歴史が舞う -ドヴォルザークの「新世界より」-

「そのことを考えたとき、心がわっと動くような感覚に至ること」を自分の勉強状態のバロメーターにしている。それは論理に立脚しながら、どこかで論理を超えたものでなければならない。この感覚を味わえたときにはじめて、<それ>が自分の手の中に少しなりとも入ったのだと思える。

指揮して四年目になる福井大学フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会、今年のメインはドヴォルザークの「新世界より」。この曲は、亡き師匠から頂いたレッスン中に、はじめて師と衝突した曲だった。それから半ばトラウマのようになっていて、自分で演奏することを封印し続けてきた曲でもあった。他の人々が演奏しているのを聞いても、何となく釈然としない思いを抱き続けてきた。

この曲は、近くまで寄ったかと思ったら遠ざかる。全てが伴奏であり旋律にもなりえるポテンシャルの高さ。完璧なフォルム。

良い曲すぎる、と思っていた。あまりにも精密で、ちょっと息が詰まるような感覚を覚えつつも、旋律の魅力にどこか騙されている気がして。乱暴にいえば、ドヴォルザークなのに、ドヴォルザークでないような気がしたのだ。しかし今思えば、ただ自分の理解がこの曲に追いつかず、そのことを認めたくなくて遠ざけ続けていたのかもしれない。

それから数年温め続けて、今日はリハーサル前日。福井の街を歩きながら、唐突にあの感覚が訪れる。ばらばらだったものが繋がり、理由もなく突然わっと涙が湧き上がる。この曲が語りかけてくるもの、ポエジー、そしてそれを表現出来る喜びに…。

広々とした大地に重ねられた生と死の記憶。いつまでも続く舞い。すなわち「歴史」。ドヴォルザークがこの曲に纏わせた要素の核心を、ひとことで射抜くならばそれだ、と思った。強い感情を伴って、すとんと自分の内側におさまった。そして、はやく指揮したい、と心の底から思った。

我々の仕事は、イマジネーションを現実にすること。今日辿り着いたイマジネーションを、実際に鳴り響く音として彫刻する。どこまで辿り着けるか。どこまで生み出し続けていけるか。明日のリハーサルが、ようやく本当の意味で楽しみになった。

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