと小さな音楽家たちが奏でる素敵な音楽を是非一度聴きに来て頂けたら嬉しく思います。「夢を育むまち 宝塚」でお待ちしております。
飯島 智珠(一般社団法人Amasia International Philharmonic/代表理事、インテンダント、ヴァイオリン)
まさか出逢った2年後、一緒に団体を立ち上げることになろうとは想像もしていなかった木許さん。暗中模索していた自分の夢に、まさか”僕の一番大事なプロジェクトだから”と共感してくださる方がこんなに近くにいたとは、出逢うべくして出逢ったとしか言いようがありません。
チャイコフスキーの4番でご一緒しての第一印象は、目の前の人や音楽と真正面から真剣に向き合ってその才能や素晴らしさを紡ぎ出す、とても印象に残る詩人のような方で、生涯忘れぬ熱狂的な演奏会になったこと。今や、私自身の世界をも広げてくださる情緒的でありながら戦略家、魅力溢れるなくてはならない存在です。
出逢ってから2年後の夏、ひょんなきっかけで久々に再会の約束をしてワイン片手に私の長年の人生のビジョンを語ると、その場で「まさにそれがやりたかった!」と二つ返事で一緒に団体を立ち上げるパートナーになり、Amasiaは動き出しました。彼はAmasiaの芸術監督に就任くださり、「オーケストラとは何か?」「オーケストラで何が得られるのか?」まさに”芸術と学問を結びつける”誰もやってこなかったことを共に形にしようとしています。
立ち上げてからは急速に前進し、カサブランカ国際音楽祭やSummer Camp Fukuiといった大きなスケール感でまさに今、実現に向け走り出しています。これは私が学生時代から、一体誰とどうしたら実現できるのだろうか..?と考え続け、構想していた夢であり、木許さんと出逢っていなければ決して実現出来なかったことだと確信できます。なぜならば、音楽芸術という1つの視点からこの問いを考えても、異なる領域との革新的なコラボレーションは成し得ないからです。本当に腐らずに発信し続けてよかった。この場を借りて心から、ありがとうございます。
彼は音楽家でありながら学問という視点で常に物事を横断的に捉え、様々な異なる領域の専門家と関係性を築いていらっしゃる方ですので、まさにAmasiaになくてはならない存在であり、これから一緒に、素晴らしい経験の場を実現させていきたいと思います。日頃精力的に活動されていて多忙な中、そして彼の関わる全てのことは彼自身のブランディングである中、必ずAmasiaを考える時間を作り発信してくださる、そこに最大の信頼を置いていますし、私もその信頼を裏切らぬよう、人生を賭けてこのプロジェクトを木許さんと協奏していきたいと思っています。
私もまだまだ未熟で学ぶことばかりですが、是非一緒にオーケストラ界に一石を投じ、教育を考え、Social Orchestrationを実現させていきましょう。そして、一指揮者、一演奏家として純粋に音楽でもまたご一緒したいですね。これからも、よろしくお願いします。
北畠 奈緒(フルート/ウィーン国立音楽大学)
木許さんは、私にとって大学時代からの最も大切な友人の内の一人です。私が大学1年生の頃から今年で5年目のおつきあいとなります。私も今でこそ音楽を専攻として日々学んでいますが、以前は一般大学にいながら、音楽の道を志す身でありましたので、彼ととても似た環境で音楽と向き合っていました。節目には、お互いの近況を報告し合い、その度にとても良い刺激を受けています。
先日、福井大学フィルハーモニー管弦楽団の第63回定期演奏会において、木許さんは客演指揮者として、私は尾高のフルート協奏曲のソリストとして共演させて頂きました。リハーサルから本番まで数日間ご一緒させて頂きましたが、彼は緊張も疲れも、これまで一人で何千回と読み込んだスコアと向き合う時間も、すべてを楽しんでいるように感じました。コンチェルトでは、リハーサルで上手くいかなかったところを後に話し合ってみると、次の日のリハーサルでは完璧にクリアできていて、どれだけこの曲を勉強して来たのだろうと想像し難いほどです。
私にとってフルオーケストラをバックにコンチェルトを演奏することは、人生で初めての経験だったので、楽しみだった反面、正直不安も多くありましたが、木許さんが指揮者だったおかげで精神的にも大きく支えられました。本番当日の朝、会場までの移動のとき、彼のわくわくした表情は忘れられません。私は朝から緊張していて、本番の直前まで不安と緊張でいっぱいでした。しかし舞台へ足を踏み入れる直前に、彼のあのわくわくした表情が想起され、この人と一緒に演奏するのだから大丈夫だと信じ、緊張はもちろんしながらも思い切って心を込めて演奏することが出来ました。
何度も彼が口にされていた「すべては愛」という言葉に、本番を共にして、深くうなずくことができました。ここまで徹底された「愛」は、人の心や行動、気持ちをこんなに良い方向に動かすことが出来るのだということを感じました。これからも木許さんらしさを忘れずに、ご活躍を期待しています。同時に、いつかお互い成長した姿で、また共演出来ますように。
落合 渚(クラリネット、インスペクター、第九実行委員会/東洋大学管弦楽団)
木許先生とご一緒させていただくのは、今回の東洋大学「第九」演奏会が初めてでした。この第九演奏会は、東洋大学のイベントとして4年に1度開催される演奏会です。前回の第九演奏会からコロナ禍を経験したにも関わらず、伝統を途絶えるさせることなく、2023年の第九演奏会開催を決めました。ただ、コロナ禍を受けたことにより、私たちオーケストラ団もいろいろなものが崩れ、失われていました。オケの現役団員数は大減少、団を運営するための役職はうまく引き継がれず……。団の崩壊を抑えることは難しかったです。また、私たちの貴重な学生時代の一部が、自粛期間と重なっています。自粛が原因なのか、集団の前に立つ、組織で力を発揮する機会を逃し、私たちが持っていたリーダー性や協調性というものも消失してしまったと感じています。
コロナ後の開催を決めた今回の第九演奏会、本番の1年前に決まっているべきことが決まっていない、実行委員メンバーの団結力も微妙、そして実行委員会の要所を担っていた学生数名が退団……。ここまで示したように、初めは良いスタートを切れたとは決して言えませんでした。それ以降、抜けてしまった人員をなんとか補い、実行委員会9名の新体制で再スタートをしました。
そのような状況を経て、演奏会のおよそ半年前に木許先生と私とでメールのやり取りが始まりました。はじめは、これ以上の失敗はできないと、かなり時間をかけてメール文を作成していました。元々私は文章を作るのが苦手なのですが、木許先生から包容力のある温かいお言葉で対応いただいたおかげで、徐々に気を楽にして書けるようになりました。また、どんな時間にメールを送っても受け入れていただき、私にとって強すぎる味方でいてくださいました。私の役職、インスペクターは、指揮者の先生の他に数名の人と連絡を取り合います。今回は第九演奏会ということもあって、よりたくさんの方々と繋がりを持つ必要がありました。その時に生まれた不安なことは、全て木許先生に解決していただいてました。何が適切か、最後に必ず私の後押しをしてくださる木許先生のおかげで、特に大きな問題なく周りの人とのやり取りを進められました。
