貴志康一と歌川広重、福井市立美術館にて

明日から福井大学フィルさんと三泊四日の合宿。その前日に福井に入ってホテルに籠もり、ひたすら貴志康一のヴァイオリン協奏曲を勉強していました。

毛利眞人さんによる素晴らしい評伝『貴志康一 永遠の青年音楽家』によれば、貴志康一はこの協奏曲の作曲についてこう書いているそうです。「一楽節の線なり色は、広重より取りました」と。広重とは、浮世絵作家の歌川(安藤)広重のこと。貴志の楽譜を勉強していると、明確にパッと色が変わるわけではないが、極めて印象的に情景の変化が描かれる感覚があって、広重の作品よりインスピレーションを得たということには、なるほどなと直感とするところがありました。よし、それならばと思って、ホテルの机に広重の作品を印刷して飾りながら勉強をしてみたり…。でもやっぱり、どこかで本物を見たいなあと思って検索してみたところ、まさに今、福井市立美術館で広重の展覧会をやっていることに気付いてしまったのです!

その巡り合わせには本当に驚きました。気付いた時刻は夜22時。そして明日の福井市立美術館オープン時間は朝の9時で、合宿のためには福井駅に11時に戻ってくればいい。これは、いける…!!というわけで翌朝、朝一でタクシーに飛び乗り、福井市立美術館に向かいました。




貴志が広重のどの作品にインスピレーションを受けたのかは定かではありませんが、私なりにいくつか、このヴァイオリン協奏曲を勉強していると想起する広重作品があります。ひとつには祭り、神事、あるいは日常のエネルギッシュな喧噪を描いたもの。ただしそれは一層の平面的な光景ではなく、何層かの奥行きをもった景色でなければなりません。そして、長いラインを持って、水の上に舟が渡る静的な景色。楽譜からは、遠くに月や夕陽が浮かんでいて、鮮やかではないが確かな奥行きを持った情景が立ち現れてくるように思えていたのです。それはたとえば「木曾街道六拾九次」のなかの「洗馬」、それから「東海道五十三次」のなかの一枚目「日本橋・朝の景」、四十二枚目「宮・熱田神事」、五十五枚目「三条大橋」であったりするでしょう。




今回の展覧会では、私の大好きな「木曾街道六拾九次」を見ることは叶わなかったものの、平木コレクションによる「東海道五十三次」全枚の「初摺」が展示されていて、その色合いと構図を堪能させて頂きました。浮世絵において「初摺」というのは特別で、「後摺」に比べると版木の摩減がないため線がクリアであり、絵師(ここでは広重)の理想が最も充実した形で表現されています。広重の作品は、とりわけ墨の濃淡を用いた色彩の淡い変化が絶妙であるので、「初摺」はこの繊細な濃淡を見るために格好でした。「三島 朝霧」における霧に霞む旅人の気配、「桑名」における波の動性の描写、「庄野 白雨」における雨風と遠景の竹薮の揺れの表現は、この初摺での実物を見てはじめて、その細やかさと絶妙さに感動を覚えました。あたりまえですが、インターネットで見るものとは全く違う微細さがそこに宿っているのです。(とはいえ何もないのも寂しいのでwikiの参考画像を添付しておきます。しかしながら、実物は全く異なります!)



良く知られた「蒲原 夜之雪」もまた、今日その場で見てはじめて、その静けさに心震えました。ここには何の視線のまじわりもなく、会話やざわめきも聞こえない。しかし耳をそばだててみると、足が雪を踏む音、樹々に雪が降り積もる音が、次第に聞き取れてくるのです。そして、それと対比される「亀山」の静動の両立-自然への包摂も見逃すことはできません。力強く大胆な傾きに対して、なんという静けさ!

風を描いた「四日市 三重川」も同様に、実物を前にしてはじめて、静的な平面のなかに風を巻き起こしうることの凄みに気付かされます。この絵画においては二名の登場人物の力学的緊張により、構図のバランスが取られています。おそらくその均衡点は画の中心に位置すると思われますが、そこに目をやった途端、我々はたちまち、屈折した幹をもつ樹に、そしてそれが風につよく葉をなびかせる様子に出会うことになる。その葉が揺れる方向を見ることで、風の正確な方向を感じることになるけれども、そうすると驚くべき事に、風は右から左へという単純な向きで吹いているのではなく、画面を右から左下へ巻き込むように、なかば渦巻き状になって吹いていることが分かってくるのです。考えてみれば、風とはそういうものであるでしょう。木枯らしはまっすぐ吹いてこない。巻き込むかのごとく吹いてくる。その感覚すら、広重はこの一枚に描ききっているように思われました。



大いに刺激を受けてホテルに戻り、ふたたび貴志康一の楽譜を開きます。貴志康一が共感した歌川広重の色と線とは、こういうことではなかったか。それが正解かどうかが問題なのではなく、いまの私にはこう思える、ということが確実にあります。異なる芸術からインスピレーションを受けるその愉しみは筆舌に尽くし難く、この仕事をしていて良かったなと思うとともに、貴志康一のことがもっともっと好きになりました。

さあ、そろそろ時間になりました。福井大学フィルの学生さんたちに貴志と広重のことをどう話そうかな。イメージを実際の音に、夢を現実にすべく、意気揚々と向かいましょう。

 

ヴァイオリン協奏曲より
ヴァイオリン協奏曲より

 

 

 

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