相対化と孤独

街の中心から少し離れたところに宿を取った。仕事を終えてから、歩きたかったから。石畳が当たる感触を確かめながら、自分が異邦人であることを、帰路のたびに感じたかったから。

1798年から続く店の前を通り、歌劇場の前を横切り、教会から聞こえてくる祈りの声を聞きながら帰る。色んな道を通って歩くことで街が身体で掴めてくる。魅力的な商品の飾られたショーウィンドウ。通り過ぎた女性の香水の強い香り。Google mapをスクロールすると次々にロードされていくように、自分の足で歩いて、身体で地図を作って行く。

「相対化」。言葉にするのは簡単だけれど、それを深く味わうことは難しい。海外に出て見出すことは、絶対的に自分が異邦人であるということであり、同時に、ナショナル・アイデンティティの再発見であろう。自分はこの国の芸術を学びにやってきたが、どこまでいっても異邦人でしかない。夢と現実。野心と失意。その間の揺れ動きを血肉とすることで「自分」が確立する。

芸術に関わるうえで、自己とは何かという問いは決して避けられない。海外に出て孤独に暮らすとそれを否応無く味わうことができるから、好きだ。とくにこの年末という日には。あちこちでニューイヤーの爆竹が鳴らされるなか、楽譜を抱えて宿に帰る。今日はなんだか飲む気にならなかったし、飲むべきでもないように思われた。

 

 

Last Modified on 2018年1月27日
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