仙台にて鷲田清一先生と対談

九州大学の本番を終えてそのまま仙台に向かい、仙台フィルのリハーサルを見せて頂いて勉強。そして東京大学「学藝饗宴」ゼミ仙台合宿の一環で、哲学者・鷲田清一先生とご一緒させて頂きました。指揮の下野先生の愛情が爆発するドヴォルザーク六番に感動し、翌日は鷲田清一先生とお話させて頂くという、きわめて充実した日々。

高校生の頃から影響を受け続けた憧れの鷲田先生とお話できたことは勿論、「哲学カフェ」の震災復興の板書を背負って話すということは、学生時代からCommodoというオーケストラと共に石巻で演奏し続けてきた私にとって、大変に思うところがありました。少し長くなりますが、石巻で演奏させて頂いたときに書き付けていた文章を引用しておきましょう。

…2012.8.28

実際に現地を訪れてみると込み上げてくるものは祈りの感情で、津波の被害を受けた海岸沿いの地を静かに歩いているうちに

歩みを進めることが出来ないほど痛切な感情に襲われました。東北を回っている間に書きつけた文章の一部をここに掲載しておきます。

 

空は青く、雲は既に秋の軽やかさを見せていた。

海の音が迫ってくる。眼前には何もない。そう、一年前までそこにあったであろう物が何もない。

見渡す限り、無。ただ海だけがある。振り返っても背後は山まで一望できてしまう。悲痛な景色。

 

山から伸びる雲が海と繋がろうとしている。

大地はひび割れ、家であっただろう場所、線路であったはずの場所に草が生い繁る。

海から吹き付ける風に黄色が揺れる。向日葵が海に背中を向けて咲いていた。

波の音。どこまでも静かな景色、喪失の静けさ。

草地の中に残された泥まみれの上履きが残酷だった。

 

心から心へ届くように、あらん限りの祈りを。

アンコールとして演奏したyou raise me up、そしてsound of musicメドレーの

deep feelingと記された最終変奏にはとりわけそうした想いを、言葉を込めたつもりです。

全三公演、演奏した先々で涙を流しながら聞いて下さった方々が沢山いらっしゃったということを後から知りました。

音楽に何が出来るのかは今もって分からないけれども、少しでも心に届くものがあったならば…。

お聞き下さった方々、そして一緒に演奏して下さった皆さん、本当にありがとうございました。

2013.8.24

あのときから気持ちは全く変わりません。

復興はいまだ遅々として進まない部分もあり、けれども一年前より少し変わりつつある現地の状況と雰囲気を確かに肌に感じて、

暗い顔をしないようにと前へ歩き出せるような明るい気持ちで臨みました。そして今年もまた、今の僕に出来る限りの心を込めて演奏してきました。

昨年も演奏させて頂いた介護施設で「ふるさと」を演奏したとき、皆さんが自然と合唱してくださった様子が焼き付いています。

僕自身、なぜか涙が溢れてくるのを抑えることが出来ず、そのあとに指揮した曲の気持ちで膨らませた最後の和音を振り抜きながら、

ボードレールの「音楽は天を穿つ」という言葉を思い出さずにはいられませんでした。

つたないながらも音楽に関わっていてよかった。

 

最後のアンコールを振り始める前、一年前の最終日のことを思い出しながら、

このメンバーと演奏できるのはこれが最後になるんだな、と少し寂しい思いになり ました。

充実した三日間だったと思うと同時に、まだまだ演奏したりない、皆さんともっと音楽したかったなという思いも込み上げて来て…。

晴れやかな顔 で高らかに歌い上げ、一つ一つの音を慈しむように吹いて下さっていたあの光景を忘れる事は一生ないと思います。

ご一緒して下さったみなさん、本当にありがとうございました。

2014.8.21

8月19,20,21日と、アンサンブル・コモドの東北コンサートを指揮させて頂きました。

アンサンブル・コモドからお声がけ頂いたのは、2012年の夏、はじめて東北でコンサートを行うという時でした。

それ以来毎年夏になると宮城県を回って指揮させて頂いているのですが、今年でもう三年目となります。

震災の傷跡が癒えたところ、まだまだ変わらないままでいるところ。

三公演させて頂くうちに様々な光景を目にしましたが、何より今回僕の印象に残ったのは、

毎年演奏させて頂いている老人ホームで出会った人たちに流れた「時間」の痕跡です。

 

はじめてここで演奏させて頂いたのも三年前。そのとき頂いた言葉をずっと考えていました。

「楽しい音楽をありがとう。来年は楽しい音楽と一緒に、美しい音楽も聴きたいな」

美しさとは何でしょうか。それは一つだけに決まるものではありません。

その場、その瞬間に最も相応しい美しさがあって、それこそが心を揺らすものとなり得るはずです。

この場所で最も相応しい美しさを持った音楽とは何だろうか。

そのことを僕は三年間ずっと考え・探し続けて、ようやく今年見出したのです。

それはヴォーン=ウィリアムズの賛美歌(平和と愛を謳う歌詞が宿っています)を弦楽合奏にアレンジしたもので、Rhosymedreという前奏曲でした。

全身全霊を込めて演奏して振り返ったあと、聞いて下さった皆様が涙を流していらっしゃった光景に出会えて、良かった…と心から思えました。

 

終演後、「また来年も待っている!」と毎年元気に挨拶して下さっていた施設代表のお爺さん。

何よりも今年、僕の頭から離れないのは、このお爺さんの言葉だったかもしれません。またいつものように元気に挨拶をされたあと、

「これで天国への良い土産が出来た。でも、こんなに素敵な演奏を聞いてしまうと、現世というのはやっぱり良いなあとも思うのです」と…。

そこに込められた想いと過ぎた時間を思い、溢れてくる涙を抑えることが出来ませんでした。

 

 

あれから数年が経ちましたが、自分がいまもなお音楽を続けていられることに、そして、またこの地に戻って来ることができてよかったと思うばかりです。鷲田先生との対談を終えて、そんなことを考えながら、翌日は「東北絆祭り」を堪能。パレードを見ていると自然と涙が溢れてきました。沢山の人たちと、一つのものを作り上げて行くことの素晴らしさ。これからも焦らずじっくりと、自分に出来ることを果たして、絆を重ねていけたらいいなと思います。いつまでも、心から心へ届くように。

solo

 

 

 

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