別れと出発

春は別れと出発の季節です。今年はとくに、あまりにも沢山のことがありすぎて、気持ちの整理がつくまでに随分と長い時間を必要としました。一つ一つの別れについて書き始めればキリがなく、そのどれもが印象的なものなのだけれども、ここではある一人の人との別れについて書いてみようと書いてみようと思います。それは、大学生のころから三年間にわたって指揮のレッスンをしてきたお弟子さんのことです。

お弟子さん、と書いてしまうことに、三年間を経た今でもまだ私は抵抗を持っています。なぜなら彼女は、私の師匠に教わりに来たのだから。まだ私の師匠が元気だったころ、彼女は門下の戸を叩き、入門していらっしゃいました。それから少し経ってから、何を思ったか師は「これから彼女は君が教えるように。」と、まだ駆け出しもいいところの私に彼女の指導を預けて下さいました。それから私は、門下に新しく入門される方々の初級レッスンを担当させて頂くようになり、今までに数えて5人を教えさせて頂くことになりました。

いずれも師匠の大切な生徒さん。それを私が教えてよいとも思えなかったし、正直いって未熟な私が教えられるとも思えなかった。教える姿を師匠が後ろでずっと見ていて、何度も何度も、震え上がるほど怒られたことを、今もそのときの苦しみと共にはっきり思い出すことができます。でも、それが師匠なりの厳しい愛情であったことに、そして私へのレッスンの一環であったことに、後の日を通して気付くのです。それからの三年間のことはかつてブログに綴ったとおりですので、ここでは繰り返さないように致しましょう。

三年間の日々はあっという間でしたが、「指揮を教える」ということの面白さと奥深さに魅了され続けた日々でもありました。指揮法教程にはじまりギロック、シューマン、ベートーヴェン…。ときに「天空への挑戦」「夢への冒険」「微笑みの国」といった、学生指揮者として彼女が指揮する曲を。いつも終電ギリギリまでレッスンをし続け、帰りの駅で別れても、私の頭の中には先程の曲のことがあり、彼女の指揮が眼前に蘇り、何を伝えればその根本的な原因が解決するのか考え続け、はたしてそれを私がどれほど有言実行にやってみせることができたのかを自問自答しました。

指揮についてあれこれと言うからには、必ず自分でやってみせることが必要です。言葉でいくら語ることができても、結局はその棒の一振りで音を変えることが出来なければ指揮者とは言えません。自分の一振りで音楽を劇的に変えることができて彼女に感動を与えることが出来た日も(彼女がそう言って目を輝かせてくれるのが何よりも嬉しかった!)、思うばかりでうまく音楽の姿を変えることができなかった日も、色々な毎日がありました。そのたびごとに、指揮を学んでいてよかったという充実と共に、その何十倍もの悔しさを私自身が味わうのでした。ほとんど言葉無しで展開することが可能であった師の晩年のレッスンの凄みを、自分で教えるようになってみて一層強く感じるようになりました。

時間と空間を操り、見えない糸を張り巡らせていく。たえず未来を生成し、詩情を空間に満たし、イマジネーションを現実にしていくこの芸術。突き詰めれば当然ながら、今扱っているその音楽のことというよりはむしろ、「指揮」という営みが一体何であるかという、極大な問いをめぐって、旋回し続けた日々であったように思います。

 

Ich lebe mein Leben in wachsenden Ringen, die sich über die Dinge ziehn. Ich werde den letzten vielleicht nicht vollbringen,aber versuchen will ich ihn. Ich kreise um Gott, um den uralten Turm, und ich kreise jahrtausendelang; und ich weiß noch nicht: bin ich ein Falke, ein Sturm oder ein großer Gesang. …
 
「私は私の生を、事物の上に次第に大きな輪を描きながら生きてゆく。 最後の輪はきっと描き終えないだろう。 それでも私は試みてゆくつもりだ。私は神をめぐって旋回し、最古の塔をめぐって旋回し、何千年も旋回をつづける。そして私はまだ知らないのだ。私が一羽の鷹であるか、嵐であるか それとも一個の偉大な歌声であるかを。」

 

レッスンを終えるたびに私の頭のなかに降り注いでいたリルケのこの一節。指揮というその謎めいた芸術の本質を摑み取ることは決して出来ないことを覚悟しながら、しかしそれでも、日々を過ごすにつれ、「次第に」ではあれ、得ているものがあるという確信。毎週水曜日の夜が苦しくて、同時に楽しくて仕方ありませんでした。

吹奏楽部の学生指揮者として大学二年生からレッスンに通い始めた彼女は、その大学の卒業式に私を呼んで下さいました。そこで目にしたものは、振り袖のまま、かつて共に取り組んだレハールの「微笑みの国」を指揮する彼女であり、そしてその途中、満ち足りた表情で指揮台を降り、後輩たちの奏でる「微笑みの国」に送られて花道を歩いて行く彼女でした。その光景を見たときに私は、彼女とこの三年間共に勉強してきた日々が全て報われたように思いました。亡き師の姿を思いながら、「先生、僕たちはいい日々を過ごしたと思いませんか」と誇りたいような、はじめてそんな気持ちになりました。

そしてその翌々日、本当に最後のレッスン。振り終えたときの彼女の表情を、彼女から頂いた三年の記憶と思い出が詰まった言葉の数々を、私は一生の宝物にしていくことでしょう。深い信頼関係が築けたことを、教えるというよりはむしろ三年間共に学べたことを、ただただ心から幸せに思っています。

ひとつの別れを告げる彼女は、社会人として巣立ってゆきます。そしてまた、私も。亡き師の教えや目指した音楽をいつまでも心に持ちながら、変わって行くことを恐れずに、外へ外へと飛び出していこうと思います。出発なき別れは本質的に別れではないのです。追悼とは出発することだと気付くのに、ずいぶんと時間がかかりました。

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