6月下旬から2週間に1度、木許先生と実行委員会とで定期的にZoomミーティングを開いていました。ミーティングでは演奏会について相談事、団員のお悩み解決、その他に木許先生からたくさんのお話を聞かせていただいてました。木許先生がイギリス滞在時にミーティングを開いた日には、イギリスエピソードを教えていただき、ミーティングの場が明るくなっていました。これまでたくさんのご心配をおかけしたにも関わらず、木許先生が「第九ってそういう曲だから」とミーティング中に伝えてくださったことを強く覚えています。初めてミーティングに参加した日はドキドキでしたが、徐々に話しやすくなっていき、徐々にミーティング参加者が増加し、徐々に本番に向けて話が盛り上がっていきました。ミーティングのことを思い返してみて、もはや今はあの時間が恋しいくらいです。
8月下旬、オケリハーサルのため、木許先生と初めてお会いした日のこともよく覚えています。それまでにも何度かメールやミーティングを交わしており、ようやく木許先生にお会いするその日は変にソワソワしていました。お会いしてすぐに始まった会話は、まさかの夏の甲子園で優勝校が決まったこと。その他、音楽に関わる話や普段聞けないような話をしてくださり、私の緊張は一瞬でなくなりました。「なんだもう!午前中の私の緊張返して!」と内心で思っていました笑。 オケリハーサルの時、木許先生からオケに伝えていただく言葉は前向きなことばかり。毎回私たちに自信をつけて、今後の練習へと送り出してくださいます。「最後まで伸びるから!」と、私たちに伝え続けていただいたおかげで、特に弦楽器の皆さんが堂々と、格好良く音を奏でられるようになったと感じています。木許先生と関わりいただいたミーティングやリハーサルを過ごすたびに、私たちのモチベーションは分かりやすく高まっていました。
実は、演奏会のパンフレットや演奏前のアナウンス原稿の「添削」にも、失礼ですが一切遠慮なしに木許先生からお力をいただいてました。最高の演出を披露するために、あくまで学生をメインとして私たちを大きく支えてくれる、その存在が木許先生です。ちなみにアナウンス原稿の添削はものの5分で終わり、その後はレストランでお酒とともにいろんな会話を交わしていただいたことも、一生忘れない思い出です。
木許先生のお力をこれでもか、といただいたおかげで、第九演奏会ソリスト4名、合唱指導者、ピアニストも無事に決定しました。オケの後ろで歓喜を歌う合唱団も、木許先生からのアドバイスで動くことにより集めることができました。合唱団の中には、私たちから声かけした合唱団だけでなく、SNSやポスティングしたチラシから応募した方もいたようです。様々な理由でたくさんの人々がこの第九演奏会に集いました。このまま本番まで順調に進むと思っていたのですが……。
12月の初めに、オーケストラとソリスト、合唱団が初めて一緒に合わせをする日を予定しており、みんなが心待ちにしていました。しかし、直前の1週間になってリハーサルを予定していた場所が使えなくなってしまいました。このトラブルに当時はかなり焦りましたが、木許先生へすぐに相談させていただき、加えてこれまでにはなかった実行委員会の団結力、第九に携わるすべての方々からのご協力によってなんとか乗り越えて、最高に楽しいリハーサル日となりました。この試練を乗り越えたあたりから、それまで仲良くなかった第九実行委員会が、お互いに感謝を言い合える仲に変わっていったと思います。
この第九演奏会を大成功させるため、木許先生とやり取りさせていただいたメールの数は200通以上!インペク途中交代の私とだけでもその数なので、木許先生はもっと連絡を取ってくださっていたと考えられます。演奏会本番までの一週間は「この第九、終わってほしくない!」と強く思っていました。木許先生とご一緒させていただいた半年は、そのくらい想いの詰まった期間でした。掲げた「第九演奏会の大成功」はまさに有言実行!いくら時間が経過しても、この演奏会のことを思い出すと、幸せな気持ちになると思います。特別な思いを持ってこの第九に挑んでくださった木許先生、私たちにお伝えいただいたお言葉が少しでも思い通りに叶っていたら嬉しいです。
私から東洋大学管弦楽団、白山グリークラブ、混声合唱団、木許先生にお世話になった人々を代表して御礼を申し上げます。この第九演奏会が成功するかは、私たち学生の演奏力、そして大規模な人数を動かす運営力にかかっていました。木許先生には、私たちの持つその力をずっと信じてくださいました。こんなに素敵な経験をさせていただき、本当にありがとうございました!
九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団 18代執行部
私たち九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団が木許先生に指揮をお願いしたのは、2017年の第47回定期演奏会やその他学生オケで木許先生にお世話になった団員を中心に、先生に熱い信頼を持っている人がたくさんいたことがきっかけでした。
実際に木許先生と連絡を取っていく中で、先生の温厚で学生想いなお人柄や学生オケの可能性をどこまでも信じて挑戦してくださる姿勢に、執行部一同前向きな気持ちで準備を進めることができました。
実は弊団は一年前の2020年、第50回記念定期演奏会が新型コロナウイルスの影響を受け中止となり、この度の第51回定期演奏会には並々ならぬ思いで取り組んできました。「昨年開催できなかった無念を晴らしたい」「次世代に繋いでいくためにも、なんとしても演奏会を2年連続中止にはさせない」など理由は様々であれ、団員一同定期演奏会開催に対して熱意を燃やしておりました。
しかし、今年度も開催に至るまでは多くの困難がありました。新型コロナウイルスの影響による練習開始の大幅な遅れ、指揮者トレーニングの中止、当初予定していた2021年5月30日での開催見送り、延期した7月17日の本番直前まで約2ヶ月間の活動停止。振り返ってみると、いつ開催を断念する方向に傾いてもおかしくありませんでした。
数々の苦境を乗り越え、定期演奏会を2年ぶりに開催することができたのは、運営面・音楽面でも、さらには運営メンバーの精神面でも、木許先生に支えていただいたことが本当に大きいと考えます。木許先生は「この演奏会の成功は、コロナ禍で同じく苦しんでいる全国の学生オケを元気づける大きなきっかけになるでしょう」と何度も私たちを励まし、たとえ演奏の完成が困難を極めることになっても演奏活動が制限を受けている状況を打開する勇気がいかに大切かを説き、そして、私たちの選択に自信を持って頷いてくださりました。延期開催を決断した後は残された期間の少なさに慌ただしい日々が続きましたが、その中でも木許先生は最高の演奏に向けて私たち芸工オケに多くの時間と労力を費やしてくださり、成功のためにあらゆる面でできる限りを尽くしてくださいました。その間、先生の口からネガティブな言葉が出る事は一度としてありませんでした。
そして迎えた本番の日、一度は諦めたフルプログラムでの開催で、演奏は大成功に終わりました。頭の片隅に中止がよぎった事は一度などではなく、延期をしても全曲を完成させられる保証はどこにもない、それ以外にもたくさんの不安要素があった中でここまでできたのは、まさに奇跡のように感じました。私たちが演奏会開催を諦めることなく進むことができた力の源は、先生の温かく、まっすぐな励ましのお言葉です。木許先生と出会っていなければこの景色を見る事はできなかったでしょう。
