母校の東京同窓会

駒場で助手をしている授業を終えたあと、ご厚意に預かり、母校の東京同窓会に途中から参加させて頂く。突然のことだったので桜色のシャツにストールをひっかけたような格好だったのだけれども、芸術に携わる身としてはこれもアリかなと思い、ラフな服装のまま飛び込む。

会場に入って、恩師の姿を見つけて感動する。半年間かけて松尾芭蕉の「奥の細道」のわずか数行(!)を徹底的に教えて下さった国語の先生。楷書で書いたはずがもはや草書だと言われてしまうような悪筆の私を笑わずに教えてくださり、王羲之の「蘭亭叙」の素晴らしさに触れさせてくださった書道の先生。遅刻や不義理に対して愛と共に容赦なく鉄拳制裁してくださった柔道の先生。いつの終業式だったか、長期休みに入る前に「ジェントルマンとは」と話し始めたことが印象に残る、英国紳士のような元校長先生。そして、テノールの魅力を肌で感じさせて下さり、私にはじめて指揮させて頂く機会を下さったあと、今もなお支えて下さる音楽の先生。

母校への愛、というのがあるのか、と問われれば、明確に頷くだろう。かつてはそれほどでも無かったのだけれど、それが芽生えて来たのはここ数年のことだ。灘での日々は、入学した瞬間から、いわゆる勉強の天才なんてのはゴロゴロいることを目の前に突きつけられて、「勉強以外で君は何か出来るのか?」ということを、いつも暗黙のうちに問われ続けていた日々であったように思う。<精力善用・自他共栄>の校是に拠り、勉強以外のこと、「ヘン」なことをやっていることを尊び、それを縛りもしなければ煽りもせず、節度を伴った自由のもとで見守って下さった。教育の現場においてそれは簡単なことではなく、途方も無い度量と好奇心(それは無関心の対極にあるものだ)が必要であることに、卒業して10年経つ今になってようやく気付く。

誰の言葉であっただろうか、端的にいってしまえば、偏差値というよりはむしろ「ヘンさ値」を尊重する校風なのだ。そこで6年間育った私は、いわゆる受験勉強を放棄してスポーツに明け暮れながら、どうせなら誰も予想出来ないようなヘンな生涯を送りたいと望んでいた。だからこそ、「なかなか面白い人生を歩もうとしている卒業生がいるよ」と今日の開会のスピーチの際に自分のことを話して頂いていたと後から知ったとき、とても嬉しい思いがした。

本当に面白くなれるか、それとも一時の夢に終わってしまうかは自分次第。来年とはいわない、数年後にでも、「あいつはやっぱり面白い人生を歩んでいるよ」と言って頂けるように頑張らねばと思う。久しぶりに呑む菊正宗は、むかし一舐めしてみたころよりも、ずっと味わい深く感じられた。

 

時の醸造
時の醸造