【プログラム・ノートより】ヴィラ=ロボスと「ブラジル風バッハ」(6,5,1)

5月22日の東京文化会館コンサートのために執筆したプログラムノートを掲載致します。「パリの痕跡」というテーマを浮き彫りにするような形で執筆するこ とを目指したものです。あくまで他のプログラムノートとの比較・連関によって成り立つ解説になっています。また、コンサート当日のプログラムノートは、ここに掲載させて頂くものから随分とカットした短縮版になっています。転載歓迎ですが、ご一報頂くか出典として本サイトに言及頂けたら幸いです。

エイトール・ヴィラ=ロボス

ヴィラ=ロボス
エイトール・ヴィラ=ロボス

1887年にリオ・デ・ジャネイロに生まれ、1959年に同地に没したヴィラ=ロボス。72年の生涯においてこの作曲家が残した作品は他に例を見ないほど膨大で、今もなお正確な全貌を把握することが難しい。 交響曲、協奏曲、オペラ曲、歌曲、ピアノ、ギターなど、大曲から小品に至るあらゆるジャンルに作品を生み出しつづけたその才能は、まさしく超人的と言わざるを得ない。そしてその膨大な作品群は、アカデミアや専門的な音楽教育とは無縁の独学、ブラジルの大地から生み出されたものであった。
幼少の頃からチェロやクラリネットを父親から教わっていたヴィラ=ロボスは、11歳の時に父を失ったのち、ギターひとつを抱えて家出し、町の放浪劇団に入った。この間に楽器や作曲に関する知識を実地で得ながら、バッハをはじめとする作曲家たちの作品を研究する事で独学で作曲法を学んでいったという。さらに10代の末頃からリオのオーケストラでチェロを弾き、18歳でブラジルの奥地に入って民族音楽の研究に着手し、多くの民謡を収集しはじめる。この時期のヴィラ=ロボスについては謎に包まれているものの、「わたしの音楽のハーモニーは、ブラジルの地図そのものから生まれ出たものだ」と自身で語っているように、この「漂流」ともいえる青春の時期が、ヴィラ=ロボスの音楽に多大な影響を与えて行くことになる。

1918年ごろ、ブラジルに演奏旅行に来ていたアルトゥール・ルービンシュタインと邂逅。さらに、ポール・クローデルの秘書官としてブラジルを訪れていたダリウス・ミヨーと出会ったことが一つの契機となり、近代フランス楽派に強い関心を抱いて1923年の春からパリに遊学。(「私はフランスに勉強しに行くのではない。彼らに私がしてきたことを示すために行くのさ!」と言ったという逸話が知られている。)

そこでヴィラ=ロボスは、パリで自作の発表の機会を得るのみならず、フローラン・シュミットやピカソ、エドガー・ヴァレーズ、アンドレス・セゴビア、マルグリット・ロンらと出会い、幾人かとは日曜ごとに出会ってテーブルを囲んで歓談するまでの関係になった。こうしたパリでの多様な経験や、当時の最も新しい芸術に触れたことは、ヴィラ=ロボスにある種の衝撃や野心を与えたに違いない。それを示すかのように、今日演奏する「ブラジル風バッハ」をはじめとして、 パリ遊学からブラジルへ戻ったのち、ヴィラ=ロボスの名を不朽のものにする個性的な傑作を次々と生み出していくことになるのである。

スケールの大きさ、純粋さ、気迫、新鮮なインスピレーション。ブラジルの生んだこの偉大なる作曲家は、今もなお、いや、今こそさらに、我々をその野趣とロマンに魅了し続けてやまない。

<ブラジル風バッハ、あるいはブラジル流のバッハ風音楽について>
ヴィラ=ロボスが残した楽曲は2000 曲以上とも言われている。その中でも最も有名なのが、9曲からなるBachianas Brasileiras(ブラジル流のバッハ風音楽)であろう。日本では「ブラジル風バッハ」と慣例的に訳されているこの作品のシリーズは九曲あって、「ショーロス」と呼ばれている同様のシリーズで書かれた13曲のブラジル風のセレナードと共に、ヴィラ=ロボスが最も力を入れて練り上げた、彼の代表的な作品である。彼はピアニストであった叔母からの感化もあり、はやくからバッハに深く傾倒していた。バッハについて彼は、「その作品はすべての種族を繋ぐ絆であり、世界中の民族音楽の心の奥深く根ざす共通の言葉を持つものである」と語っていた。そうしたバッハの作風と精神とをブラジルの音楽と融合させたいと願った彼の意図が、この「ブラジル風バッハ」の創作という形で結実したのである。

ブラジル風バッハ全9曲は、1945年までの15年間に書かれ、その形式や楽器編成も独奏曲から室内楽、管弦楽に至って様々であるが、いずれもブラジルの民族音楽をもとにした彼のオリジナルな着想によって書かれている。ブラジル風バッハを形成する各曲の楽章の多くに、古典的題名とブラジル独自の表現の併用が成されていることにも彼の独自性を見ることができるだろう。本日は、全九曲の中から第六番と第五番のアリア、そして第一番を演奏する。
ブラジル風バッハ六番(1938年作曲)
第一楽章:アリア/ショーロ