木許先生、この度は本当にありがとうございました。
九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団 18代執行部(村上 日香・伊藤 大智・笹木 路予・梶原 夢乃・清水 優・丸山 由葵)
衛藤 希(コンサートミストレス/九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団)
木許先生とは2021年7月の九州大学フィルハーモニー管弦楽団第51回定期演奏会でご一緒させて頂きました。初めてお会いしたのは3月末の指揮者トレーニングの時です。当時は新型コロナウイルスの影響で大学側から部活動に制限がかかり、思うように活動ができていませんでした。少し落ち着いて何とか曲の練習に取りかかれた時には既に3月の頭でした。わずか2週間の練習で迎えた指揮者トレーニングは、団員全員が大きな不安を抱えて臨んでいたと思います。私も圧倒的な合奏不足で呆れられるのではないかと、内心びくびくしながら演奏していました。厳しいお言葉はもちろん、もしかしたらお怒りになるかもしれないと覚悟もしていました。しかし、そこでかけて頂いた言葉は、予想とは大きく違ってとても前向きなものでした。「2週間でここまでできたのはすごい」「この調子でいくと君たちはもっと伸びるよ」中にはお世辞もあったのかもしれませんが、私はその言葉にとても励まされました。木許先生の前向きな言葉で、それ以降の合奏の雰囲気はあっという間に変化したのを覚えています。一人一人が楽しそうに演奏していました。やる気を引き出してくれる、良い雰囲気を作り上げるのがとても上手な方なのだと思いました。自信があまりなかった私も、木許先生と一緒に合奏するのがとても楽しくなりました。
このまま上手くいくと思っていた矢先、2ヶ月に及ぶ活動停止を余儀なくされます。それにより多くの判断を迫られました。演奏会開催判断、観客形態判断、プログラムの縮小判断。私たちは何としても開催したいという思いが強かったです。木許先生もまた、私たちの意見を尊重してくださり、最善のやり方を模索してくださいました。
そして最終的には、活動再開後から2週間後の本番で全プログラムを演奏会することになりました。ブランクも大きく満足に練習時間が取れていない中、たった2週間で全プログラムを完成させることは、かなりのチャレンジだったと思います。それでも木許先生は、初めから最後まで私たちを信じてくださいました。そして私たちも木許先生を信頼していました。「できるよ。できるようになる。できるようにさせるのが指揮者の役目でもあるから。」木許先生は、大きな不安を抱えていたであろう全員を、再びやる気へと向かわせてくれました。残された2週間で木許先生はやれるだけのことをしてくださいます。中でもラウンドプラクティスはとても良い刺激になりました。たった2週間でもここまで変わるのかと思うほど、あらゆる手を尽くして私たちの力を伸ばしてくださり、音楽の可能性を実感しました。
大きなチャレンジでしたが、全力を出しきることができて後悔はしていません。むしろチャレンジして本当に良かったと思います。無事に演奏会を成功させることができた事も、チャレンジしてみようと思えた事も、本当に木許先生のお陰です。団員一人一人に向き合ってくださって、全員がのびのびと演奏できるような雰囲気を作り出すことができる、木許先生は、音楽を"音を楽しむ"ものにする天才だと思います。そんな木許先生と共に音楽を作り上げることができて本当に幸せです。
小口 雄也(学生指揮者/九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団)
2019年冬、弊団の先輩の繋がりで参加したオーケストラで指揮をなさっていたのが木許先生でした。初めての合奏では先生の言葉に対する感性の鋭さ、丁寧さに感銘を受け、当時学生指揮者新米だった私は「こういう指揮者を目指したい」と直観したのを覚えています。また練習外でも懇親会などでメンバー1人1人と気さくにお話されている姿が印象的でした。
それから数ヶ月、2020年に入って世の中は一変しました。今まで考えられなかった「演奏会が許されない」という事態。先述のオーケストラも演奏会の中止を余儀なくされました。一方で弊団第51回定期演奏会の指揮を木許先生に依頼したのもこの頃でした。当時はCOVID-19の影響がこれほどとは考えてもみませんでしたが、結果として第51回定期演奏会の指揮者が木許先生で良かったと、演奏会を終えた今は胸を張って言えます。
COVID-19の流行以降、大学オーケストラの活動は世情もとい各大学の方針に左右されるようになりました。今日練習ができても明日練習できるか分からない。明日練習ができなくなれば次はいつ練習できるか分からない。2021年に入っても状況はなかなか好転せず、一時は演奏会の開催すら危ぶまれました。そんな中、木許先生が練習で何度も仰っていたのが「芸工オケの、大学オーケストラの未来が懸かっている」ということでした。2年連続の定期演奏会中止は団にとって大きな打撃——弊団も例外ではありませんでした。だからこそ、何としても演奏会を開催する。木許先生の心意気に我々は何度も何度も救われました。この場をお借りして改めて御礼申し上げます。
そんな木許先生と音楽を奏でる時間は平時の苦悩をも忘れることができる、まさしくオアシスでした。架空の人物を巡る風刺が昨今のすったもんだにも通ずる『キージェ中尉』と幾多の困難に立ち向かう英雄的なグラズノフの『交響曲第5番』。情勢が刻一刻と変わる中で新たな意味合いを帯びてきたプログラムは、木許先生の指揮やお言葉、何よりも情熱によってみるみるうちに——普段私が練習指揮で苦労している点も一足飛びで——魅力的に変容していきました。そんな先生の練習内外の立ち居振舞いから私自身学ばせていただくことも多々あり、指揮者として、人間として大きく成長できたと実感しています。本番で2年ぶりに感じた「音楽する」感覚、そして願わくばこの時間が永遠であれという想いは何年経っても忘れることはないでしょう。
不思議なことに、木許先生とはこれから先また一緒に音楽をする機会があると確信しています。第51回定期演奏会は一度きりでしたが、同じ音楽を目指した「同志」としての事実が揺らぐことはありません。次はいつどこで共演できるか、今からとても楽しみにしております。ありがとうございました。
種村 美伶(コンサートミストレス/九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団)
木許先生とは2021年の九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団第51回定期演奏会で初めてお会いしました。2020年、この年は音楽界にも大きな打撃を与えた年でした。新型コロナウイルス感染拡大。我々の団も例外なくこの影響を受け、第50回記念演奏会は開催中止。為す術なく、「来年こそは」と拳を握り悔しさに耐えました。「来年は『51』らしく、新しい1歩を踏み出せるような演奏会にしたい」という思いの元、お呼びすることになったのが木許先生でした。
私がコンサートミストレスとして木許先生とご一緒させて頂くことになった曲は、グラズノフの交響曲第5番。ありとあらゆる要素が難しく、私は自分のパート譜と向き合っては焦ってばかりで、合奏中に周りなんて到底見えていませんでした。「木許先生は一体どんなお方だろうか」というワクワクする気持ち、「きちんと弾けるだろうか」という不安な気持ちが入り交じったまま迎えた第1回指揮者トレーニング。初めて先生のお姿を拝見した瞬間、「なんて穏やかな雰囲気をまとわれる方なんだろう」と思いました。そしてそれは先生自身だけではなく、トレーニング全体の空気もでした。緊張していた奏者も皆、先生の指揮でどんどん音がほぐれていくのです。私もそうでした。先生のご指導と「まだまだみんな上手くなるよ!」というお言葉によっていつの間にか抱いていた焦燥感は消え、ひたすら「楽しい」「もっと弾きたい」という思いで溢れて、視界がサアッと開けていく感じが分かりました。そしてあらゆる楽器の音が鮮明に聞こえてくるようになりました。私はこの時、ようやく初めて「コンサートミストレス」になれたのだと、今になって思います。
そしてその1ヶ月後に開催された指揮者トレーニング。1日目は予定通り開催されましたが、2日目が新型コロナウイルス感染症の影響により急遽中止となりました。それからは感染者がどんどん増え、緊急事態宣言の発令、約2ヶ月間に及ぶ活動停止。今年こそはきっと予定通りに開催できると信じて止まなかった私たちは、目の前が真っ暗になりました。でも、そんな絶望的な状況でも私たちはすぐに少しでも開催できる方法はないか模索し始めました。それは先生の「どんな形になっても、今年は絶対にやろう」というお言葉が心に刻まれていたからです。先生の熱い思いを受け、「諦めてたまるか」とすぐに延期公演の開催を決定しました。
それでも活動再開日から延期公演本番の日まで3週間程度しか練習期間はなく、止むを得ず「交響曲第5番は1楽章のみの公開」という決断を下しました。しかしいざ練習を再開してみると、全楽章を通して想像以上のクオリティがキープされていたのです。3日間しか指揮者トレーニングはできなかったのに、先生が吹き込んだ音楽が確かに団員の中に生きていることを感じました。「これは全楽章、公開しなければならない。無茶ぶりではあるが、木許先生なら絶対に団員のこれだけの思いに向き合って、応えてくださる」と私は確信していました。先生は「やろう!」と、背中を押して下さいました。そうして団員一同と木許先生の熱い思いで、本番の1週間前に全楽章公開、フルプログラム復活という決断に踏み切ったのです。
そこから本番までの成長具合は凄まじいものでした。団員たちの手腕ももちろんあるとは思いますが、曲の要所を押さえる先生の技術、そして何より「みんなならもっと上手くなる」という先生からの絶対的な信頼が私たちをどんどん成長させました。本番1週間前の指揮者トレーニング終了後も3時間近く弦トップ練習にお付き合い頂きました。トップ練習にここまで付き合って下さる指揮者なんて早々いらっしゃいません。「絶対に本番を成功させよう」という先生の熱い思いを感じました。
本番の交響曲第5番の終わりに一斉に弓が上がったあの光景を、私は一生忘れません。間違いなく「51」に相応しく、芸工オケとして新たな1歩を踏み出した瞬間だったと思います。そしてそれは木許先生とでなければ絶対作り上げることができませんでした。先生には感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。
先生からは音楽の技術だけではなく、「熱い思いは希望に繋げることができる」ということも学びました。いつかまた、木許先生と一緒に音楽ができる日が来ることを切に願っています。
中 貴一(トロンボーン/九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団2017年度部長)
木許先生に九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団の第47回定期演奏会の指揮をしていただくことなってから、実際にお会いするまで1年ほどの期間がありました。自身が部長を務める年の定期演奏会でしたので、その想いは並ではなく、大きな不安と期待を持っていましたが、プログラムを決める段階から熱心にアドバイスをしていただくなど、木許先生の熱い想いに次第に不安も薄れていき、最初のトレーニングで木許先生のご指導をいただいた時には、木許先生の作り出す雰囲気に僕の不安はすっかりなくなり、この演奏会は絶対に成功する、という確信を持っていました。
トレーニング以外の場所でも僕たちにとても気さくに話しかけてくださるなど、団員一人一人に気をかけてくださり、とてもありがたかったです。僕自身も、本番が近づくとどうしても焦っていたのか落ち着きがなかったのですが、木許先生はそんな僕の異変にいち早く気づき、声をかけていただき、一旦冷静になることができたのを覚えています。音楽面はもちろん、精神面でも本当に大きく助けていただきました。
今、演奏会が終わり、この文章を書いているのですが、僕たちの定期演奏会の指揮者が木許先生でよかったと、改めて心の底から思います。指揮者が木許先生だったからこそ、最高のプログラムが生まれ、濃密な練習期間を過ごせ、最高の演奏会にすることができたのだと思います。本番の舞台から見た木許先生が僕たちのオーケストラを指揮する姿は、何年経っても何十年経っても、きっと思い出すのだろうなと思います。本当に、本当にありがとうございました。木許先生と再びお会いすることができる日を心待ちにしております。きっとまた、ご縁がありますように。
八木 美紀(チェロ/九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団2017年度インスペクター)
木許先生とは、指揮の依頼をしてからはじめてのトレーニングまでの約1年間はメールでやりとりをさせていただいたのですが、最初の印象は素敵な文章を書かれる方だなというものでした。それもあってはじめてお会いする時は不安と緊張でいっぱいでしたが、直接お会いして指揮をしていただくと、オケの音の変わりようやその楽しさで毎回のトレーニングが待ち遠しくなるようになりました。
フランスものを得意とされる木許先生の指揮で演奏できて特に良かった曲は、プーランクのバレエ組曲「牝鹿」ではないかと思います。はじめの頃は独特の雰囲気や軽やかさが出せずに苦労していたのですが、先生に指揮していただくと途端に色が変わって驚いたことをよく覚えています。プーランクの音楽の鮮やかさや軽やかさ、気まぐれさ、洒落っ気などを先生に教えていただきました。特に数小節ですぐに移り変わっていく雰囲気の表現は先生の指揮とご指導あってのものでした。
牝鹿だけでなく演奏会の曲目はどれもあまり有名とは言えない曲でしたが、先生は全ての曲に強い思い入れを持って指導してくださいました。先生の並々ならぬ熱意のおかげで団員の中でも曲の良さを伝えたい、より多くの人に知ってもらいたい、という思いがトレーニングの度に強くなっていくのを感じました。そして本番後には来場してくださった方や賛助の方から、良い曲、良い演奏会でしたという言葉を本当にたくさん頂きました。