第二楽章:ファンタジア
初演は1945年9月24日。一楽章は主題が印象的なアリア/ショーロ、二楽章は極めて技巧的な幻想曲。フルートとファゴットという二重奏を選んだ理由について、ヴィラ=ロボス本人はこう述べている。「私がこの楽器の組み合わせを選んだのは、ブラジルの古いセレナードを暗示させるためである。(中略)私はセレナードが歌われる時のように即興の印象を与えたいと思った」

ブラジル風バッハ五番(1938年/45年作曲)
ソプラノ独唱とチェロ八重奏の曲で、美しく魅惑的なソプラノと重厚で躍動的なチェロ八重奏との対比が魅力である。ピッツィカートにのって歌いだされるアリア冒頭のメロディーは、一度耳にしたものを捉えて離さない魔力のようなものを持っていて、ヴィラ=ロボスのシンボルのように親しまれている。アリアの初演は1939年3月25日。ミンジーニャ(アルミンダ夫人)に献呈されている。

Tarde uma nuvem rósea lenta e transparente.
Sobre o espaço, sonhadora e bela!

Surge no infinito a lua docemente,
Enfeitando a tarde, qual meiga donzela
Que se apresta e a linda sonhadoramente,
Em anseios d’alma para ficar bela
Grita ao céu e a terra toda a natureza!
Cala a passarada aos seus tristes queixumes
E reflete o mar toda a sua riqueza…
Suave a luz da lua desperta agora
A cruel saudade que ri e chora!

Tarde uma nuvem rósea lenta e transparente
Sobre o espaço, sonhadora e bela!

夕暮れ、美しく夢見る空間に
透き通ったバラ色の雲がゆったりと浮く!

無限の中に月が優しく夕暮れを飾る。
夢見がちに綺麗な化粧をする
情の深い乙女のように。

美しくなりたいと心から希みながら
空と大地へ、ありとあらゆる自然が叫ぶ!
その哀しい愁訴に鳥たちの群も黙り
海はその富の全てを映す
優しい月の光はいま目覚めさす
笑い、そして泣く、胸かきむしる郷愁を。

夕暮れ、美しく夢見る空間に
透き通ったバラ色の雲がゆったりと浮く

……

ブラジル風バッハ一番(1930年/38年作曲)

1930年、43歳のときの作品。1930年の時点で完成したのは現在の二楽章、三楽章にあたる部分で、第一楽章は1938年の初演に際して書き足された。チェロのみの八重奏というユニークな編成であり、ブラジル的な民族音楽の色彩溢れる激しいリズムと、バッハ的な清廉な美しさとの調和が、チェロならではの楽器の特性によって見事に活かされた名作である。第一番がチェロのみによる合奏という編成であるのは、チェロという楽器を深く愛し自ら弾きこなしたヴィラ=ロボスらしいものであり、聴衆のみならず演奏者の心をも掻き立てるような奏楽の喜びに満ちた名作である。全曲初演は1938年11月13日。パブロ・カザルスに献呈されている。

第一楽章:序奏/エンボラーダ
エンボラーダとは軽快な民謡・民族舞曲の一種。土俗的でエネルギーに満ちた舞曲のリズムに始まり、その中からバッハを思わせる息の長い旋律が溢れ出してくる。両者が絡み合いながら展開していく様は、大地から湧き上がるような迫力と官能を与える。

第二楽章:前奏曲/モジーニャ
モジーニャとは、十八世紀に起こった叙情歌曲のジャンルの一つで、ヴィラ=ロボスはゆるやかで思入れに富む旋律を創作した場合、好んでこの名を冠した。三楽章の中で最も早くに完成を見たのがこの二楽章である。アリアのように荘重で、かつ、夕日が広大な大地に沈んでいく様が眼前に浮かび上がるように、どこか甘く懐かしく切ない思いが歌われている。消え入るような終止は夕闇の訪れだろうか。

第三楽章:フーガ/コンヴェルサ
ヴィラ=ロボスが若い頃に親しくしていたリオの民衆音楽家サチロ・ビリャールの、半ば即興的な作曲の流儀で書かれたとされている。「コンヴェルサ」=「会話」の副題の通り、四パートに分かれたチェロが音による対話を重ねながら自然とフーガを織り成し、高みに向かって登り詰めてゆく。チェロという単一の楽器が重なり合うだけでこれほどの響きが生まれるのか、と驚かずにはいられない。「フーガ」という、いわば西洋音楽における論理の結晶のような様式を、ショーロ的な即興性と組み合わせて矛盾無く昇華させたという点で、まさしく「ブラジル流のバッハ風音楽」といってよいだろう。

(ヴィラ=ロボスのプログラムノートにあたっては、日本ヴィラ=ロボス協会の過去の資料を参考とさせて頂きました。)

 

 

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