先生は私たち団員を指揮者とオーケストラという関係だけでなく、一緒に音楽を作り上げる「仲間」として接してくださいました。そんな先生だからこそ、あんなに楽しくて感動できる演奏会になったのだと思います。私たちの演奏会を木許先生に指揮していただけた事を本当に幸せに思います。
佐藤 絢子(フルート&ピッコロ/九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団)
木許先生には、私が所属している九州大学芸術工学部フィルハーモニー管弦楽団の第47回定期演奏会で指揮をしていただきました。チェレプニン/遠き王女のための前奏曲、プーランク/バレエ組曲「牝鹿」、プロコフィエフ/交響曲第7番という、所謂マイナー曲ばかりを並べたプログラムでしたが、選曲の際に、この3曲の統一性や学生オケとして取り上げることの意義についてコメントをいただき、ちょっと変わった指揮者だなあと思ったのが最初の印象です。木許先生の中にある哲学や美学と、私たち団員のやりたい!という気持ちが一致してこのプログラムに決まり、練習が始まる前からとてもわくわくしていました。
本番までの数少ないリハーサルは、毎回あっという間に過ぎていってしまいました。どの曲についても深く知り尽くした上で、独自の解釈を交えながら楽しくお話してくださり、私たちは一層これらの曲の魅力に引き込まれました。私にとって特に思い出深いのは、遠き王女のための前奏曲です。クライマックスの部分を通る度に、夢中になって指揮を振ってくださっていた木許先生の表情は、きっとずっと忘れません。この知られざる名曲を、今回木許先生と演奏することができて幸せでした。
また、木許先生はいくつ目があるのかと思うくらい、奏者ひとりひとりのことをとてもよく見ていてくださり、想いをもって接してくれたことがとても嬉しかったです。休憩時間や懇親会では、団員だけでなく客演やエキストラの方とも交流を深められている様子が印象的でした。そんな木許先生は、指揮者としてオーケストラを指導してくれているだけでなく、私たちと一緒に音楽をしているのだと感じずにはいられませんでした。音楽への情熱と愛情で周りの人をどんどん巻き込んでしまうような木許先生との演奏会が終わってしまったことが寂しくて仕方ありません。
私は、アマチュアとしての演奏活動だけでなく、大学での研究やプロジェクト、地域のボランティアなど様々な立ち位置から音楽と関わる日々を送っています。音楽と社会、音楽と個人といった関係について考えながら、先を見失い、迷い、立ち止まってしまうことも多くありました。しかし、誰よりも音を楽しみ、だから音楽と共にいる木許先生に、改めて音楽の本質に気づかされました。私の中にあったもやもやとしたものを言葉にして示してくださるようで、学生最後の年にこのような方に出会えたことを幸運に思います。指揮者としてのみならず、多方面のアイディアに溢れた木許先生が、今後もどのように世界の音楽シーンへ影響を与えていくのか目が離せません。またお会いできる日を、一緒に演奏できる日を心待ちにしています。
原田 航太郎(トランペット/福井大学フィルハーモニー管弦楽団2015年度団長)
木許先生と初めてお会いしたのは、大阪で先生が指揮されていたコンサートでした。福井から大阪まで向かう道中、どんな方なのだろうと楽しみにしながらも緊張していたのを覚えています。お会いしてみると、とても気さくな方でした。いざ目の前にすると緊張して話しかけることのできなかった私たちに優しく声をかけてくださり、丁寧に対応してくださいました。人柄もさることながら、指揮も素晴らしいものでした。分かりやすく明快な指揮、それと言葉にはできない「なにか」を纏ったものでした。あのとき私は、この人に指揮していただきたいと強く思いました。
作曲家の生い立ちや作曲された背景、その音の響きがもつ意味や曲のイメージ、序曲の練習ではオペラの物語も踏まえながらの曲作り、練習の合間の休憩時間にもさまざまなパートを回ってのご指導、メールでくださる参考音源やアドバイスの数々......挙げたらきりが無いほど、先生は演奏会本番まで、時間の許す限り私たちに本気でぶつかってきてくださいました。先生と交わしたたくさんのメールは私の最高の思い出です。
練習後にはほぼ毎回、宴会に付き合ってくださったり、演奏面だけでなく広報面でもアドバイスくださったりと、木許先生は「指揮者」としてだけでなく、たくさんの面で私たちの楽団を成長させてくださいました。団員全員の名前が言える方なんてそういないと思います。最初の方によく、「『先生』と言われるのはなんだかな…」と仰っていましたが、私たちにとって先生はまぎれもなく「先生」でした。
一年間ご指導してくださった今なら、初めてお会いしたとき先生の指揮に感じた「なにか」の正体が分かります。それはきっと、その曲自体やそれを演奏している楽団・奏者一人一人への「想い」なのだろうと。
木許先生は練習から本番まで、本当に楽しい時間を私たちと過ごしてくださいました。木許先生はこれからもさまざまな地・分野で活躍されていくでしょう。私たちの楽団が、そんな先生が初めて指揮した学生オーケストラとなれたことを心から誇りに思います。木許先生の今後のさらなる活躍を団員一同応援しております。
岩倉 有希(トランペット/福井大学フィルハーモニー管弦楽団2017年度団長)
木許先生は、私がこのオーケストラに入団した時に新しくご指導に来て下さった先生でした。私の地元である福井は小さな町です。オーケストラの団体数も少なく、プロのオーケストラ団体もありません。そんな町に、先生がいらっしゃったあの時から、少しずつ何かが変化していたのかも知れません。 あれから3年目を迎えた今、先生が撒いていらっしゃった種が少しずつ芽吹き、花咲きはじめていることを感じます。
先生はいつもこっそり、リハ—サルがある日の少し前に福井に来て下さっていました。それが福井の様々なお店を回り、私たちの団のことや演奏会のことを伝えて下さるためだと知ったとき、びっくりしつつも、とても嬉しい思いになりました。先生はただオーケストラを指揮しにいらっしゃるだけでなく、福井という場所やそこに暮らす人たちのことまで深く知ろうとして下さったのです。
先生が福井で行きつけにされているお店や、訪問演奏先など、様々なところで私たちを応援してくださる方々がいらっしゃいます。「福井で若い子たちが頑張っているんだから応援してあげたい」という言葉に胸を打たれ、応援してくださる人々を前に、人々の温かさ、優しさを感じるとともに、それを原動力に今日まで励んでまいりました。
先生との3年は、長いようで短く、そして1年1年が全く違うものでした。毎年新しいことを取り入れていく精神、そして一方で、変わらず続けていくものの大切さを教わりました。小さな町だからこそ、フットワークの軽い学生オケだからこそできる、地域に根差した活動があるということを教わったのも先生からです。
大きな世界を見ている先生から教わることは、いつも私たちにとって新しく、そして可能性を感じるものばかりでした。そして私たちは、それを還元する術を学びました。演奏の技術的なこと以上に、音楽が純粋に楽しいと思える感覚、そしてその楽しさを自分の演奏で届けたい、聴かせたいと思う瞬間は、いつも先生の指揮の中で生まれるものでした。
今回、第65 回定期演奏会の開催に伴いメインとして演奏したシベリウス「交響曲第1番」は、冬を感じさせる幻想的な交響曲でありました。福井の雪景色に重なるところも多く、福井の冬を経験した私たちだからこそできる演奏があったのではないかと信じています。そんな私たちに勝るとも劣らぬ勢いで、先生はシベリウスに、そして福井に全身全霊を注いでくださいました。 福井という地で、先生の指揮のもと、この曲を演奏できたことを誇りに思っています。
これからも先生の素敵な指揮で音楽に色付く瞬間を目の当たりにする人が増えることを、そして先生の音楽への熱い想いがたくさんの人に届くことを、祈っています。
胡 健男(ヴァイオリン/福井大学フィルハーモニー管弦楽団2018年度コンサートマスター)
僕がコンサートマスターを始めるにあたって目標にした人物が木許先生でした。オーケストラにあたってコンサートマスターがリーダーシップを発揮するのは当たり前です。しかし当初は何をどうしたらいいのか全くわかりませんでした。団内での合奏練習では調子が悪い時もあれば良い時もあります、ですが先生がいらっしゃるリハーサルではみんな調子が良くて、みんなの笑顔が眩しくすごく楽しそうに弾いているのです。
それはなぜだろうと考えた時、指揮や演奏の経験値の差はもちろんあります。しかし、それ以上にみんなの調子を良くさせるのは、先生の新しい事を考え、それを発信する力、サプライズを起こす力がみんなの力を引き出していのではないかとリハを重ねる度に感じました。この力は誰にでもある力です。ですがこの力を多くの人が発揮しようとは思いません。なぜなら勇気がいるからです。けれども逆に考えれば、勇気さえあれば、勇気を持って行動できればこれらの力を発揮できるのだと思いました。あれだけ遠くに感じていた「木許 裕介」という存在が、なぜこれだけみんなに慕われていて、信頼を置かれている人なのか少しだけ理解できた気がしました。
僕はコンサートマスターを務めた1年間で人間として成長を果たしたと自負しています。それもこれも木許先生を見て勇気を持って行動するということを覚えたからです。それを通して色々な事を1年間考えて行動して、また新しい発見があり、日々目に映る街並みまでもが輝きだしました。先生はこの福井の土地でいかに新しいことをできるかをずっと考えていました。そんな話をしている先生の目は本当にキラキラしていました。きっと僕が先生に感じた目の輝きはこのことだったのだと理解しました。きっと先生は訪れた場所がどこであったとしても、キラキラした目をしていたに間違いありません。
福井に通い始めて丸4年の月日が経ち5年目を迎えようしています。先生の福井に通い詰めた足跡により地は踏み固められ道ができました。きっと今までよりたくさんの方々がこの道を通って福井に来られることを私は確信しています。これからも先生の指揮により福井の人々、日本の人々、そして世界の人々に音によって心が躍る瞬間を、涙が出る瞬間を、音楽が楽しいと思う瞬間を届け続けてくださる事でしょう。
小さな街の小さな大学の小さなオーケストラのコンサートマスターだけれど、先生と音楽を通して気持ちをぶつけ合い一緒に演奏した日々を忘れる事はないです。そして「木許 裕介」に巡り合わせてくれた福井の土地に感謝申し上げます。ありがとうございました。
岡崎 陽香(フルート/福井大学フィルハーモニー管弦楽団2019年度学生指揮者)
木許先生と初めてお会いしたのは、大学一年生のときの先生との初合わせの合奏でした。初めて会う一年生に対しても優しくフレンドリーに話しかけてくださいました。初合わせの時、指揮とはテンポを示すものなのではなく、指揮棒を使って奏者と音楽を共有し、コミュニケーションをするものなんだと初めて感じました。実際に先生が指揮を振ってくださると、奏者と言葉を交わさなくても、その時までとは違った新しい音楽が生まれます。
先生は奏者のみならず、「学生指揮者の成長がオケの成長につながる」という信念のもと、学生指揮者である私に対して熱心にご指導してくださいました。私の音楽をしっかり受け止めてくださり、何度も打ち合わせを重ね、どんな音楽にしたいかを語り合った日々は私にとって、かけがえのない思い出となりました。
先生との3度目の演奏会(団としては5度目)を迎える年に“客演指揮者ではなく、常任指揮者に”そう強く思うようになりました。そして福井大学フィルでは40年ぶりとなる常任指揮者になっていただくことが決定し、就任1年目となる今年、木許先生は私たちに福井大学フィルを成長させるべく、数多くの挑戦の機会を与えてくださいました。
オーケストラの入ったことのない新しいホールで、プロやアマチュア関係なく集まり、演奏を楽しみつつ福井という地の素晴らしさを感じることが出来る「日本海フェスティヴァルオーケストラ」の開催、年齢制限がなく子供から大人まで楽しめる「みんなのオーケストラ」。オーケストラが数少ないこの福井県で、何が出来るのか。そして、福井大学フィルの更なる発展ができるよう大局的視点をもち、この1年これらの新しい取り組みに挑戦してきました。そして、いつしかこの挑戦を通して福井を音楽の街に…。その布石になることを願っています。
木許先生と3年間、音楽を共に作ることができ、大きな喜びを感じています。先生のさらなるご活躍をお祈りしています。
古谷 まほろ(コンサートミストレス/埼玉大学管弦楽団)
定期演奏会を終えた今、感動と寂しさが入り混じった複雑な気持ちです。当日演奏中はプレッシャーや緊張感でいっぱいでしたが、木許先生の指揮の元、団員全員で一つの音楽を作りあげたことに達成感を覚えました。終演後にたくさんのお客様からの拍手をいただけたことはとても嬉しく、演奏会に関わってくださったすべての方に感謝いたします。
それと同時にもう木許先生の指揮でこのメンバーで演奏することは最後なのだととても寂しい気持ちになりました。私たちが初めて木許先生に会ったのは山梨での合宿です。団員みんなが初めてお会いする先生のため期待と不安の中、合奏に臨みました。はじめての合奏はまだまだ未熟な私たちが楽しく演奏できるようにと、席を移動をしながら普段あまり絡まない仲間とのアンサンブル練習など、団員もとても楽しみながら練習を重ねました。私自身コンサートマスターを務めるのは初めての経験でとても不安でしたが木許先生のアドバイスひとつでみんなの音が変わるたびに合奏練習は楽しさを増していきました。「練習すれば絶対に弾けるようになる」「大学オケは最後まで伸びる」という木許先生の言葉を信じ、最後まで走り切ることができました。
また、木許先生の紹介で東京大学のイベントにも参加させていただき自分では考えが及ばないような研究のプレゼン、初めて見るパフォーマンス等を目の当たりにして大きな刺激となりました。こうした体験も音楽表現に活かしていきたいと思います。演奏することの楽しさと難しさを再確認し、今後も続けていきたいと思います。
瀬良 万葉(オーボエ/京都大学大学院、京都大学交響楽団OG)
初めての練習、どんな指揮をなさるのだろう、そうわくわくしながら、ホールの椅子に座ったわたし。そんな椅子のひとつひとつに向かって木許さんから繰り出される言葉、それは、もっぱら音楽性に関してのことであり、決して技術的問題ではありませんでした。その環境がわたしに思い起こさせたこと、それこそが、「音を楽しむ」ことでした。
彼は徹底して、「音をもっと楽しんで」という指示しか与えてくれません。それがかえって、そこにたどり着くための奏者としての技術的な試行錯誤の原動力になるのだな、と気が付きました。そういう歩みをたどったからこそ、本番のホールで、指揮者と奏者とが対等な立場で「音楽する」ことができたのでしょう。
いつの間にか忘れていましたが、技術を磨いた先にある「音を楽しむ」という経験、やはり文字通り、それが「音楽」の本質でした。そんな経験を共に作り上げてくださる指揮者・木許さんとの出会いは、わたしの人生にとてつもない豊かさを与えてくれました。
これからも木許さんのご活躍を、そして「ああ、音を楽しんでいるな」と心から言える人が増えてゆくことを、ささやかながらお祈りしております。
野口 彰英(クラリネット/NPO法人ワールドシップ 理事長)
僕が木許さんに指揮を依頼するオーケストラの在り方は少し変わっています。まだオーケストラ音楽に触れたことのない小さな子ども達に生演奏とそのワクワクを届けるために、全く異なるバックグラウンドで楽器を学んできた奏者が全国から集まり、わずか数回のリハーサルで東南アジアに渡航。約1週間ほどの常夏の国の滞在で、都市を跨ぎながら1日2公演、3公演という過密なスケジュールをこなすことも珍しくはありません。全員が「一人でも多くの子ども達にホンモノのクラシックとの出会いを」という想いで、気力と体力の限界を乗り越えながら創り上げる日々そのものが芸術的な、ツアー型オーケストラです。
そんなチームをひとつにまとめる上で、木許さんは『指揮者』の本来の役割を大きく越えた『木許さん』にしかできない仕事をしてくださります。プログラムづくりから演奏会の流れに至るまで、一方で観客である子ども達の関心を惹きつけ、一方で奏者のエネルギーを高めるための創意工夫。クラシックの演奏には必ずしも理想的では無い環境でのコンサートが多い中、与えられた条件の中で、拘りを失わずして演奏効果を最大化するための瞬発的な判断。そんな柔軟さと勇気を併せ持つ木許さんは、なによりも人を大切にする方です。 あるコンサートにある仲間たちが集ったという奇跡を、決して忘れられない一瞬として演奏の中でプロデュースする力は、その場に居合わせた人々の心のなかに強い繋がりを生んでくれます。
毎回のツアーで、きっと木許さんにも「初めて」の出会いや経験が沢山降り注いでいるはずです。常に新しい挑戦を求めるワールドシップにとって、そして僕にとって、これからも幾つもの「初めて」に木許さんと共に立ち向かい学び合えることを、とても心強く思っています。
薮田 翔一(現代音楽作曲家)
木許さんには、2014年のUUUオーケストラプロジェクトでヴァイオリン協奏曲(Rewire)を初演して頂きました。UUUオーケストラプロジェクトの演奏者、聴衆は現代曲に馴染みの薄い層です。そのような演奏会において、現代曲であるRewireの様な曲をプログラムに入れるのはとても挑戦的な事だったと思います。
そんな中、木許さんはオーケストラを力強くリードし、また緻密な演奏をしてくださいました。また、オーケストラの団員との一つの演奏へ向かっての全体の士気の高め方など、細部に至るまで行き届いた心配りに大変感動しました。古典の曲から現代曲の新曲まで、意欲的に取り組まれる木許さんのチャレンジングな活動から、私自身、目が離せません。
金森 詩乃(作曲家)
木許さんとの出会いは私が作曲したWORLDSHIP ORCHESTRAのテーマソングの初演です。ワールドシップツアーでは何回も演奏されている作品ですが、ここであえて“初演”という言葉を用いるのは、「邦人指揮者が邦人作曲家の作品を初演しなければ、日本の音楽界は発展、成長していかない。」という、彼が師匠から引き継いでいる信念と深く結ばれている言葉だと感じるからです。
初演するということは、ベートーヴェンやブラームスの作品のように繰り返し演奏され続け、ある程度の完成形が見えているものとは一味違います。生きている作曲家と話しながらまだ音になっていない音符を、初めて音楽として組み立てていく作業なのです。テーマソングの初演でいうと、それは私が曲頭に記した“Andante energico Tempo=80”とは何なのかを探すことでした。言葉では書ききれない、私が想い描いた音を、実際に音にするための探求です。フレーズや音、記号一つ一つに込められている真意を読み取ろうとする彼の熱意と、舞台ではない場所で指揮をしてきた経験無しにしては、このテーマソングの初演は成功しなかったでしょう。その初演を通して、一見当たり前の、それでいて楽譜を書いていると置いていってしまいそうな、「楽譜には音楽はない。音にしてこそ音楽がある。」という大切な事を体感させてくれました。そしてこれもまた、彼が大切にしている師匠の言葉であります。同年代の音楽家として、芸術に関わり続ける中で互いに刺激を受け、成長を確かめ合えるような存在です。
朝岡 さやか(ピアニスト/UUUオーケストラ3期 ゲストソリスト)
木許さんとは、2014年2月のUUUプロジェクトでご一緒させて頂きました。最初、現役東大大学院生の指揮者とお聞きした時は、一体どんな方なのだろう?!!と構えてしまっていたのですが、実際お会いしてみるととっても気さくで優しい方で、ホッとした気持ちでリハーサルに臨めました。今回私は、ピアノソリストとしてプロコフィエフの3番のコンチェルト1楽章を共演させて頂いたのですが、国内リハーサルでの第一回目の合わせで、ほぼ打ち合わせ無しの状態でバッチリとオーケストラとピアノが合ってしまった時は(木許さん・・凄い・・!)と心の中で感嘆の声をあげてしまいました。
国内リハーサル、国内演奏会、そして現地でのコンサートツアーでの共演と、数ヶ月かけて一緒に音楽作りをさせて頂き、リハーサルや本番を重ねる毎にオーケストラのメンバーが、木許さんを中心に一つになっていく様子を目の当たりにさせて頂きました。特に最終日のコンサートで共演、あんなにもオーケストラパートと一体になれた感覚は私にとっても生まれて初めてで、今でも忘れられません。 共演させて頂いたのが木許さんで本当に良かったと、心から思っています。木許さんがセブでの現地プロジェクト期間中、毎晩夜中にホテルの自室でオーケストラメンバーの希望者を集めて、夜な夜な開いていたという「勉強会」。スコアを見ながら学び合い、ビールを飲みながら語り合い・・このような一つ一つの積み重ねが、UUUの最終日の演奏を作り上げて行ったのだと思います。
「UUUプロジェクトの指揮者」というのは音楽家、指揮者としての能力はもちろんのこと、それだけでなく実に様々なものが要求される立ち位置だと思います。吹奏楽、管弦楽、協奏曲、様々なジャンルのプログラムを振りこなす、音楽への深い造詣と確かな技術。全国の様々な大学から集まるメンバー、社会人メンバー、年齢も楽器のレベル異なる皆を一つにまとめあげていく忍耐強さ、リーダーシップ。皆と同じ位置で「仲間」としてプロジェクトに臨む謙虚で真摯な気持ち・・。木許さんほどの適任者はなかなかいないのではないかと思います。UUUに参加される方々、それぞれ様々な思いがあると思います。「音楽」「学校生活」「将来」「社会貢献 」「国際協力「仲間」・・色々なキーワードが頭に渦巻きながら、期待と不安を抱いてセブの空港に降り立つことでしょう。そんな中、木許さんという一人の指揮者の生き方を間近で接し、語り合う中でも、多くのことを学べるのではないかと思います。そして木許さん、いつかまた共演させて頂ける日も、楽しみにしていますね!
(UUUオーケストラ4期のメンバー募集にあたって頂いた文章を掲載させて頂きました。)會田 聖実(ヴァイオリン/UUUオーケストラ3期コンサートミストレス)
私は木許裕介さんに、真の「オーケストラ」の楽しさを教えていただきました。木許さんがUUUの指揮者であったからこそ、私たちはあの奇跡のようなスタンディングオベーションの光景を目にすることができたのです。とてつもなく深く幅広い知識を持ちながら様々なフィールドで活躍され、スポーツも万能でとにかくアクティブ!そのほとばしるエネルギーに引き寄せられるように、常に周りには人の輪ができ、音楽と笑い声が響いています。
なにより、大変豊かな"言葉"を持つ方です。コンサートミストレスとしても一奏者としても、何度奮い立たされ救っていただいたかわかりません。そして指揮台に上がられた時、それはさらに輝きを増します。大げさな動きはなく、明確で淡々とした指揮。リハーサルではあまり口で多くを語られません。けれども木許さんから発せられた"魂の言葉"がダイレクトに奏者に伝わった途端、全体の響きが驚くほどに変わり、曲の情景、色彩や空気感までもが鮮やかに立ち上がってくるのです。指揮によってこんなにも違う音楽になるのかと、ただただ感激し合奏が楽しくて仕方ありませんでした。
セブ島では演奏環境や気候が日本と大きく異なるため思い通りにいかないことも多く、全体に焦りや動揺が広がったこともありました。それでも木許さんはまっすぐに立ち、何も言わずに笑っておられました。どんなことがあっても最後まで奏者を信頼してくださり、一人一人の個性や想いを全て受け止め包みこんで、その時最高の音を引き出してくださいました。
その存在がどれほどありがたかったことか!力強く絶対にぶれない"言葉"に、私たちだけでなく共演したセブフィルのメンバーも強く強く惹きつけられ、次第に本物の「オーケストラ」になっていきました。
最後に鳴り響いたのは、技術的なことを超えて心の奥底に直接染み渡る音、国境や環境の違いすべてを超えて"伝わる"音だったと思います。木許さんの音楽が、あたたかいからです。互いに尊重しながらのびのびと演奏できる心の通ったオーケストラ。「音楽を心から楽しみ音楽で遊ぶ」ことのできるオーケストラ。そんなUUUに熱い想いをぶつけてください。この指揮者の一振りで、きっとあなたの世界が変わります。
(UUUオーケストラ4期のメンバー募集にあたって頂いた文章を掲載させて頂きました。)
恒屋 梢海(ヴァイオリン/聖心女子大学、東京大学フィロムジカ交響楽団)
私が初めて木許さんとお会いしたのは昨年の夏、私が所属している東京大学フィロムジカ交響楽団のミニコンサートでカリンニコフの交響曲第1番を演奏した時でした。お忙しい所、4回程しか練習できない1曲のためにわざわざいらして下さいましたが、この短い時間の中での音楽作りに木許さんに指揮して頂いたことの大きな意味と尊さを感じることができました。
弾く人や吹く人によって楽器が奏でる音色が違うように、音を出さない指揮者という演奏者によって曲の雰囲気も変化し、オケ全体が纏まっていく。魔法をかけられたかのごとく、練習する毎に音が変わっていくこの過程が本当に楽しくて仕方がありませんでした。毎回の練習が楽しみで、演奏しながら自分がスッと曲に入り込んでいけたことを今でも鮮明に覚えています。
音が生きている感覚を肌で感じられ、また同時に体が痺れるようなコンサートになったのは、このカリンニコフという思い入れのある作曲家の曲を木許さんに振って頂いたからこそだと強く感じています。カリンニコフを通して木許さんに出会えて音楽そのものをこれまで以上に深く味わえるようになったと同時に、また木許さん指揮の演奏会に乗りたいと心から思いました。
そして今年2月には木許さんが正指揮者を務めていらっしゃる、ワールドシップオーケストラのフィリピンツアーに参加させて頂きました。この団体が活動していることは、私がいずれやってみたいと思っていたことの一つでした。音楽を通して誰かと感動を共有したいという前から思っていた夢を叶えてくれた、とても素敵な団体です。
練習に参加した時、カリンニコフの時に感じたものが再び蘇ってきました。それは「心から音楽をする」ということです。木許さんの指揮には、優しさと力強さと情熱がこもっています。力強くかつ丁寧さに溢れていて、そこから気づいたことも多くありました。初めてお会いして振って頂いた時にも感じてはいたものの、それをどう言葉で表したら良いか分からなかった木許さんらしさ。そのような木許さんならではの素敵な指揮の下でこそ、私は心からの音楽ができるように思います。その一振り一振りに詰まった思いを音にしたいと感じながら演奏できた時間は、とてもかけがえのない時間でした。
ワールドシップは、演奏者ひとりひとりが真剣に音楽と向き合うオーケストラです。音楽に愛のこもった方々の集まりだからこそ、演奏中は確かに心と心で会話をして、音によるコミュニケーションができていると感じました。そんな心と心の会話を全員でし合えて、それが子ども達や聴きに来てくださった多くの方々に伝わり、その思いが込み上げてきてフィリピンでの最後のテーマソングの演奏では様々な感情と共に自然と涙がこぼれてきていました。会場全体が一体となっていたのをこれ程までに身に染みて感じたのは初めてで、何にも代えがたい経験でした。
こんなに素晴らしい世界がここにあったなんて。このような世界を見せて下さった木許さんを始め、一緒に演奏して下さった仲間達と感動を共にできたことを本当に幸せに思います。胸いっぱいの感謝と共に、これからも多くの人達と感動の涙を流し合えるような、心に響く演奏がしたいです。
増田 杏菜(ホルン/慶應義塾大学、学生音楽ボランティア団体Commodo 2013,14年度代表)
私が木許さんと出会ったのは2012年8月、学生音楽ボランティア団体commodoでの初めての東北チャリティー遠征の時でした。それから私が代表を務めた2年間を含む丸3年、奏者としても企画者としてもお世話になった方であり、大切な共演者でした。
お会いする前の印象は変わった人。経歴にも驚かされましたが、こんな無茶苦茶な要求を了承するなんて何を考えているのだろうと思っていました。しかし一緒に演奏した時に、音楽だけではなく演奏者も愛している人なのだと感じました。音楽に関して専門的なことは分からない私でしたが、奏者一人一人を見てくれていて、丁寧にその音楽に対する思いと共に一緒に音楽の世界を創りだしてくれる指揮者でした。実際アマチュアばかりのこの団体ですが、同じ曲を演奏していても奏でる音が、そこから生み出される音楽の世界は全く違う様相を見せていたように思えます。「指揮者が音を創る」はじめてそれを実感した瞬間でした。
私が一度はやめようかと悩んでいた音楽に関わり続けたいと思えた理由は、間違いなく、木許さんと共に、代表として奏者として観客として音楽に携わり演奏してきた日々でした。commodoがどんなに無茶な設定でも楽しんでもらえる音楽を届け続ける団体として活動できたのは、この木許裕介という素晴らしい指揮者が存在してくれたからであると思っています。
石山 智美(フルート/明治学院大学文学部芸術学科)
今からちょうど一年ほど前、せわしない日々の中で、ふと、自分自身の居場所や、心の在り処がわからなくなってしまった時、木許さんの掛けて下さった言葉に、気持ちが救われたのを憶えています。19世紀後半から20世紀初頭にかけて生きたオーストリアの詩人、ライナー・マリア・リルケの『若き詩人への手紙』の一節にのせて、「何でもゆっくり悩み、考えることが大事」と、焦らず無理をせず、自分らしく在ることの大切さや尊さを説いて下さいました。
大学一年生の春休みに、初めてcommodoでお会いしてから約二年半、これまでUUUやワールドシップなど、様々な有志団体で共演しながら、何度も忘れがたい瞬間を共にさせて頂きました。木許さんの指揮が生み出す音楽には、いつも何かの力が宿るのを感じます。その力が何たるかは、奏者の顔を見れば何となくわかるもので、おそらく、技術の有無以前に大切な事、指揮者と奏者の、音楽を介した「対話」による、生きた芸術の力なのだろうと感じます。
音楽家でありながら、詩人でもある木許さんが生みだす音楽には、その詩の世界に宿る、独特のあたたかみや、優しさがあります。ジェラルド・フィンジ作曲の「ピアノと弦楽のためのエクローグ」を客席で聴いた時には、まさにフレーズの一つ一つが美しい語り言葉でもってこちらに語りかけてくる様子があり、大変心打たれたのを憶えています。芸術家として、一人の人間として、大変尊敬する方であり、このような方がいるからこそ、私のようなアマチュアでも、ずっと音楽を続けていたいと思えるものです。